57話 戦闘の天才
まさか……師匠が、圧されている……!?
レオンの視界の端で、世界の理そのものがガラガラと崩れ落ちる音がした。
どんな不条理も、どんな圧倒的な暴力も、その拳一つで容易く粉砕してきた絶対の存在。そのアルスが血を流し、薄汚い民家の瓦礫の中に倒伏している。
「立て、アルス」
重装騎士が赤黒い熱線を撒き散らす大剣を構え、無防備なアルスへと一歩を踏み出す。
その瞬間、レオンの脳内で、パキンと何かが冷酷に弾け飛んだ。
――恐怖? 絶望?
違う。そんな生温い感情は、一瞬で蒸発した。
今ここで、俺がすべてを投げ打たなければ、師匠が死ぬ。それだけが、鋭利な刃物となってレオンの魂を貫いていた。
「……あ、ああああああああっ!!」
喉が裂けるような咆哮。
レオンの手にする結晶剣が、かつてないほどの密度で真っ赤に激発した。膨れ上がった魔力の塊が、三倍以上に膨張する。群がっていた紅い法衣の信徒どもが、その威圧感に怯んだ。
「馬鹿な!?魔道具の出力が上がるなどあり得ない!」
魔道具は、結晶の質だけで能力が決まる。術者の魔力の影響を受けないはずだった。
「退けェッ!!」
レオンが叫び、剣が答える、邪魔者をなぎ倒す横一閃。
肉を断ち、骨を砕き、魔力を帯びた強固な刃が、群がる信徒たちをまとめて吹き飛ばす。血飛沫の霧を突き抜け、レオンの身体は弾かれたようにアルスと重装騎士の間へと跳んだ。
バァンッ!
上空、屋根裏に居残った最後の狙撃手が、割り込んできたレオンに鋭く銃口を向け、炎の鉄弾を撃ち出す。
アルスすら苦戦させた、音速を超える死の質量。
だが、今のレオンの五感は、その弾道をスローモーションのように捉えていた。
「そんな単純な直進、見えてるんだよ……!」
レオンは走りながら、拾い上げていた露店に積み上げられた金属製の鍋を弾道の延長線上、絶妙な角度に構える。
炎の鉄弾が鍋の側面に激突した瞬間、その凄まじい運動エネルギーが、斜面に沿って鋭く跳ね返った。
直撃したのは、まさに今、次弾を装填しようとしていた、屋根の上の狙撃手自身の胸元だった。
ドガァァンッ!!
自らの放った弾丸が跳ね返り、狙撃手が絶叫とともに吹き飛ぶ。
(環境を使え、師匠が言ってた通りだ)
上空の脅威を、レオンは一瞬で、しかも敵の攻撃をそのまま返すことで排除してみせた。
「小癪な羽虫が……! ならば貴様から細切れにしてくれる!」
標的をレオンに変えた重装騎士が、推進用の風導具を大爆発させ、その巨体で肉薄する。
まともに受ければ消し飛ばされる。こいつはアルスの振動拳すら耐えた、国家防衛級の魔力障壁を備えている。
だが、レオンは最初から、この『歩く要塞』と真正面から力比べをする気など毛頭なかった。
(ドでかい甲冑、ドでかい武器……何より、動きが直線)
レオンの視線が、猛然と肉薄する騎士の足元へと向いた。
これほどの重量と推進力だ。真っ直ぐ突っ込んでくる分には無敵だが、急な方向転換には絶対に向いていない。
激突の寸前、レオンは真横へ鋭く身を翻した。暴走する鉄塊が、レオンの鼻先を猛然とすり抜けていく。
だが、騎士は力任せに大剣の軌道を変え、無理やりレオンを追って急旋回を試みた。推進用の風導具を逆噴射させ、強引に片足を踏み込んで巨体をねじる。
ギギィッ!! と、甲冑の足首から耳障りな金属の悲鳴が上がった。
(やっぱりだ……!)
