87話 呪い
沈黙が落ちる森の中。ミースの絞り出すような吐露を、アルスが無言で見つめていたその時だった。
「――いたぞ! こっちだ!」
静寂を破り、重い足音が草木を押し分ける音が響いた。
ミースの身体が跳ねるように強張る。その美しい顔から血の気が引き、瞳に深い怯えが色濃く差した。
木々の隙間から現れたのは、異様な衣装を纏った無数の男たち――イグニスの信徒たちだった。彼らは取り囲むように二人へ迫ると、中央に立つミースへ冷酷な視線を向ける。
「こんな所にいたのか。捜したぞ、『検体ミメシス』」
「……ごめんなさい……僕、また迷っちゃって……」
先ほどまで多属性の魔法で魔物を一瞬で破砕した少年とは思えないほど、ミースは小さく身を縮め、声すら震わせていた。信徒の一人が無造作に手を伸ばし、ミースの華奢な手首を掴んで強引に引き立てようとする。
「行くぞ。」
「待て」
低く重い声が、森の空気を冷やした。
信徒の手が止まる。アルスがゆっくりと一歩踏み出し、ミースと信徒の間に割って入っていた。右腕に巻いたボロ布をゆっくりと外しながら、鋭い眼光で信徒を射抜く。
(……なんで俺は、こんな真似をしている?)
サリアを失い、心はとっくに壊れているはずだった。ただ力だけを求めて彷徨っていたはずの己が、なぜ無関係の少年を庇うように立ち塞がっているのか。自分自身でもその行動の理由が分からず、苛立ち混じりの昏い思考が脳裏を渦巻く。
「なんだ貴様は。教団の神聖な魔導兵に気安く触れるな――」
吐き捨てるように言いかけた信徒の言葉が、唐突に途切れた。
アルスの顔、その纏う殺気、そして露出した漆黒の右腕に目を凝らした信徒たちの顔色が、みるみるうちに蒼白へと変わっていく。
「……待て。その面構え……その漆黒の右腕……まさか」
「アルスだ! 拠点を潰して回っている「神に背く大罪人アルス」だ!!」
波紋のように驚愕と激昂が信徒たちに広がった。一斉に抜剣する金属音が森に響き渡り、刃の群れがアルスへ向けられる。
「アルスが大罪人……?」
ミースが息を呑んだ。大きな瞳を見開き、信徒たちとアルスの顔を交互に見つめる。
「アルスが……? 神様に仇なす、あの……?」
アルスは答えなかった。黙って左拳を強く握り締め、正面の信徒たちから視線を外さない。
ミースは信じられないといったように強く首を振った。涙を薄く浮かべながら、必死に声を張り上げる。
「嘘だ……違う! アルスは悪い人なんかじゃない! 僕に温かいスープを作ってくれて、優しくしてくれたんだ! 倒さなきゃいけない悪人なんかじゃないよ!」
「黙れ、不完全な道具が!」
信徒の幹部らしき男が鬱陶しそうに叫び、懐から禍々しいルーンが刻まれた黒い符を取り出した。
「忘れたのか! 貴様は我がイグニス教団が総力を挙げて創り上げた最高傑作だ! 神に刃向かう害虫を殺戮するためだけに生かされているのだぞ!」
男が符を指先で押し潰す。
「刻印起動! 敵対者を討伐せよ!」
「あ……がッ……!?」
瞬間、ミースがうめき声を上げてうずくまった。
薄手の上着の隙間、その白い首筋に刻まれていた不気味な黒い紋様が、血のように赤く発光を始める。
「やめて……ッ! 頭が……っ!」
ミースは頭を抱え、絶叫した。
その体内で膨れ上がるのは、少年の意思とは無関係に暴走する絶大な魔力。首筋の呪印が肉体に強制命令を流し込み、少年の意思を上書きしていく。
「戦いたくない……! 」
涙が溢れ落ち、頬を濡らす。しかし、少年の手は己の意思に反し戦闘態勢へと移る。
ついにミースの瞳から光が消え、絶望と恐怖に歪んだ顔のまま、ミースはアルスを見つめた。
「逃げて……アルス……! 僕は……殺したくない……っ!」
次の瞬間――
ミースの足元で大地の岩盤が砕けた。空気を置き去りにし、少年が極太の土槍を掲げて肉迫する。
大地を爆砕して練り上げられた土槍の先端には、鋸状に旋回する風の刃と、高圧で弾ける紫電の火花が凝縮されていた。質量、切断力、熱量が束となった絶対の殺傷力。
常人であれば視認すら不可能な突進だが、アルスの引き伸ばされた感覚の中ではその軌道が鮮明に見えていた。
息を吐き、足首から肩甲骨までの連鎖を同調させ、地を蹴った。
交差する瞬間、旋回する風の鋸波を最小限の体捌きでかわし、槍から漏れ出す紫電を漆黒の右腕で力任せにいなす。
間合いを殺し、槍先が眉間に肉薄する極限の至近距離まで正面から踏み込んだ。
アルスは右拳に魔力を集め震動拳で迎え撃つ。押し寄せる土槍の先端へ真っ向から叩きつけた。
――轟音。
分子レベルの振動波を受け、高密度に凝縮されていた土槍が先端から一瞬で破砕する。圧縮されていた風と紫電が四散して炸裂し、吹き荒れる暴風と土砂が周囲の木々を木端微塵に薙ぎ倒した。
爆風と衝撃波の渦中、交差したふたつの影が至近距離で激突していた。




