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 馬車の窓から見える景色が、鮮やかな緑から峻烈な白へと塗り替えられていく。

 王都を出発して十日。私たちの馬車は、オクタウィウス公爵領の本拠地、城塞都市「アルゲントゥム」へと到着した。

 見上げるような雪山に囲まれたこの地は、かつて王国の盾と呼ばれた。しかし今、私の目に映るのは、くすんだ灰色の石造りの街並みと、活気を失い、肩をすくめて歩く領民たちの姿だった。


「……ひどいものね」


 私が呟くと、隣に座っていたウェスペリウスが、痛ましげに目を伏せた。


「アルゲントゥムは、王都への銀の献上を優先するあまり、領民の生活が二の次にされてきました。加えて、ここ数年の冷害。……クィンティリア様、この地は貴女が思われている以上に疲弊しています」


「分かっているわ、ウェスペリウス。だからこそ、私たちが来たのよ」


 馬車が公爵家の別邸――通称「白銀館」に到着する。

 そこには、領地を預かる代官テレンティウスが、揉み手をしながら待ち構えていた。太った体に不釣り合いな高価な毛皮を纏い、その目は欲に濁っている。


「おお、クィンティリア様! よくぞお越しくださいました。このような辺境の地、お口に合うものがあるかどうか……」


「挨拶は結構です、テレンティウス殿。まずは、案内して頂戴。私の騎士、ウェスペリウスの妹君が療養されている部屋へ」


 テレンティウスが一瞬、不快そうに顔を歪めたのを私は見逃さなかった。彼にとって、没落貴族の娘の療養など、無駄な出費でしかないのだろう。


────


 館の北棟、日当たりの悪い薄暗い部屋に、彼女はいた。

 リウィア・リウィウス。

 ウェスペリウスによく似た、夜の海のような色の瞳を持つ少女。けれどその頬は痩せこけ、肌は透けるように白い。絶え間ない咳が、彼女の小さな体を揺らしていた。


「兄様……? 夢じゃないの……?」


「ああ、リウィア。戻ったぞ。……そして、こちらが私の新しい主、クィンティリア様だ」


 ウェスペリウスが、戦場では決して見せないような慈愛に満ちた表情で妹の手を取る。

 私は彼女の枕元に歩み寄り、そっとその額に手を当てた。


(……結核、あるいは重度の気管支炎ね。この世界の魔術医は『悪い血を抜く』なんて野蛮な治療しかしていないけれど、原因は明白だわ)


 この部屋の湿気、そして暖炉から出る煙の排気不全。さらに栄養不足。

 前世のネットの医学知識が、瞬時に「処方箋」を弾き出す。


「テレンティウス殿、今すぐこの部屋の窓を改装させなさい。二重窓にして断熱を。それから、換気効率の良い新型の暖炉を導入するわ。図面は私が書く」


「は、はあ? 何をおっしゃるのか……。そのような贅沢、領地の予算にはございませんぞ」


「贅沢? これは『実験』よ。……それから、ドゥルシッラ! 私が持ってきた荷物の中から、砂糖と干し果物、それから『特別なハーブ』……いえ、薬草を持ってきて。彼女には高カロリーな食事と、徹底した衛生管理が必要だわ」


 私はドゥルシッラにテキパキと指示を飛ばした。

 前世でサバイバル知識や薬草学に詳しかった(というか、そういう小説を読み漁っていた)私の知識が火を吹く。

 リウィアを救うことは、ウェスペリウスの心を完全に繋ぎ止めることでもある。けれどそれ以上に、私はこの無垢な少女を、原作のような「死の運命」に渡したくなかった。


「……クィンティリア様。なぜ、ここまで……」

 リウィアが微かな声で問う。


「あなたが元気になってくれないと、お兄様が心配で剣を振るえないでしょう? 私は、最強の騎士が欲しいの。だから、あなたはわがままを言っていいのよ」


 私は彼女の鼻先を軽くつついた。

 リウィアは驚いたように目を丸くした後、今日初めて、小さな笑みをこぼした。


 リウィアの診察を終えた後、私はウェスペリウスを伴って執務室へと向かった。

 そこには、テレンティウスが提出した「領地収支報告書」が積まれている。


「さて、テレンティウス殿。……この帳簿、少し拝見しましたけれど」


 私はパラパラとページをめくり、冷笑を浮かべた。

 単式簿記。この世界の計算方法はあまりにも原始的だ。隠そうと思えば、いくらでも使途不明金を紛れ込ませることができる。

 けれど、現代日本の商社で財務もかじっていた私を、そんな子供騙しで欺けると思わないことね。


「銀の産出量が前年比で三割減。それに対して、鉱山の維持費が二割増。……おかしいわね。産出量が減っているなら、搬出用の馬車代や人件費は減るはずでしょう? なのに、なぜ『接待費』という名目で、王都の商会に多額の金が流れているのかしら?」


