61話 日常の終わり
戦いが終わり、俺たちはクライン王国から提供されている屋敷の食堂で夕食をとっていた。あれだけの轟音と血の臭いの中にいたのに、数時間もすれば、普通の生活に戻っていた。
「師匠、乾杯しましょう。俺、今日初めて、魔物を仕留めました」
レオンが、果実水の入ったグラスを差し出しながら言った。傷の残る顔に、照れたような笑みを浮かべている。
「お前が仕留めたわけじゃないがな…」
「でも、俺が粘ったから師匠が間に合ったんでしょう。それって半分は俺の手柄ですよね」
「強引な計算だ」
「私はレオン様の手柄にしても良いと思いますよ。レオン様が魔物を抑えていたのは事実ですし、そんなことできる人はクライン王国にもそういませんよ。」
リリアが、盆に料理を並べながら、柔らかく笑った。亜麻色の髪をきちんとまとめ、いつも通りの落ち着いた所作で食卓を整えていく。
「リリアさんがそう言うなら、そういうことにしておこう。確かに、お前の成長には目を見張るよ」
アルスは、弟子の成長をかみしめ、ほのかに微笑みながら乾杯をした。グラスが触れ合う、静かな音。
レオンは果実水を一口飲んで、大げさに顔をしかめた。
「はあ……。師匠はお酒なのに、俺は果実水ですか。完全に子供扱いじゃないですか」
「未成年だろ」
「俺、今日命懸けで戦ったんですよ?」
「それとこれとは別だ」
「ひどい師匠だ……。リリアさん、助けてください」
「あら、でも果実水はとてもおいしいものですよ。帝国産の最高品質ですから、お酒よりよっぽど希少です」
「……そういう話じゃないんですけど」
レオンが項垂れた。サリアがその様子を見て、口元を手で押さえながら笑った。
「本当に、仲良しね。二人とも」
「仲良しじゃないです。師弟です。全然違います」
「同じに見えるわよ」
サリアは、テーブルに両肘をついて、アルスの方を見た。
「それより、アルス。傷の確認させて。腕、見せなさい」
「もう治ってる」
「だから、確認させてって言ってるの」
アルスは、少し間を置いてから、右腕の袖をめくった。
レオンとリリアが、思わず視線を向けた。
先ほどまで、炎の弾丸で抉れていたはずの傷が、皮膚の表面に薄い痕を残すだけで、ほぼ塞がっていた。魔法でも、時間でもない。体内に残る魔石の力が、細胞を強引に再生させているのだ。
サリアが、傷跡に指先を当てながら、表情を変えなかった。変えなかったが、その指先に力がこもった。
「……魔石、また使ったのね」
「使わなければ死んでいた」
「それは分かってる。でも、今日で何回目かしら」
「数えてない」
「私は数えてる」
サリアが、指先を傷跡から離した。
「アルス、聞いて。魔石の継続摂取は、正常な細胞の代謝を書き換えていく。短期的には再生が早まるように見えるけど、長期的にどうなるかはわからないわ、前例がないんだもん。私、怖いわ。」
「俺の身体だ。俺が管理する」
「なによ!その言い方……」
「サリア」
アルスは、サリアを真っ直ぐに見た。
「俺が弱くあることが、もっと多くの人間を傷つける。今日、あの街の親子を守れたのは、俺が全力を出せたからだ。それを制限しろと言うなら、俺は聞けない」
テーブルに、沈黙が落ちた。
リリアが、静かに口を開いた。
「……サリア様。アルス様のお気持ちも、サリア様のお気持ちも、どちらも正しいと思います。ただ、今夜は勝利の夜ですから、この続きは明日にしてもよいのではないでしょうか」
リリアの声は穏やかで、責める色がなかった。
サリアは一瞬、何か言おうとして、それから視線を落とした。
「……そうね。ごめんなさい、今夜じゃなくて良かったわね」
その声は、普通の声だった。だが、その後、サリアはしばらく自分のグラスの中を見つめたまま、何も言わなかった。
レオンが、空気を読みながら、果実水を一口飲んだ。
「……美味しいですよ、これ。本当に」
誰も笑わなかった。
だが、しばらくして、リリアが料理を一皿追加で持ってきたのをきっかけに、会話が戻ってきた。他愛のない話。レオンが今日の戦いでどのくらい恐ろしかったか。信徒の装備がどれほど物騒だったか。
サリアも、少しずつ話に加わり始めた。ただ、アルスはサリアの笑顔が、少しだけぎこちないことに気づいていた。
食事が終わり、レオンとリリアが片付けを始めた頃、アルスは窓の外を見た。夜の街が、静かだった。
「明日からまた頑張ろうな、レオン」
「もちろんです。師匠こそ、倒れないでくださいよ。俺が、また助けられるとは限らないので」
「うるさい」
リリアが微笑みながら、最後の皿を持って台所へ消えた。
その夜、屋敷が静まり返ったあと。
街の外れ、かつて魔物兵との戦いがあった広場の片隅。昼間に片付けたはずの瓦礫の山の下で、ごく微細な動きが起きていた。
それは、音もなかった。光もなかった。
魔物兵の残骸。完全に死んだはずの肉片の一つが、地面の隙間に引き込まれるように、ゆっくりと消えていった。
その方向は、屋敷に向いていた。




