第十三話 悩める聖女候補
その日の夜、アルトの辻馬車は救護院の前にあった。
アルトが待っていると、救護院から一人の女性が出てきた。
金の髪を夜風になびかせた、穏やかな表情の若い女性だった。
その身には、白い法衣をまとっている。
「アルトさんですか?」
名を呼ばれ、アルトは御者台から降りた。
「はい。ミリア様ですね」
アルトが馬車の扉を開けると、ミリアは小さく会釈をし、踏み台に足をかけて中へ入った。
アルトも御者台へ戻る。
「今日は、どちらまで?」
「あなたが決めて」
「僕が、ですか?」
アルトが聞き返す。
「クラリス様に伺ったわ。あなたの馬車は、探しものの馬車なのでしょう?」
「ああ……クラリス様からお聞きになっていましたか」
「ええ」
「では、お探しものがあるのですね?」
「あるわ」
ミリアは少しだけ目を伏せた。
「でも、それをあなたに話す必要はないのでしょう?」
「はい。僕が伺う必要はございません」
「では、行ってくださる?」
「かしこまりました」
アルトは手綱を軽く鳴らす。
馬車がゆっくりと走り出した。
辻馬車が、王都の夜を進んでいく。
※
「はぁ……」
ミリアが大きなため息をついた。
馬車は王都中央の広場を駆けていた。
広場の中央には、古の聖女エリシア・ブランシェの石像が立っている。実在したのかは不明だったが、かつて大いなる奇跡で王都の繁栄をもたらしたと言われ、アルトやミリアが生まれるよりもずっと前にその石像が建てられたとされている。
「なぜ、私は聖女になれないのかしらね」
ミリアの呟きに、アルトは答えなかった。
「アルトさんは、どう思いますか?」
「……僕には分かりません」
「では、聖女とは、どのような人がなるものだと思う?」
アルトは少し考えた。
「世間で言われている聖女様であれば……例えば、古の聖女エリシア・ブランシェのような方を考えれば……慈愛に満ち、人々のために祈り、女神の恩恵を受けて奇跡を起こし、人々を救う方、でしょうか」
「古の大聖女と比べられても、困ってしまうのだけれど……。慈愛も奇跡も、私では足りないのかしらね」
「ミリア様が、困っている方に心を寄せていることは伺っています」
「……困っている人を助けたいとは思うわ。でも、それは誰でも思うことでしょう?」
「それは、少し違うかもしれません」
「違う?」
「誰もが同じように思うとは限りません。思ったとしても、手を伸ばせるとは限らないかと」
ミリアは窓の外へ視線を向けた。
「そうかもしれないわね」
馬車の車輪が、静かに石畳をなぞっていく。
「でも、私は助けたいと思っても、実際には助けられていないの。救護院で働いてみて、よく分かったわ」
「……」
「必要なものを揃えることもできない。配る手順も分からない。汚れた布を洗うだけで手間取る。治癒だって、簡単な病や怪我を少し楽にするくらい」
ミリアは自嘲するように笑った。
「聖女候補なのに、洗濯桶ひとつ満足に運べないのよ」
アルトは黙って聞いていた。
「ミリア様は、なぜ聖女になりたいのですか?」
その問いに、ミリアはすぐには答えなかった。
しばらく考えてから、小さく口を開く。
「別に、聖女になりたいわけではないわ」
「そうなのですか?」
「ええ。ただ、苦しんでいる人を、できるだけたくさん助けたいの。聖女なら、きっとそれができると信じているだけよ」
ミリアは膝の上で手を握った。
「でも、実際に人々を助けているのは、クラリス様のような方なのよね。誰が何を必要としているかを調べて、物を揃えて、それが届くように手配して……」
小さなため息が落ちる。
「あの方の方が、よほど聖女に相応しいのかもしれないわ」
アルトは少しの間、何も言わなかった。
やがて、静かに口を開く。
「……すみません。一つ、訂正させてください」
「何を?」
「先ほど僕が申し上げたのは、世間で言われている聖女様像です。ですが、僕自身の考えは少し違います」
「あなたの考え?」
「はい」
アルトは手綱を握り直した。
「聖女様は、人が決めるものではなく、女神様が選ばれるものなのだと思います」
ミリアは黙って聞いていた。
「ですから、女神様が何を慈愛と呼び、何を奇跡と呼ばれるのか、僕には分かりません」
「女神様が考える慈愛と、奇跡……」
「はい。僕たちが思っているものとは、違うのかもしれません」
ミリアは少しだけ目を細めた。
「ふふ……そうね。そんなこと、私たちが考えても仕方のないことかもしれないわね」
「分からないからこそ、探す意味があるのかもしれません」
「探す……」
ミリアは窓の外を見た。
遠くに、大聖堂の尖塔が見えた。
白い石造りの塔。
女神像を掲げた大きな屋根。
聖女を目指す者なら、誰もが一度は祈る場所。
ミリアは当然、馬車がそこへ向かうのだと思った。
けれど、辻馬車は大聖堂の前を通り過ぎた。
「……え?」
ミリアが窓に手を添える。
「大聖堂ではないの?」
「馬車が選んだ道です」
「でも、私は……」
そう言いかけて、ミリアは言葉を飲み込んだ。
馬車は王都の中心を離れ、繁華街の裏通りへ入っていく。
やがて、ひとつの建物の前で止まった。
表の明かりはすでに消えている。
けれど、裏口の方から、かすかに焼きたてのパンの匂いが漂っていた。




