60話 渾身
続けて、怪物が突進してくる。アルスは、走った。正面から。真っ直ぐに。
レオンは思わず声を上げる。あの突進を真正面から受ければ、どうなるか。それは、嫌というほど見てきた。だが、アルスの足は止まらなかった。
両者が激突する、その直前。アルスの体内で、圧縮されていたエネルギーが、右の拳に集結した。風の魔力が、拳の周囲を薄く纏う。黒い炎が、その内側で超振動と混ざり合う。三種類の力が、拳の一点に収束する。ほんの一瞬だけ。これだけの出力は、一秒も持続できない。でも、一瞬で十分だ。
「ぉおおおおっ!!!」
叫ぶより先に、拳が出た。
ドガアアアアアアアンッ!!!
轟音が、市場全体を揺らした。衝撃波が広場を放射状に吹き抜け、残っていた露店の残骸が一斉に吹き飛ぶ。石畳が、拳の延長線上に沿って、亀裂を走らせながら割れていく。魔物兵は本能的に、アルスの攻撃の危険さに気が付き、咄嗟に体をひねるようにして回避した。それでも、かすった風圧により数メートル後退を余儀なくされる。
「ぐ、ガ……ッ!?」
人語に近い呻きが漏れた。融合した装甲が内側から弾け、黒い体液が滴り落ちている。レオンが、息を呑んだ。
「あいつの装甲が……ッ」
アルスは、拳を引きながら、体内の状態を素早く確認した。いきなり実践ということもあり、うまくいかない。一撃で、エネルギーの三割を消費してしまった。狙いも外れているし、なによりエネルギーが拡散している。脳内で魔力の動きを再度調整する。
怪物が、咆哮し、先頭の赤装束の信徒が、指示を飛ばす。
「全員、射撃開始! 奴を仕留めろ!」
周囲の建物の屋根の上、路地の影から、十数人の信徒が姿を現した。手に魔法銃を構え、アルスに向けて一斉に銃口を向ける。
同時射撃だ。しかも、今度は数が多い。
レオンが、即座に動いた。
怪物との交戦中も、レオンはずっと、信徒たちの位置を把握していた。建物の陰に隠れながら再集結していたのは、分かっていた。レオンは、結晶剣を両手で握り直し、最も近くの射線に割り込んだ。弾道を読んで体を滑り込ませ、一人の信徒の銃口をはじき上げる。発射された弾丸が、空へと逸れた。
「こっちは俺が対応します!」
アルスは、魔物兵に集中する。だが、全員の銃口を、レオン一人で防ぐことはできない。数が多すぎる。
弾丸が飛んでくる。アルスは、視界を引き延ばした。ニューラルバーストを、限界近くまで行使する。世界が、静止した。飛来する弾丸が、ゆっくりとした軌跡を描いて見える。一発一発の弾道が、ハッキリと見える。どこからどこへ、どのタイミングで来るか、全部が見える。
脳が焼ける。使い続ければ、どうなるかわからない。だが、そんなこと今に始まったことではない。
一発目。右から来る炎の弾丸。着弾の直前に、拳の周囲に風の魔力を集め、弾道を僅かに逸らす。弾丸が、肩の横を通り抜けた。
二発目。左斜め上から。肩に着弾を確認し、着弾点に超振動を集め、表面で砕く。破片が、頬を掠めた。
三発目。正面から。風の気流を薄く展開し、弾道に当てて減速させる。威力が落ちた状態で右腕に当たり、皮膚を焦がしたが肉には届かなかった。
四発目、五発目、六発目。
一つずつ、対応していく。全身への分散ではない。来た弾丸に、必要な分だけのエネルギーを、ピンポイントで当てていく。全部を防ぎきる必要はない。致命傷になるものだけを、防ぐ。
アルスは、魔物兵へ向き直った。
体内のエネルギーを確認する。残り6割。
足りる。
「魔物兵!魔法防壁を使いなさい!奴の攻撃はそれで防げます!」
信徒の指示に従い、魔物兵は、前方に魔力防壁を何重にも展開する。その上に、黒炎を巻き付け、己自身を炎の弾丸と変え、再び突進してきた。
アルスは、突進のコースから動かなかった。今のアルスに、器用な攻撃をする余裕はなかった。体内の魔力を操作し、完全にコントロールする。極限まで圧縮した全魔力を、衝突の一瞬だけこぶしで解放、限界を超えた振動を発生させ、風と炎でそれを直線的に伝播するイメージ。スローモーションの中、うっすらと見える魔物兵の魔力防壁に向かってこぶしを突き出す。
「ォォォォォォォっ!!!」
着弾の瞬間、黒い炎が風により指向性を得て、超振動を伴い魔力防壁を砕き散る。
まるでガラスのように、幾重に重ねられた防壁はあっけなく消し飛び、魔物兵の肉体へと突き刺さる。
ブアアアアアアアアアンッ!!!!!!!
今度の轟音は、先ほどの比ではなかった。
怪物の上半身が、吹き飛ぶ。融合していた装甲と肉が四散し、血の雨が路地に降り注ぐ。残された下半身が、ゆっくりと、石畳の上に倒れる。
広場に、静寂が戻ってきた。
先頭の男が、初めて言葉を失っていた。
レオンが、呆然と立ち尽くしながら、倒れた怪物の残骸を見つめていた。
声を絞り出すのに、少し時間がかかった。
「師匠、今の……何をしたんですか」
「全力で殴った。俺の今までのすべてを込めてな。」
アルスは、拳を下ろしながら、短く答えた。レオンは、何も言えなかった。
先頭の男の声が、遠ざかりながら聞こえてきた。
「予想以上ですね……。今日は撤退します。」
紅い法衣の一団が、路地の奥へと消えていく。
広場には、崩れた石畳と、瓦礫の山だけが残された。
「師匠、怪我は」
「ある。だが、歩ける」
「治療を……」
「後でいい。先に、あの親子を安全な場所に移せ」
アルスは、壊れた民家の方向へ顎を向けた。
先ほど、怪物の突進で民家の壁を突き破ったとき、その奥に親子が隠れていた。
「……はい」
レオンは走り出した。
アルスは、その背中を見送りながら、ゆっくりと息を吐いた。
体が悲鳴を上げている。だがいつものことだ。この世界に降り立った時から覚悟していた。
体の痛みの中で、アルスはこぶしを強く握る。新しい力を手に入れた手応えと、まだこれから強くなれることへの確信を感じていた。
夕暮れの光が、崩れた石畳を赤く染めていた。




