56話 罠
誘い込まれている――。
それは、路地裏に踏み込んだ瞬間に分かっていた。
だが、奴らの逃走速度は、俺の移動速度を絶妙に合わせて『追える速さ』を維持している。こちらの焦りを煽り、特定のルートへ誘導するための、教科書通りの誘引戦術だ。
「師匠、あいつら、さらに奥へ……!」
「構うな、距離を詰めるぞ!」
入り組んだ王都の裏路地を、紅い法衣が流れるように擦り抜けていく。
急な曲がり角を抜けた瞬間、視界がわずかに開けた。そこは、周囲を古びた共同住宅の黒ずんだ壁に囲まれた、小さな広場だった。
夕暮れの赤い光すら届かないその陰惨な場所に、先頭の男が不意に足を止めて振り返る。
「ここまで、よくついてきてくれました、アルス殿」
男が細い目をさらに細め、三日月のように歪に微笑んだ。
その瞬間、全身の毛が逆立つような、最大級の警鐘が脳内で鳴り響く。
だが、俺は、構わず距離を縮め、足を踏み出した。
カチッ
網膜を焼きにくるような、禍々しい光が、足元の隙間から爆発的に膨れ上がる。
(――魔法地雷!)
魔法によってステルス性を高め、威力を極限まで引き上げた、対魔族用の強力なトラップ。
回避の余地はない。
俺は一瞬で右足に魔力を集めた。直後、鼓膜を抉るような大爆音と共に、凄まじい爆風が真下から俺の肉体を打ち据えた。
「ぐっ……!!」
爆心地の衝撃波が脳を激しく揺さぶり、剥き出しの強烈な魔法エネルギーが容赦なく皮膚を焼きちぎる。
致命傷こそ免れたものの、仕込まれていた細かな魔力結晶の破片が散弾となって突き刺さり、全身のあらゆる箇所から鮮血が勢いよく吹き出した。赤黒い霧が視界に舞う。
「師匠っ!?」
「レオン、前を見ろ! 敵が来る!」
爆煙の向こうから、紅い法衣を纏った信徒たちが容赦なくレオンへと襲いかかる。
「くそっ、この狂信者どもが……!」
レオンは結晶剣を引き抜き、応戦せざるを得なくなる。三人、五人、七人――命をゴミのように投げ打つ執拗な連係でレオンの動きを縛り、俺から引き離していく。レオンの実力なら負けはしない。
地雷のダメージで焼けるような痛みを堪え、煙を払いながら構える。
――ズドンッ!! と大気を震わせる、暴力的な硝煙の爆鳴。上空から猛烈な速度の弾丸が飛び込んできた。
俺は半身をひねり、最小限の動きでそれを避ける。だが、わずかに反応が遅れた。魔力で強化された火薬で、音速を超えて飛来した炎の鉄弾。掠めただけで、左肩の肉を毟り取るように抉り抜かれた。
「ほう、今の狙撃を避けますか」
見上げれば、共同住宅の屋根の上に、巨大な筒状の『魔法銃』を構えた信徒が三人、銃口をこちらに向けていた。
魔力革命の産物。既存の鉄砲をベースに、人工魔法結晶を組み込んで魔改造した兵器。
通常の携帯銃では耐えられない過剰な火薬量と重い鉄弾。それを魔力による銃身耐久アップと反動軽減で強引にねじ伏せ、弾丸には炎魔法が付与されている。回路を持たない一般人ですら、鉄の質量と炎の暴力で全てをすり潰す兵器。
続けざまに放たれる、凄まじい轟音と硝煙を伴った炎の弾丸。
躱すのは容易い。だが、俺が半歩でも動けば、その真っ直ぐな射線の先にある民家、もしくは周囲の住民に当たる可能性がある。奴らはそれを完全に理解して、俺が「避けない」位置から正確に狙撃してきているのだ。
俺はガントレット型の魔導具を顔の前に構え、風の障壁を展開、さらに超振動をそこへ乗せる。
射線上に構え、叩きつけられる炎の鉄弾を相殺する。だが、三方向からの同時射撃をさばくには効果範囲が狭すぎた。
防ぎきれなかった一発が右前腕を捉え、鉄の質量と炎の熱量がジリジリと肉を焼きながら抉っていく。
動きを止めれば完全にジリ貧だ。俺は懐から、出力を最大にした使い捨ての小型魔法銃を二本、同時に引き抜いた。
「墜ちろ」
狙いなどつけず、感覚だけで屋根の上の狙撃手たちへ向けて発射する。許容限界を超えた魔力が銃身を激しく焼き切り破裂する、同時に、二人の狙撃手の頭部をぶち抜いた。二人が屋根を滑り落ちる。
「ハハハ!あなたは目がよすぎる故、周り全てが『枷』になる!動きが鈍い!」
先頭の男が歪んだ笑声を上げる。
――その、直後。