 テレンティウスの額から、だらりと脂汗が流れた。


「い、いや、それは……。鉱山主たちとの円滑な関係を保つために必要な、その、潤滑油でして……」


「潤滑油? 私の目には、あなたの腹回りを肥やすための『脂肪』にしか見えないわ」


 私はドサリと、持参してきた白紙の紙を机に叩きつけた。

 そこには、私が昨夜書き上げた「複式簿記」のフォーマット。


「今日から、領地の会計はこの形式で行います。借方、貸方……全ての金の動きを対照させるわ。逃げ道はないと思いなさい。……ウェスペリウス、これまでの五年分の領地領収書を全て押収して。地下の倉庫にあるはずよ」


「御意に」


 ウェスペリウスが、氷のような視線でテレンティウスを射抜いた。

 剣を使わずとも、彼の放つ威圧感だけで、肥満体の代官は腰を抜かして床にへたり込んだ。


「あ、あわわ……。そ、そんな勝手な! 公爵様(お父様)には、私から報告させて……」


「父はすでに私に全権を委任しています。……テレンティウス殿。あなたが私腹を肥やした証拠が見つかり次第、あなたは公爵領からの追放、あるいは……極北の鉱山での強制労働がお待ちしていますわ。楽しみにしていらっしゃい」


 私は彼を一蹴し、執務室の窓を開けた。

 冷たい、けれど清々しい風が部屋に流れ込む。


 夕刻。

 私はウェスペリウスと共に、城下町の外れにある荒地へと向かった。

 領民たちが、痩せた土壌を耕し、細い麦の芽を絶望的な目で見つめている。


「ウェスペリウス。この土地の土、少し取ってみて」


 彼は言われた通り、黒ずんだ土を掬い上げた。


「冷たく、酸性が強い。麦を育てるには適していません。アルゲントゥムの民は、常に王都からの配給に頼っています。……もし、配給が止まれば……」


「飢え死にするわね。……だから、これを植えるのよ」


 私は、馬車の奥深くに隠し持ってきた「魔法の種芋」を取り出した。

 正確には、前世でいうところの**ジャガイモ(Solanum tuberosum)**。

 この世界の極一部、西方の未開の地で「悪魔の植物」として忌避されていたものを、私は王都の商人から密かに買い集めていたのだ。


「これは……? 毒があるという噂の……」


「調理法さえ間違えなければ、これほど頼もしい味方はいないわ。冷害に強く、痩せた土地でも育ち、そして腹持ちがいい。……これを、アルゲントゥムの新しい『黄金』にするの」


 私は土の中に、最初の一粒を埋めた。

 

「ウェスペリウス。私は、あなたが守るこの国を、ひもじい思いをする人間がいない場所にしたい。……まずは、あなたの家族から。そして、この領地の民から」


 ウェスペリウスは、土を被せた私の手の上に、自分の手を重ねた。

 夕闇の中、彼の銀色の髪が微かに輝く。


「……クィンティリア様。貴女は、一体どこまで先を見据えておられるのですか。……私は、貴女のその小さな手の中に、この国の未来が握られているのだと、確信せずにはいられません」


「大げさよ。私はただ、美味しいものが食べたいだけだもの」


 私が照れ隠しに笑うと、彼は不意に私の腰を引き寄せた。

 誰の目もない、荒野の真ん中。

 彼の低い声が、耳元で熱く響く。


「……嘘をつくのが、お下手になられましたね。……貴女のその慈愛を、私は一生、独り占めしたいと願ってしまう。……主君マスターとしての貴女ではなく、一人の女性としての貴女を、抱きしめたいと」


 寒いはずのアルゲントゥムの風が、その瞬間だけ、熱を帯びた。

 

(……ちょっと、このシチュエーションは反則じゃない!?)


 前世の設定知識にはない、本物の「男」の独占欲。

 私は彼の胸に顔を埋め、高鳴る鼓動を隠すのが精一杯だった。


 しかし。

 私たちが新しい希望を植えたその土の下で。

 王都では、アウルス王子とフルウィアが、さらなる悪辣な陰謀を巡らせていた。


「クィンティリア……。あんな呪われた土地に送れば、今頃は泣き叫んでいるだろう。……だが、それでは足りない。彼女には『売国奴』というレッテルが、最高に似合うはずだ……」


 アウルスの手元には、偽造された「バルバリス帝国との密約」の書類が握られていた。

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