55話 灼熱の信者
魔石工場の調査から数日後。
俺はレオンを伴い、エドモンド伯爵から呼び出しを受け、王都の貴族街にある彼の屋敷を訪れていた。
「アルス殿、わざわざお越しいただき感謝します。……レオンくんも、よく来てくれましたね」
応接間に通されると、エドモンド伯爵はいつになく深刻な表情を浮かべていた。
「先日の施設の件、私の方でも詳しく調べさせていただきました」
「あのデータから組織の尻尾は掴めたか?」
「いえ……それが、非常に厄介な事態になっておりましてね。アルス殿がデータを回収し、正規騎士団が施設に向かったのですが、到着したときにはすでに遅かったのです」
「……何?」
俺は初耳の情報に、わずかに眉をひそめた。隣に座るレオンも緊張したように身を乗り出す。
「実は、騎士団が到着したときには、見慣れない紋章を掲げた一団が、工場を焼却し立ち去ったというのです。これを見ていただけますか」
エドモンド伯爵が差し出した一枚の紙。そこに描かれていたのは、どろりとした不気味な炎が、世界を包み込むように燃え盛る異様な意匠の紋章だった。
「炎、か」
俺の脳裏に、あの男の顔が過り、嫌な予感が全身を駆け巡った。
「噂では、ある『絶対的な強者』を神格化する、謎の宗教組織が存在するという話があるのです。各国の裏社会や軍の末端にまで、密かに信奉者を増やしている、と。その中心にいる強者というのが……かつて世界を震撼させた『太陽の降臨』を引き起こした人物ではないか、と言われているのです」
その言葉に、応接間の空気がピリピリと張り詰めた。
「――イグニス、か」
俺が静かにその名を口にした瞬間、応接間の扉が激しくノックされた。
「失礼します、伯爵閣下! 例の一団が、王都の南門付近、市場の方角に現れたとの報告が!」
「何ですと……!」
「行くぞ、レオン」
「はいっ!」
俺とレオンは、エドモンド伯爵の言葉が終わる前に、すでに駆け出していた。
夕暮れ時の南門付近の市場は、異様な静寂に包まれていた。
露店の商人たちが怯えた様子で店の奥に身を潜め、荷馬車がひっくり返ったまま放置されている。行き場をなくした人々が壁際に貼りついたまま、誰も声を上げることができない。
その市場の中央に、十数人ほどの一団が完全武装して毅然と佇み、周囲を威圧するように不気味な魔力を垂れ流していた。纏っているのは、漆黒に近い紅色の法衣。先頭に立つ男の胸元には、あの『燃え盛る炎』の紋章が鈍く輝いている。
「……何の用だ、お前たち」
俺は彼らとの距離を詰めながら、低く声をかけた。
先頭の男がゆっくりとこちらを振り返る。フードの奥から覗く目は、狂気とも言えるギラギラとした熱を帯びていた。
「これは、これは。噂に聞くアルス殿ですか。わざわざお出迎えいただき光栄です」
「目的は何だ。あの廃坑で何をしていた?」
「すべては灼熱なる御方への奉仕。……それ以外にありません」
「イグニスのことか。正気かお前ら、あいつが何をしたか忘れたわけじゃないだろう」
その名を口にした瞬間、男たちの間に、明確な「敬虔さ」と「怒り」が波紋のように広がった。背後の信徒たちが、一斉に一糸乱れぬ動作で胸に手を当てる。
「御方の御名を、その汚い口で軽々しく呼ぶな」
先頭の男が、声のトーンを一段落として、静かに言い放つ。
「あの御方は、世界の在り方を根底から灼き尽くし、再構築される唯一無二の神。お前たちのような凡庸な存在には、想像もつかないほどの清浄なる未来を、我らに約束してくださっている」
「あいつが約束するのは破滅だけだ」
その言葉に、男は答えなかった。代わりに、薄く、じっとりとした笑みを浮かべた。
その瞬間――隣のレオンが、弾けるように地面を蹴り出していた。
「さっきからコイツら、訳のわからないこと言いやがって……! イグニスはただの殺戮者だろ!」
「レオン、止まれ!」
俺の声は間に合わなかった。
先頭の男が軽く指を弾いた瞬間、信徒が一瞬でレオンの死角へ回り込み、盾を重ねるようにして彼の突撃を完璧にいなした。信徒の腕に、じりじりと肉を灼くような黒い炎が滲む。その熱量は、ただの人間のものではなかった。
「聞き捨てなりませんね。……その身に、刻みなさい」
先頭の男が、淡々と命じた。
信徒の一人が、レオンの無防備な側頭部へ向け、手を振り上げる。
俺は一瞬で間合いを潰し、その信徒を横から手で弾き飛ばす。信徒の身体はボールのように、石畳の上を三度跳ねてから壁に激突した。
「レオン、下がれ!」
「っ、すみません……!」
レオンが、悔しそうな顔で、後退する。
俺は、そのまま先頭の男に向き直り、右の拳を握り込んだ。
(こいつが指揮を取っている。潰せば、残りは散る)
俺は地を蹴り、空気を破る右ストレートを、その顔面めがけて叩き込んだ。
――ガキィンッ!
硬質な音が市場に響いた。
先頭の男は、微動だにしていなかった。
俺の拳の前に、いつの間にか割り込んでいた信徒が、交差させた腕で衝撃を完全に受け止めていた。彼の腕に纏う黒い炎が、衝撃を相殺していく。
(……魔石による肉体強化か。それも、かなり精度が高い)
並の人間であれば、あの振動波を受け、腕の骨が粉砕されている。それをほぼ無傷でいなすとは、イグニスの信奉者とやらも、侮れない。
「大したことありませんねぇ」
先頭の男が、余裕の滲む声で言った。
「この程度では……足りません」
男が再び指を鳴らすと、一団は一斉に反転し、市場の狭い路地裏へと飛び退いた。
「師匠……! あいつら逃げます!」
「逃がすか」
俺は即座に地面を蹴った。奴らが何故あの廃坑にいたのか、まだ分かっていない。組織の全貌も、イグニスとの繋がりの深さも、何も掴めていない。
このまま見失うわけにはいかない。
「レオン、追うぞ!」
「はいっ!」
俺たちは、路地裏の闇へと消えていく紅い法衣の背中を、猛然と追いかけた。
夕暮れの影が、石畳に長く伸びていく。




