65話 目覚め
三日後の朝、レオンは深い闇の底から目を覚ました。 視界に飛び込んできたのは、見慣れない白い天井だった。どうやら、城下にある領主邸の客間に移されていたようだった。身体を微かに起こそうとした瞬間、下腹部に奇妙な違和感を覚えた。 激痛ではない。ただ、自分の肉体の中に、今まで決して存在しなかった「異物」が、確固たる質量を持って鎮座しているような感覚だった。
「レオン様、目が覚めましたか」
傍らからリリアの安堵した声がした。彼女は椅子から跳ね起きると、すぐにベッドサイドへと駆け寄ってくる。
「……俺、どのくらい眠ってたんですか」
「丸三日です。ずっと高熱を出されていて……」
「三日、か」
レオンは、まだ重い頭で記憶の断片を繋ぎ合わせながら、掠れた声で続ける。
「師匠、は?」
「今も外の訓練場で、一人で身体を動かされています。レオン様が目を覚ましたらすぐに呼ぶようにと言われていますので、少し待っていてくださいね」
リリアが静かに窓を開けると、涼やかな朝の空気が室内に流れ込んできた。レオンは、寝着の上から自分の腹部にそっと手を当てた。皮膚の感触は普通だ。アルスの拳が貫通したはずの場所も、触れた限りでは傷跡すら残っていない。 だが、内側に何かがいる。自分の身体の一部として完全に機能していながら、元からは自分のものではなかった力強い何かが、確かに脈打っている。それは酷く不気味で奇妙な感覚だったが、同時に、不思議と不快ではなかった。アルスが客間に姿を現したのは、それから十分ほど後のことだった。
「目が覚めたか」
「はい。……俺、てっきり師匠に完全に殺されたんだと思ってました」
「死んでないだろ。お前の神経を喰おうとしていた魔物の核だけを、俺が直接つぶした」
「じゃあ、師匠がブチ開けたお腹の穴は……?」
アルスは無造作に椅子を引いて腰掛けた。
「俺の腕を切り離して、お前の傷口ごと埋めた」
レオンは完全に状況がつかめず、開いた口が塞がらないまま激しく困惑した。常識の範囲を遥かに逸脱した治療法に、思考が完全に停止する。
「とりあえず、五体満足で生きてるんだ。細かい仕組みなんかどうでもいいだろ。それより、その腹の感覚はどうだ?」
「何か……奥の方に、悍ましいくらいの魔力の塊というか、底知れない力強さのようなものを感じます」
「俺の肉体の組織が、お前の腹部と完全に同化して形成されている。機能としての問題はないはずだ、サリアが何度も確認した」
「……なんか、不思議な気分です。俺の体の中に、師匠の肉が混ざってるなんて。なんだか、繋がってるみたいな……」
「気持ち悪いことを言うな」
「師匠がそうさせたようなものじゃないですか」
レオンは苦笑しながら、もう一度腹に手を当てた。そして、真っ直ぐにアルスを見据える。
「ありがとうございます。……俺を、助けてくれて」
「礼はいい」
「いいえ、言います。本当に、自分の意識が消えて、死ぬかと思いましたから。本当に……」
アルスはそれ以上、何も言わなかった。
「師匠は……怖くなかったんですか。自分の腕を他人の体に突き入れて、それが切り離されてなくなるって分かってて」
「怖い怖くないの問題じゃない。あの瞬間は、それしか選択肢がなかった。ただそれだけだ」
「それしかなかった、か」
レオンは、その重い言葉を胸の中で何度も繰り返した。
その日の午後、サリアがレオンの容態を診るために検診に訪れた。 彼女はレオンの腹部にそっと両手を当て、自身の治癒魔力を通して、内部の細胞の状態を細かく調べていく。
「……本当に信じられない。思った以上に、完璧に馴染んでる。アルスの組織が、拒絶反応を一切起こさずに、完全にレオン君の一部になって補完し合っているわ」
「それって、俺の体にとって良いことなんですか?」
「ええ、悪くはないわ。むしろ、あり得ないほどの超回復。……ただ、一つだけ、さっきから気になることがあるの。レオン君、今、右手を軽く握り込んでみて」
言われるがままに、レオンがベッドの上で右手をぐっと握りしめた。 その瞬間、回路の無いはずのレオンの指先から、かすかな魔力の波動が陽炎のように漏れ出した。
「え……っ!?」
「今、感じた?」
「はい……まるで、俺自身の肉体から、直接魔力が湧き出ているみたいな……」
「そうよ」
サリアはレオンの右手に直接触れ、慎重に自分の魔力を同調させた。
「……アルスの組織から、レオン君の神経へ『何か』が伝達されてる。本来、アルスが持っている【強力な魔力耐性】と【魔力蓄積能力】。それらが、レオン君の肉体にも影響を及ぼし始めているみたいね」
「どういうことですか? 俺には魔法の回路なんてないのに……」
「一言で言うと、回路がなくても魔力を体内に『留め置き、受け入れる器』としての特性を、レオン君が自分のものとして使えるようになってきているのよ」
レオンは、信じられない思いで自分の右手を見つめていた。
「……これ、師匠に、伝えた方がいいですよね」
「アルスなら、もう薄々気づいているとは思う。でも、あなたから伝えてあげて」
夕方になり、アルスが検診の最終結果を聞きに客間へ戻ってきた。 サリアから一連の報告を受けたアルスは、黙ってレオンの前に立つと、その右手を確認した。
「握ってみろ」
レオンが全神経を集中させて拳を握り込む。 アルスはその手首を乱暴に掴み、皮膚越しに流れる魔力の感触を確かめた。
「……やはりそうか」
「師匠」
「何だ」
「俺、これ……使えるようになりますか。師匠みたいに、自分の肉体を何倍にも強化して戦うための力が、俺にも……」
「やってみないと分からない。だが、そのための素質はお前にはあるようだな」
レオンは、少しの間、夕暮れの光が差し込む床を見つめて考え込んでいた。やがて、覚悟を決めたように顔を上げる。
「一つ、約束させてください。俺、もう二度と化け物に屈したりしません。今回は師匠に自分の腕を犠牲にさせてまで、情けなく助けられた。だけど……次に同じような信奉組織の奴らや、魔物がこの街を襲ってきた時は、俺がこの手で追い払ってみせます。師匠から分けてもらったこの力を、何が何でも制御して、サリアさんやみんなを護れるくらいに、絶対に強くなってみせますから」
アルスは、静かにレオンの瞳を見つめ返した。
「それは、口じゃなく行動で示すことだ」
「分かってます。だから、見ていてください」
短い沈黙の後、アルスはフンと鼻を鳴らした。
「……せいぜい死なないように訓練することだな」
「はい!」
レオンはそう言って、力強く口元を引き結び、ニッと笑った。
燃えるような夕日が、異界の脅威に晒された街を、赤く、しかし力強く染め上げていた。




