79話 四天王たちの企み
アルス失踪の3日前。
――そこは、魔界の奥深くに佇む、暗黒の神殿だった。
ステンドグラスから差し込むのは月光ではなく、歪んだ紫色の魔力の残光。世界の理から見放されたかのような静寂の中、中央に置かれた漆黒の大理石の円卓を、三つの影が囲んでいた。
「ふふ、実に見苦しいわね」
最初に口を開いたのは、家政婦の格好をした美しい容姿をした女だった。
四天王の一人、リリアだ。
彼女は円卓の上に置かれた、ガルバディアの紋章が刻まれた結晶の塊を、白い指先で玩具のように転がしている。その可憐な顔立ちには、他者の命を塵芥とも思わない無垢な残酷さが張り付いていた。
「人間というのは、少しばかり便利な玩具を手に入れると、すぐに自分が創造主にでもなったかのように錯覚するのね」
「不愉快極まりない」
円卓の対面から、氷のように冷徹な声が響いた。
四天王の一人、ゼファキス。
彼の纏う衣服は不自然に波打ち、輪郭は常に微かにブレている。物理的な存在としての境界が曖昧なその姿は、ただそこに立っているだけで周囲の空間を捻じ曲げ、光さえも歪ませていた。
「道具に溺れる凡庸な羽虫の観察など、時間の無駄だ。それよりも、あのアジールという要塞都市だ。回路を持たぬ無能者を掻き集め、人為的に魔法を覚醒させているという。世界に魔力を満たすまでは泳がせていたが、これ以上の放置は、我らの障りとなる」
「あら、ゼファキス。私はあの泥臭い足掻き、嫌いじゃないわよ? 自分たちが特別だと信じ込んで、最後に絶望に濡れた顔がどんな風に歪むのか、近くで見てみたいもの」
リリアがくすくすと喉を鳴らした瞬間、円卓の最も深い闇から、声が響く。
「――泥は、どこまで行っても泥だよ、リリア」
椅子の背にもたれかかり、優雅に長い脚を組んだ男。
四天王の一人、イザーク。
抜けるように白い肌。漆黒の外套は光を吸い込む黒結晶の装飾で彩られている。切れ長の双眸に宿る血のように赤い瞳は、この世のすべてを見下し、退屈しきっているようだった。
「無能者がどれほど群れようと、出来上がるのは醜悪な塵の山に過ぎない。美しくないものは、この世界に存在する価値すらない」
「あら、イザーク。お前の言う『美しさ』って、要するにすべてをボロボロにすることでしょう? 相変わらず悪趣味だわ」
イザークは表情を変えぬまま、哀れみを含んだ気配とともに、口のような顔の裂け目をゆるりと持ち上げた。
「無知だな、リリア。万物が最も美しく輝く瞬間とは、完成された瞬間ではない」
彼は立ち上がることもなく、指先で円卓の縁をゆっくりとなぞった。
「完璧に構築されたものが、圧倒的な力の前に絶望し、静かに、抗いようもなく朽ち果てていく……その崩壊の過程こそが、至高の芸術だ。青々とした畑が茶色く乾き、澄んだ水源が泥に染まり、強固な城壁が砂となって崩れる。その退廃の美を理解できぬとは、お前の審美眼もその程度か」
「相変わらずくだらん美学だな」
ゼファキスが侮蔑を込めて鼻で笑った。彼の周囲の空間が、その声に反応するようにピキリと細い亀裂を走らせる。
「生ぬるい芸術とやらに何の意味がある。瞬時にしてすべてを無に帰すことこそが至高だ」
ゼファキスは歪む右手を虚空へかざした。
「アジールのようなゴミ溜めは、イザーク、お前の退屈しのぎにくれてやる。私はイゾルデを滅ぼしたという聖都のライゼンを始末しに行く」
リリアが目を輝かせた。
「人類の天才というものが、どれほどのものか楽しみだ。ライゼンがどれほどの魔法を使おうとも、空間そのものを越える私の攻撃は躱せん。奴の首を切り落とし、その自慢の魔法ごと、奈落へ叩き落としてやろう」
「すごくいいわ、楽しみにしているわね」
リリアの言葉を無視し、ゼファキスはその身を空間の歪みへと消し去ろうとした。直前、視線だけをイザークへ向けた。
「イザーク。あそこには、イグニスの仲間であった『ガウル』と『ウェンディ』がいる。遅れをとるなよ」
空間がグニャリと歪み、ゼファキスの姿が完全に消えた。
静寂が戻った。
イザークは静かに立ち上がり、外套を翻した。全身からかすかに黒く甘い霧が立ち上る。
「ガウル、か」
彼は呟いた。声に感情はなかった。
「無能のゴミを集めて王とは、笑わせる。哀れなことだ」
一歩、踏み出した。
「奴らが必死に積み上げた泥の城が、私の指先一つで、崩れ落ちていく瞬間を想像するだけで、ゾクゾクするほど愛おしい」
赤い瞳が、暗闇の中で細められた。
「彼らが最も油断し、明るい未来を夢見始めたその瞬間に」
イザークの唇が、ほんの僅かに動いた。
「極上の絶望をもって、あの都のすべてを私の糧としてくれる」
神殿に、再び静寂が落ちた。
リリアだけが残り、結晶の塊を弄びながら、誰にともなく呟いた。
「みんな楽しそうで、いいわね。私のおもちゃも早く壊したいわ。」




