59話 原点回帰
アルスは壁の瓦礫に半身を埋めたまま、意識の端で、自分の肉体の状態を確認していた。右足の膝裏に、炎の弾丸が貫通している。脇腹の肉が、大剣で抉れている。全身の毛細血管が、魔法地雷の爆圧で潰れている。だが、問題ない。痛みは感じているが、立てないわけではない。意識を内側に向け、肉体の損傷を一つずつ確認していく。即死するような傷はない。行動不能になるような損傷もない。こんな傷今までも、いくらでも負ってきた。
遠くから、レオンの息の上がった声が聞こえてくる。
戦っている。まだ生きている。アルスは、ゆっくりと瓦礫から身体を引き剥がした。その作業をしながら、思考が動き出す。
今日、俺は何を間違えた。答えは単純だった。慢心だ。魔道具を使えば、回路のない自分でも「魔法使いと同じ土俵」に立てる。そう思っていた。魔法銃を使い、ガントレットで風をまとい、魔力結晶を噛み砕いて強化した。それで戦えると思っていた。
だが、奴らも同じ土俵に立っている、しかも、はるかに王国の技術を凌駕している。魔道具で戦うなら、奴らの方が格段に上だ。資金も、技術も、数も。その土俵で戦い続ける限り、こちらは常に劣勢になる。
(俺は、何者だ)
アルスは、壁に手をついて立ち上がりながら、自分に問いかけた。格闘家か。違う。兵隊か。違う。魔法使いか。違う。この世界では、最初から「無能」と呼ばれた人間だ。回路がない。魔法が使えない。誰からも期待されなかった。それでも、ここまで来た。なぜ来られた。
いつも、ギリギリで全力を尽くしたからだ。
道具を使って「それなりに」戦ったときではない。自分の肉体のすべてを、その瞬間に燃やし尽くして前に進んだ時だけ、俺は壁を超えてきた。
俺の技は自身も傷つける諸刃の剣。いつ限界がきて壊れてしまうかわからない。前例のない存在。サリアを心配させてはいけない。ここまで来たら落ち着いた戦いをすべき。そういう計算が、どこかに働いていた。
俺はいつだって、持っているものを全部使って、それでもギリギリだった。
アルスは、懐に手を入れた。
指先に触れたのは、二種類の感触。
一つは、風属性の魔力結晶。
もう一つは、危険な魔力の塊、魔石。
混ぜたことはない。両方同時に体内に取り込んだら、何が起きるか分からない。魔力の干渉が起きるかもしれない。内臓が焼けるかもしれない。最悪、制御不能になる。だが、構想は以前からあったし、できるという確信もあった。だが、俺の中の慢心・保身というブレーキが俺の成長を止めていた。
(やっと気づいたよ・・俺の弱さに・・)
アルスは、結晶と魔石を、同時に口に放り込んだ。
奥歯で、全部まとめて噛み砕く。
――全身に、電撃が走った。
「ぐ、あ……ッ!」
熱と、冷気と、振動が、同時に神経を駆け抜けていく。風の魔力が体内を膨張させ、魔石の黒い炎が全身の細胞を焼き、その相反するエネルギーが体内でぶつかり合う。普通の人間なら、どちらか一方を取り込むだけで、内側から崩れている。
だが、アルスの肉体は違う。死の淵で改造し続けた肉体は、この二種類のエネルギーを、別々の「回路」として受け入れた。風の魔力が体を覆い、黒い炎が体内にしみこむ。相互干渉を最低限に抑え、二つのエネルギーが、体内で並走を始めた。魔石からの莫大なエネルギーと魔物の共通意識が脳内に流れ込む。
(あいつには絶大な防御がある。もう人間だと思うな。俺のありったけをぶつける。全部、一点に集める)
発想の転換だった。
全身に垂れ流すのをやめ攻撃の瞬間だけ、一点に集約する。
常時出力は落ちる。だが、その一点にかかるエネルギーは、これまでの比ではない。
アルスは、両手の拳を一度、ゆっくりと握った。体内のエネルギーが、抑え込まれ、圧縮されていくのを感じた。
それを感じながら、アルスは立ち上がると同時に走り出した。
レオンは、幾度目かの突進をかわした直後、背中に何か得体のしれない魔力の塊の気配を感じた。
「退け、レオン!俺がやる!」
その声を聞いた瞬間、レオンの足から力が抜けた。
膝が、じわりと震えた。
「し、師匠……!?」
アルスが、いた。
全身に傷を負い、黒い炎と風の気流を漏らしながら、しかし確かな足取りで、怪物と自分の間に立っていた。
「生きてたんですか……っ、よかった……!」
「今は…奴をぶっ殺すことに集中しろ!」
レオンは、アルスの様子が、これまでと何かが違うことに気づいた。体内に、莫大な魔力が強引に押し込められているような気配を感じた。
怪物が、三対の眼球でアルスを捉え、裂けた顎をさらに大きく開いた。
「ギャアアアアアアッ!!!」
「何度立ち上がろうとも同じです。あなたの戦闘力では、魔物兵には敵いませんよ。」
赤い装束の男が嘲笑する。
次の瞬間、魔獣の口から、広場全体を丸ごと飲み込むほどの、禍々しい「黒い炎の濁流」が解き放たれた。直撃すれば一瞬で消滅させる、圧倒的な死の爆炎。 黒炎の津波が、凄まじい轟音とともにアルスへと押し寄せる。
だが、アルスは眉一つ動かさなかった。
「――邪魔だ!」
アルスは静かに右拳を突き出した。その瞬間、体内に圧縮されていた風の結晶の魔力と、魔石のエネルギーが一気に拳へと爆発的に集約される。
ドンッ!!!
放たれたのは、ただの拳ではない。 極限まで圧縮された大気が一瞬で解放され、超振動を伴った風の衝撃波となって空間そのものを削りながら前方へと炸裂したのだ。
目に見える空気の壁が、凄まじい速度で波紋を広げる。 アルスの放った不可視の衝撃波は、正面から迫り来ていた黒い炎の濁流と激突した瞬間、その熱エネルギーごと、力ずくで周囲の空間へと霧散させ、完全に吹き飛ばした。
爆風の衝撃波はそのまま衰えることなく突き進み、広場の周囲に居残っていた紅い法衣の信徒たちをも巻き込んでいく。
「な、何だと……っ!? 魔道具で強化された魔物の炎を、ただの拳圧で……!?」
肉を焦がすことすらなく、絶対的な暴力を文字通り「無」に帰された光景に、赤装束の信徒たちが驚愕のあまり声を裏返した。
立ち込める煙と火花を裂いて、アルスが力強く、確実な一歩を踏み出した。




