66話 虚無の旅路
ガイアスは、退屈していた。
これほど単純な言葉で自分の状態を表現できるとは、少し前まで思っていなかった。退屈とは、何もすることがない無能が感じるものだと思っていた。だが違う。何もすることがない状態が退屈なのではなく、何をしても、誰を殺しても、心の奥底が一切動かない状態をこそ退屈というのだ。
男には、今それがあった。
仕事はどれも着実に進んでいた。だが、進んでいるだけだった。あの門を見たとき魔族と人間の生存をかけた戦争が始まると疑わなかった。なのに、何も起きない。国も滅ぼされないし、大群が来るわけでもない。
四天王の一人が死んだというのに、動きらしい動きがない。そもそも魔族は人間界の有象無象など、大した関心を持っていないのかもしれない。
(……反吐が出るほど退屈だ)
クライン王国に向かう街道を、ガイアスは一人で歩いていた。歩く方が、わずかに考えが整理される気がしたからだ。正確には、考えることもなかったのだが。
街道の先、小さな農村に差し掛かった時、けたたましい怒号と悲鳴が聞こえてきた。野盗だ、とすぐに分かった。十数人が馬で乗り込んで、村人を追い回している。作物を奪い、家に火を放ちかけている。世界のどこにでもある、ありふれた弱肉強食。
男は、村の外れにいた行商人の露店に悠然と声をかけた。
「あの、お客様、今はそれどころでは……! 盗賊が……!」
「その、果実を二つ。あとこの干し肉ももらおう」
「え、あ、はい……!」
「代金はここに置いておく」
ガイアスは銀貨を一枚、台の上に置いた。品物の十倍以上の価値があったが、細かい計算をする気すら起きない。混乱する露店の男から品物を受け取り、果実を一つ、乱暴に齧りながら村の中心部を見た。果汁の甘みも、甘酸っぱさも、今の男にとっては砂を噛むように無味乾燥だった。
ガイアスが動けば、この盗賊どもは一瞬で始末できる。だが、それをする理由が今は見当たらなかった。美味くも不味くもない果実を咀嚼し、踵を返そうとした、その時だ。
「待ちなよ、あんた。いい服着てんじゃねえか。身ぐるみ置いていきな」
馬に乗った盗賊の一人が、槍の先を男に向けていた。
ガイアスは盗賊を冷徹に見つめた。感情は何も無い。ただ、耳元で羽虫が音を立てているような、鬱陶しい面倒臭さだけがあった。その時、横から凄まじい速度で接近してくる人間の気配があった。
(速い――)
ただ速いのではない。体重の乗せ方と無駄のない重心移動。極限まで練り上げられた肉体の動きだ。
次の瞬間、ガキィンと硬質な音が響き、盗賊の槍が根元から弾き飛ばされた。
間に割って入ったのは、十四、五に見える一人の少年だった。動きやすい王国騎士の軽装を身に着け、右手には結晶剣、左手には使い込んだ魔力結晶を握り締めている。
「皆さん、奥に下がってください! 俺が引きつけるから早く!」
少年が、十人以上の盗賊たちへと真っ向から向き直った。数で言えば圧倒的劣勢。普通の感覚なら飛び込んでくる状況ではない。だが、少年の踏み込みに恐怖はなかった。
男は、果実をもう一口齧りながら、少年の体捌きを凝視した。 どこかで見た記憶がある。筋肉の連動、力の伝え方、地を掴む足裏の重心。
(この動き……あの男に似ているな)
少年は盗賊の槍の突きを紙一重で躱し、その流れのまま懐に入り込んだ。左手の結晶の魔力を瞬間的に爆発させ、衝撃を相手の顎へと叩き込んで吹き飛ばす。動作に一切の無駄がない。
クライン王国にいる「怪物」に弟子ができ、最近急速に実力をつけているという噂を思い出した。
少年は数に圧されながらも、巧みに一対一の状況を作りながら立ち回っていた。だが、五人の馬を連れた盗賊に囲まれ、さすがに脚の動きが鈍る。一人が馬ごと突進してきた。
少年は咄嗟に結晶銃を引き抜き、突進してくる馬の足元へ向けて発射した。バランスを崩し、前のめりに転倒する馬と剥き出しになった騎手。少年はその隙を逃さず、滑り込みながら結晶剣の一閃で騎手の胸元を斬り裂いた。
戦闘時間は三分に満たなかった。 盗賊は殆どが意識を失って倒れるか、絶命していた。残った数人は怯えて逃げ出していく。少年は、激しく息を整えながら振り返った。
「えっ、まだいたんですか!? 怪我はないですか?」
「ああ、無事だ」
「良かった……。あ、ちょっと待ってください。あなた、盗賊が出てるのにのんびり買い物してたんですか?」
「必要なものがあったのでね」
少年は呆れたように息を吐き、それから人懐っこい笑みを浮かべた。
「まあ、無事なら良いか。俺、レオンっていいます。あなたは何でこんなところを一人で旅してるんですか? このあたりは最近物騒ですから、危ないですよ」
「……俺は、ガイアスだ。王国のアルスに、少し用があってな」
「えっ!? 師匠の知り合いなんですか!?」
レオンは、その言葉を聞いた瞬間、文字通り目を輝かせた。 ガイアスは懐かしむように目を細めてみせた。
「ああ、実はな。私は昔、そのアルスという男に命を救われ、それから懇意にさせてもらっていてね。あいつとは古い友人なのだよ。久しぶりに顔でも見に訪ねてきたのだが……」
「なんだ、それを早く言ってくださいよ! 師匠の命の恩人……いや、師匠が恩人なのか? どっちでもいいや!」
レオンは嬉しそうに笑うと、ガイアスの荷物へと視線を向けた。
「俺、これから王国に戻るので案内しますよ」
「ほう、それは助かる。お言葉に甘えさせてもらおう」
師匠の古い友人というだけで、一瞬で懐に招き入れる素直さ。 ガイアスは、レオンの無防備な横顔を静かに見つめた。
(――御しやすいな。戦士としては致命的な弱点だ。だが、今は都合が良い)
こうしてガイアスは、最高の案内人を連れてクライン王国へと足を踏み入れることになった。