飛び散る瓦礫と硝煙を割って、凄まじい質量がこちらへ向かって突進してくる姿が視界に飛び込んできた。
現れたのは、全身を鈍色に光る異様な重装甲で固めた、一人の『騎士』。その甲冑の全身には、魔力結晶と魔石が大量に埋め込まれている。全身が超高額な『魔導具』で構成された、歩く要塞。
甲冑に仕込まれた推進用の風導具が轟音と共に火を噴き、その巨体からは想像もつかない爆発的な速度で俺との距離をゼロにする。
間髪入れずに振り下ろされる、大気の悲鳴を伴った凶悪な大剣の一撃。
地雷で傷ついた身体を強引に駆動させ、上体をねじって斜め後ろへと地を滑った。鼻先を掠めるように巨大な熱線の刃が通り過ぎ、風圧だけで皮膚がひりつく。かろうじて避けた。
「なめるな……っ!」
俺は懐から取り出した、魔法結晶を口の中に放り込み、奥歯で噛み砕いた。
エネルギーが体内を駆け巡り、一時的な回路を形成する。体中から溢れ出した赤い炎が身体を保護し、風の防壁に炎を混ぜ込みながら、拳の威力を極限まで高めた。
騎士の甲冑に向け、冷静に拳を突き出す。
――その、肉薄する刹那だった。
バァンッ! と上空で、さらに銃声が跳ねる。
屋根に残った最後の一人が放った狙撃が、地雷で負傷した俺の右足の膝裏へと、もろに突き刺さった。
「が、あ……っ!?」
肉と鉄が焼け焦げる異臭と共に、軸足の膝がガクリと崩れる。
ほんの数ミリのズレ。だが、完璧だったはずの一撃の軸が致命的にブレた。威力が減衰した状態のまま、拳が騎士の胸元へ衝突する。
――振動拳。
魔力を集中・超高速振動させ、ガントレットを介して放たれる破壊の拳。
激突の瞬間、騎士の甲冑から、何層もの半透明な魔力障壁が波紋のように展開されていた。
俺の放った震動波は、その強固な障壁の連結構造を分子レベルで激しく揺さぶり、凄まじい速度で次々と粉砕していった。十層、十五層が瞬時にガラスのように割れ散る。
防壁を内側から激しく削り落としていくが――最後の数層を残したところで、衝撃の伝播がピタリと止まった。
騎士の目が兜の隙間で驚愕に見開かれる。だが、全力の一撃を防がれた俺の体勢は、完全に隙だらけとなっていた。
騎士が、その手に持った大剣を猛然と振り抜く。刀身が赤黒く発熱し、大気を陽炎でドロドロに歪めていた。それ自体が莫大な熱量を放出する、熱線伝導の魔導具。
ドガァァァンッ!!!
防御が間に合わず、大剣を真横からまともに喰らう。
凄まじい質量と灼熱が脇腹を襲い、俺の身体は派手に吹き飛んだ。そのまま共同住宅の頑丈な石壁へと叩きつけられる。
背骨が折れるような衝撃。激しい土煙が舞い上がり、背後の壁を完全にぶち壊して、俺の内部へと転がり込んだ。瓦礫が激しく飛び散る。
「いやああああっ!?」
暗い部屋の隅で、破片を浴びた住民の親子が、互いを抱きしめ合いながら狂ったように泣き叫んでいる。
「がはっ……、ゲホッ……!」
口から熱い鮮血がドロリと飛び散った。
全身の骨が悲鳴を上げ、肺の空気が強制的に押し出される。脇腹の肉には浅い裂傷が入り、血が流れ落ちていく。
(……舐めていた)
視界がチカチカと明滅する中、俺は奥歯を噛み締めた。
回路もなく、魔法も使えないはずのただの人間が、俺に勝てるわけがないと――心のどこかで、完全に慢心していた。
「師匠ーーっ!?」
信徒数人を結晶剣で切り伏せながら、遠くからレオンが悲痛な叫び声を上げた。
その顔は、絶望と驚愕に染まっている。
あのどんな不条理をも拳一つで粉砕してきた師が、血を流し、壁を突き破って倒れている。レオンにとっては、まさかアルスがこれほどまでに苦戦するなどとは微塵も思っていなかった。あり得ない、世界の理がひっくり返るほどの光景。
「まさか……師匠が、圧されている……!?」
「立て、アルス」
重装騎士が、大剣からボタボタと不気味な黒炎を滴らせ、壊れた壁の隙間から一歩ずつ近づいてくる。
「灼熱なる御方の未来に、貴様のような不確定要素は不要。その首、ここで貰い受ける」
視界が赤く染まる中、俺は突き立てられた大剣の風圧を肌に感じながら、泥と血にまみれた身体を強引に起こそうとした。奴らの狂気は、こちらの想定を遥かに超えて、組織的かつ冷徹に、俺の首を刈りに来ていた。




