58話 鉄の魔獣
馬車ほどもある鋼鉄の塊が、広場の石畳を抉りながら四脚で立っている。
レオンは結晶剣に予備の結晶をはめ込み、戦闘態勢を取った。だが、その威圧感は次元が違う。先ほどまでの重装騎士とは、根本的に「重さ」が違っていた。
(落ち着け。焦るな。見ろ――こいつは何が変わり、何が変わっていない?)
恐怖を押し殺しながら、レオンは眼前の怪物を観察する。
人間だった頃の骨格は辛うじて残っている。四脚になったとはいえ、重心の位置は大きく変わっていない。背中には推進用の風導具が埋め込まれている。ならば、あの爆発的な加速力も健在だ。
つまり、直線的な突進は来る。
(問題は、あの鋼鉄の装甲だ)
変貌前の甲冑が肉と融合し、体表のすべてを鉄の鱗が覆っている。しかも、ただの鉄ではない。魔石の力で内側から焼き固められた魔導装甲だ。結晶剣の炎の刃で、どこまで斬り込めるのか。それは、戦ってみなければ分からない。
「オオオオオオオッ!!」
咆哮と同時に、背中の風導具が爆音を轟かせる。
ズドドドドドッ!
四脚が石畳を砕き、怪物が一直線に突っ込んできた。レオンは真横へ跳ぶ。突進をかわし、すれ違いざまに結晶剣の炎を最大出力で叩きつける。刃が鋼鉄の側面を走った。火花が散る。金属が削れる匂いが鼻をつく。怪物は止まることなく壁へ激突し、そのまま突き破って向こう側へ抜けた。民家の一角が塵となって崩れ落ちる。
(斬れてはいる。だが、浅すぎる)
レオンは怪物の体表を見つめた。
炎の刃が走った箇所には、かすかな白い傷跡が残っている。確かに傷は付いた。だが、その深さは一ミリにも満たない。
(この出力で、この程度か)
(焦るな。まずは動きを掴め)
怪物が向き直り、三対の赤い眼球がレオンを捉えた。
「ガアアアアッ!!」
二度目の突進。
だが今度は、途中で急角度に進路を変えてきた。
(速い!)
レオンは驚愕した。
変貌前の騎士は急旋回が苦手だった。その弱点を突いて戦ってきた。だが、四脚となった今は旋回性能が格段に向上している。咄嗟に後方へ跳び、左手の建物の壁を踏み台にして上へ逃れる。怪物の突進が、ほんの一瞬前まで自分がいた空間を抉った。
(上に逃げたのは正解だ。この体格で壁を駆け上がるのは難しい)
屋根の端へ着地し、眼下を見下ろす。
「はぁ……はぁ……」
息が上がる。
まだ二度しか攻撃を受けていない。それなのに足が震えていた。圧倒的な存在感だけで、体力を削られていく。怪物が顔を上げ、にやりと笑う。裂けた顎から、どす黒い炎が噴き上がった。屋根全体が一瞬で燃え上がる。
「ッ!」
レオンは反射的に屋根を蹴り、隣の建物へ飛び移る。直後、足場にしていた屋根は炎に呑まれ、崩れ落ちた。
走りながら観察する。顎が向いた先に、必ず炎が来る。それさえ分かれば炎は避けられる。だが炎を避ければ突進が来る。突進をかわせば炎が襲う。どちらも致命的で、回避するだけで精一杯だった。攻撃の隙は、確かにある。突進の軌道を読んだ瞬間、レオンは踏み込んだ。すれ違いざま、結晶剣の出力を一点へ集中させて叩き込む。
ガンッ、と鈍い音。
ほとんど手応えがない。魔導装甲には魔石のエネルギーが循環しているのか、衝撃そのものを吸収しているようだった。
(外装を斬っても駄目だ)
次の突進では脚の関節を狙う。変貌前の騎士が急旋回を苦手としていた弱点だ。刃を甲冑の上で滑らせ、関節の隙間へ切り込む。赤黒い血が噴き出した。金属と肉が入り混じる、嫌な手応え。だが怪物は脚を引きずることもなく、速度すら落とさない。
(ダメージになっていない……。もう再生したのか!?)
距離を取りながら、レオンは結晶剣を見た。怪物の体液が付着した部分は黒く変色し、出力が目に見えて落ちている。状況は悪化する一方だ。
(それでも、やれることは全部やる!)
「じゃあ……これは?」
懐から使い捨ての防壁結晶を三枚取り出す。角度を計算しながら怪物の進路へ投げた。狙いはダメージではない。
突進の勢いを、わずかでも逸らすこと。怪物が突っ込む。結晶が軌道上で炸裂し、爆風が巨体をわずかに押した。ほんの少しだけ進路が逸れる。
(方向は変えられる)
その隙に側面へ回り込み、首筋へ渾身の斬撃を振り下ろす。首を落とし、再生の暇すら与えなければいいのだ。
だが、首筋には魔力障壁が展開され、刃は弾かれた。
(駄目だ……これも通らない。あと何がある?)
レオンは残りの結晶を確認する。もう多くはない。怪物が再び向き直る。全身が緊張で強張った。
(師匠は今どこにいる? いや……俺が倒し切らないと)
振り返ることはできない。視線を逸らした瞬間に死ぬ。それだけは本能で理解していた。だから前だけを見る。
「ガアアアアアアアッ!!」
魔獣が、再び突進してきた。




