8話 誓い
精鋭たちの変わり果てた姿に言葉を失ったのも束の間、洞窟のさらに奥から、微かな「人間の呻き声」が響いてきた。
湿った岩肌を伝って最深部へと足を進めると、そこには不釣り合いな巨大な鉄の檻が設置されていた。猛獣を閉じ込めるための、太く武骨な格子。その内側には、怯えきった様子で身を寄せ合う十数人の人々――男爵の領地からさらわれた村人たちが、生気を失った瞳で転がっていた。
「だ、誰だ……! 魔物か、それともまたあの『神』の使いか……!?」
怯える彼らを安心させるように精一杯の笑顔を携え、俺は素手で檻の錠前を引きちぎった。
「ひっ・・・素手で錠前を・・・化け物!」
「ちょっと!アルスどいてて!」
サリアが割って入り、村人たちに状況の説明をしてくれた。サリアの独特な雰囲気と治癒の魔法の光で解放された村人たちは徐々に落ち着きを取り戻した。サリアは衰弱した彼らからぽつりぽつりと話を聞き出す。
「私たちは……あの神の使途を名乗る奴らに捕まって、ここに監禁されていました。奴らは定期的に、私たちを一人ずつ、どこかへ連れていくんです……」
「連れていかれた人は、どうなったの?」
サリアの問いに、村人はガタガタと身体を震わせ、首を振った。
「わかりません……。ただ、連れていかれた先からは、二度と戻ってこない。奥からは時折、悍ましい叫び声が響いてくるばかりで……」
具体的な目的はわからなかったが、おそらく、連れ去られた村人は生きてはいないだろう。ライゼン、お前は一体ここで何をしているんだ・・・
救出した村人たちを送り届け、俺たちは男爵から多大な感謝を受けることとなった。
「まさか、本当に領民を救い出してくれるとは……! アルス殿、貴方は我が領地の救世主だ!」
男爵から支払われた報奨金と、村人たちの感謝の言葉。俺たちはそのまま領地の復興を手伝うことになり、崩れた家屋の瓦礫撤去など、俺の「筋肉」が最も活きる作業を淡々とこなした。
だが、周囲が歓声を上げ、復興への希望に沸く中、俺の心だけは全く別の場所にあった。
ポケットの奥。昼間、山羊頭の魔物から手に入れた、あの鈍く輝く「魔石」が、まるで脈打つように俺の皮膚を刺激し続けていたのだ。
その日の深夜。
隣の部屋でサリアが深い眠りについたのを確認し、俺は静かに宿を抜け出した。
目指すのは、昼間に立ち入ったあの忌まわしい森。暗闇に包まれた木々の間で、俺はポケットから魔石を取り出し、月光に透かした。
これを口にすればどうなるか。前世の知識も、この世界の常識も、そんな行為の安全性を保証してはくれない。だが、今の俺を突き動かしているのは、傲慢な天才たちへの憎悪と、置いていかれる恐怖――狂気的な執念だけだ。
「……喰らう」
俺は魔石を口に放り込み、噛み砕いた。
ジャリ、という嫌な音と共に、結晶が喉を通り抜ける。
――直後、世界が反転した。
「ガ、あぁぁぁぁぁっ……!?」
内臓を激鉄で叩かれたような、凄まじい衝撃。体内に駆け巡ったのは、絶大という言葉すら生ぬるい、暴力的な魔力の奔流だった。それと同時に、脳内に直接、ドロドロとしたノイズが飛び込んでくる。
『四天王イ…ル…様……我らの……土地を……人間の……魔力を増やし……』
魔物の怨嗟、断片的な意志が脳を侵食していく。肉体のすべての細胞が、入ってきた異物を拒絶し、しかし同時に飢えた獣のように貪り食っていく。
あまりの熱量に、俺の皮膚からブツブツと音を立てて黒い煙が噴出し始めた。
(……これだ。この感覚だ!)
俺の心臓の奥で、何かが音を立てて繋がる感覚があった。
身体の奥底から、かつて感じたことのない「力」が外へと溢れ出そうとしている。回路のない俺の身体に、ついに、魔法を放出するための「正解」が形を成そうとしていた。
(ついに……ついに魔法の回路が、俺の中に生成されたんだ……!)
歓喜と感動が脳を支配した、まさにその刹那。
俺の意識は、ぷつりと真っ暗な深淵へと叩き落とされた。
「……るす。……起きて、アルス……!」
顔に冷たい雫が落ちて、俺は意識を取り戻した。
視界が酷く霞む。ゆっくりと上体を起こそうとした瞬間、背中から引き裂かれるような激痛が走り、思わずうめき声を漏らした。
「……っ、サリア……?」
目の前にいたのは、涙と泥で顔をぐしゃぐしゃにしたサリアだった。
彼女は俺を必死に抱きかかえていた。だが、その彼女の様子が明らかにおかしい。俺を支える彼女の右肩から背中にかけて、衣服が焼け焦げ、痛々しい大きな火傷の痕が、生々しく赤黒く膨れ上がっていた。
「おい、その怪我、どうした……!」
慌てて周囲を見回し、俺は己の過ちに気づき、総毛立った。
周囲の森は、完全に変貌していた。
直径数十メートルにわたる樹木や地面が、跡形もなく真っ黒に炭化している。超高温の炎によって一瞬で焼き尽くされたかのような、地獄絵図。
これは、イグニスの魔法ではない。
魔石を暴食し、制御を失って暴走した「俺自身」が放った、回路なき魔力の暴発。その無彩色の炎が、この場所を焼き尽くしたのだ。そして――サリアは、その暴走の渦中に飛び込み、俺を死なせないために、その身を挺して抑え込んだ。
「よかった……。本当によかった……。アルス、元に戻ってくれた……」
サリアは自分の火傷の痛みなど気にする風もなく、ただ俺の胸に顔を埋めて、安堵の涙を流し続けた。彼女の手のひらから、震えるような治癒の光が漏れ、俺の身体の痛みを和らげていく。
「お前……なんで追ってきた。俺が戻らなかったら、お前まで死んでたんだぞ……!」
「言ったでしょ……私が行かないと、あなたは自分を壊しちゃうって。……お願いだから、もう置いていかないで。あなたが死んだら、私は……」
サリアの小さな手が、俺の服を強く握りしめる。
その手の震えが、俺の胸に突き刺さった。
俺は強くなるためなら、何者かになるためなら、自分の命なんてどうなってもいい、捨て身で構わないと思っていた。だが――俺が身体を傷つけるたびに、俺が狂気に手を染めるたびに、この少女の心と身体を、これほどまでに削り取っていたのだ。
(俺は……なんて愚かなことを)
前世と同じ、ただの「敗北者」になりたくない一心で、俺は一番近くにいる者を傷つけた。
ライゼンへの憎悪で、目の前の現実が見えなくなっていた。
「……すまない、サリア」
俺は、火傷を負った彼女の背中に、そっと手を回した。
温かくて、そして酷く痛々しい。
「もう、無茶なことはしない。お前を悲しませるような真似は……絶対にしない」
それが、今の俺にできる精一杯の誓いだった。
この日から、俺はサリアの言うことを少しだけ聞くようになった。無断で特訓に赴くのをやめ、彼女の作る食事を、大人しく口に運ぶようになった。
サリアを泣かせたくないという人間としての理性と、天才たちを引きちぎりたいという剥き出しの狂気。
その二つの狭間で揺れ動きながら、俺の肉体は、さらに異質なものへと変質を始めていた。