レオンの目が、その瞬間を見逃さなかった。あれだけの巨体と推進力を強引に捻じ曲げれば、旋回の軸となる「足首の駆動部」に自重の数倍のGが集中する。一回急旋回を行えば、騎士の足首の魔道具に凄まじい負担がかかり、不規則な火花を散らし出力が一瞬、目に見えてガクンと落ちる。
奴の制動限界はそこだ。
「小癪な、ちょこまかと……!」
騎士が再び風導具を爆発させ、レオンを視界に捉え直して突進してくる。 レオンはまたしても直前まで引き付け、今度は逆方向へと鋭く跳んだ。
「舐めるなッ!!」
憤怒に駆られた騎士が、再び同じ「急制動からの急旋回」を強行する。 一度目の旋回で無理をしていた足首の駆動部へ、容赦のない二度目の超重負荷が叩きつけられた。限界を超えた魔導回路が悲鳴を上げる、足首の動きが完全に一瞬ロックされる。
「な……っ!?」
推進力に対して、足回りの制御が大幅にずれ、騎士の巨体は自らの突進の勢いと自重を支えきれなくなり、前傾姿勢のままガクリと大きくバランスを崩した。大剣を振り下ろす軌道が、虚空へと大きくブレる。
完璧な隙。
「今だ……!」
一瞬の隙を突き、レオンはすれ違いざまに結晶剣を激しく振り下ろした。狙うは、アルスの攻撃により削られている「魔力障壁」だ。見えない盾が、乾いた音を立てて完全に砕け散る。
だが、騎士もただでは止まらない。障壁を破られながらも、強引にその巨体をねじり、レオンに向けて大剣を振り抜こうと牙を剥く。
今から剣を持ち直していては、間に合わない。
(なら――!)
レオンは結晶剣の『炎』の術式を瞬間的に爆発させ、それをすべて前進するためのエネルギー――『推力』へと強引に変換した。
レオンは剣の刃ではなく、逆手に握った結晶剣の柄を、鎧の隙間へと真っ直ぐに突き出した。
ドシュウウウウッ!!
剣の炎がロケットのような圧倒的な加速を生み、押し出された柄頭は、騎士の装甲を強引に押し広げて体内に深く、深くめり込んだ。
「結晶の過負荷――弾けろ!!」
流し込まれた過剰な魔力が、騎士の肉体の中で臨界点を迎える。
次の瞬間、体内に侵入した結晶が爆発的に増殖し、赤く鋭利な棘となって内側から四方八方へと弾け飛んだ。
「が、はっ……あ、ああああああああっ!?」
兜の隙間から、騎士の絶叫と大量の鮮血が噴き出す。
どれほど外側を無敵の障壁で固めようと、内側からの爆発には耐えられない。ピキピキと鈍色の甲冑全体に無数の亀裂が走り、歩く要塞が内側から結晶に突き破られて、内部から完全に破壊された巨体が激しく後方へと吹き飛んだ。
勝った。
レオンの機転と、アルスが残した布石が、ついにこの怪物を仕留めた。 ――そう、確信した、その刹那だった。
「……ハ, ハハ……まだだ……主の、御為に……ッ!!」
血反吐をぶちまけながら、死に体の重装騎士が、甲冑に埋め込まれていた魔石をむしり取る。 兜の隙間へ、その歪な結晶を強引にねじ込み、奥歯でバリバリと凄絶な音を立てて噛み砕き、そのまま飲み込んだ。
――ドクン。
心臓の鼓動のような、不気味で重い低音が広場全体に響き渡る。 次の瞬間、騎士の喉の奥から、人間のものとは思えない、地響きのような咆哮が炸裂した。
「ガ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
咆哮とともに、男の肉体が着ていた鉄甲冑を内側から呑み込み、急速に巨大化していく。
それは、鉄の装甲と黒い変異肉がドロドロに融解し、完全に融合した『鋼鉄の四足獣』への変貌だった。
人間の四肢は装甲板を巻き込んで倍以上に太り、地面を削る「頑丈な四脚」へと変形。背中には推進用だった風導具の鉄筒が『鉄の背鰭』のように埋め込まれ、高圧の風をブシューッ!と不規則に噴き上げている。
割れた兜の隙間からは『三対の赤い眼球』が剥き出しになってギラつき、裂けた鋼鉄の顎からは、黒い涎がボタボタと滴り落ちていた。
魔導具の硬度と、魔物の怪力が最悪の形で融合した、馬車ほどもある『鉄の魔獣』。
「師匠……っ!?」
圧倒的な魔力圧を放ち、四本の鋼鉄の脚でじりじりと迫る怪物を前に、レオンは結晶剣を構えたまま、半歩後退りした。本当の絶望は、まだ始まったばかりだったのだ。




