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第3話:初めて立つ日

昇太が長屋に連れ帰ってから数週間。

毎日の献身的な看病と、ビタミンの豊富な玄米おにぎりを食べ続けたおかげで、あやの体調は確実に快方に向かっていた。

顔の青白さは抜け、少しずつ肌に血の気が戻ってきている。

ある日の昼下がり。昇太がおにぎり屋の仕込みを一段落させて部屋に戻ると、布団の上にいたはずのあやが、壁に手をつきながらゆっくりと腰を浮かせているところだった。

「おっと、気をつけて。無理しないで壁にしっかりつかまって」

昇太は慌てて駆け寄り、あやの背中側に手を添える。触れるか触れないかの位置で、万が一倒れてもすぐに支えられるように構えた。

あやは呼吸を整えながら、ゆっくりと膝を伸ばしていく。

「はい……。あ、立てました……」

壁伝いではあるものの、あやの両足はしっかりと畳を踏みしめていた。拾われた日には、自力で立つことすらできなかったあの足が。

「すごい!立ったね、あや!本当に良かった……!」

昇太はまるで自分のことのように、いや、それ以上に心から喜び、パーッと明るい安堵の笑顔を見せた。

「旦那様、本当に……ありがとうございます」

あやはゆっくりと頭を下げる。

昇太の笑顔には、損得勘定も、下心も一切ない。長屋に来たばかりの頃、あやは「いつか手を出されるのでは」と男の気配に怯え、夜も浅い眠りしかとれずに警戒していた。だが数週間という長い間、昇太はそんな不安をよそに、ただ純粋にあやの回復だけを願って世話を続けてくれたのだ。

(このお方は、本当にただ私を助けようとしてくださっている。ここは……安心できる場所なんだ)

張り詰めていた警戒心はいつの間にか完全に消え去り、あやの胸の中に静かで確かな恩義が芽生えていく。

(このまま足が良くなって、もっと普通に歩けるようになれば……行く行くは、私も少しはお手伝いができるかもしれない)

あやは自身の回復を実感しながら、心の中で密かにそう思った。

今の自分は、ただ食べさせてもらい、看病されているだけの存在だ。早く体を治して、この人のために何か恩返しがしたい。

一方の昇太は、あやを無理に働かせるつもりなど毛頭なかった。

(完全に元気になったら、家の手伝いでも少ししてもらおうかな)

昇太はそんな風に気楽に考えていた。おにぎり屋の手伝いをさせるには体力的にまだ厳しいだろうから、長屋の簡単な掃除や、身の回りのことくらいができれば十分だ。

だが、昇太はあえてその考えを言葉にはしなかった。今ここで「手伝ってほしい」などと言えば、真面目なあやに無用な気遣いやプレッシャーを与えてしまうと思ったからだ。

「無理は禁物だからね。疲れたらすぐに横になって休むんだよ」

「いえ、ずっと寝てばかりでしたから。もう少しだけ、こうして立っていたいです」

「そっか。でも、足がぷるぷる震えてるぞ」

昇太に指摘され、あやは自分の足元へ視線を落とす。

「……本当ですね。自分でも驚くほど、足に力が入らなくて」

あやは少し恥ずかしそうに、ささやかな笑みをこぼした。出会ってからずっと強張っていた彼女の表情が、初めて柔らかくほどけた瞬間だった。もうそこには、かつての怯えや不信感は微塵も残っていない。

「焦らなくていいよ。ゆっくり、少しずつ治していこう」

「はい、旦那様」

窓の隙間から差し込む日差しの中、あやはしばらくの間、壁に寄りかかりながら立っていた。

すぐに働こうと急がせることも、急ぐこともない。穏やかな長屋の空気の中で、二人の間には少しずつ、温かな信頼関係が築かれようとしていた。

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