⑦
夕食時の実家の光景である。
「週末は家族の時間と言ったでしょ?」
「すまない。仕事が入ったんだ。土曜日だけ…」
母は父からの一言に激高した。
「先週もそうだったじゃない!?どうせ外に愛人でも作ったんでしょ!?」
「どうした?そんなことあるわけないだろう…」
父は母の変貌に冷静に対応する。
「嘘よ!最近、帰りも遅いじゃない!」
「いや、だから大型プロジェクトが佳境で…」
母は台所へ走ると包丁を持って戻ってきた。私は母の握る包丁が怖かったが、それよりも包丁を父に向ける母の形相が何より怖ろしかった。父は私を椅子から立たせると、出来るだけ遠くへと合図を送った。
「そうだな…最近は少し家族の時間を作れていなかったな」
父は母の持つ包丁を怖れることなく母を真正面から見つめる。そして、母に向かって両手を広げた。私は母の嗚咽を聞く。
「すまなかった…」
父は母にゆっくりと近づいていく。私はその光景がとても美しく見えた。そして、その美しさの理由を聞きたくて思わず父に声をかけてしまう。
「父さん!」
母は私の声に驚き、包丁を握る手に力が入った。父も私の呼び掛けに母から視線を外してしまう。
「ぐっ…」
母の持つ包丁の刃先が父の脇腹に突き刺さった。父は咄嗟に母の手を掴んだ。
「あ、あなた!」
母がその場で崩れる父を支えた。
「蛍!お父さんが…」
母が私の顔を見て泣きわめく。父も蛍の顔を見ていた。その顔は少し笑っていた。
「蛍…119だ…」
私は父の弱々しい声に力強く頷くと、固定電話の元へと走った。
「1…1…9…」
すぐに電話が繋がる。何を聞かれたか、よく覚えていない。すぐにサイレンが聞こえた。そのサイレンが自宅の前で止まると、私は玄関まで走った。
「坊やが電話した子だね?」
私は溢れ出しそうになる感情を必死に食い縛り、黙って頷く。そこからは洗練された技と経験のたまものであった。もちろん、この感想は今になってからのものだ。当時の私は身動きできず、その場に立っているだけであった。
「坊やも早く!」
一人の救急隊員が私に声をかけてくれる。そして、私は母と一緒に救急車に乗り込んだ。
「あなた!ごめんなさい!あなた!」
「奥様!落ち着いて!」
泣き叫ぶ母の手を父が優しく握った。
『そうか…夫婦って…こういうことなんだ…』
私は子供ながら両親の手を取る姿を見て思った。しかし、同時に父の行動に少し違和感も感じていた。
「蛍君?」
帆乃花の心配そうに覗き込む表情を見て、私は我に返った。
「ん?」
私は誤魔化しながら、帆乃花を抱きしめた。
『父さんもこんな気持ちで母さんを抱きしめていたのかな…』
私は帆乃花に微笑みながらも、当時の両親に想いを馳せていた。




