54話 工場
クライン王国王都から馬車で数時間。かつて鉱山として栄え、今は廃坑となったうっすらと霧の立ち込める渓谷を、俺とレオンは歩いていた。
俺たちは、魔界の門が開き忙し中で、特急の任務で『魔石の密造事件』の調査に来ていた。
道中、レオンは何故こんなことで駆り出されているのか不思議そうに腰の結晶剣を見つめながら、俺に問いかけてきた。
「師匠。僕たちがいつも使っているこの『魔法結晶』と、今回調査する『魔石』って、何が違うんですか?」
「根底から別物だ」
俺は歩調を緩めず、淡々と説明する。
「お前が持っている結晶は、魔力の含まれた食べ物などの有機物から抽出した成分を結晶化させて回路を刻んだ人工物だ。だから安全で、管理もできる。だが、魔石は違う。あれは魔物の体内でしか生成されないものだ」
「魔物の、体内……」
「そうだ。魔石とは、本質的に『魔物を生む石』なんだよ。もしそれを生物に埋め込めば、おぞましい『人工魔族』という生物兵器が生まれる。それだけでなく、剥き出しの魔石を放置すれば、その障気によって周囲の野良犬や家畜すら魔物化させる危険性がある。だからこそ民間の製造は国際法で厳しく禁止され、各国の上層部だけで厳密に製造量が調整されているんだ」
レオンは息を呑み、己の無知を恥じるように拳を握りしめた。
「そんな危険なものを、ここで密造しているっていうんですか……」
「ああ。だから、こんな時でも調査が必要なんだ。行くぞ」
廃鉱山の入り口には、明らかに周囲の寂れた景色には不釣り合いな、最新鋭の魔法感知センサが張り巡らされていた。魔導具で完全武装した見張りの私兵たちも定期的に巡回している。
「いかにもで、隠す気もないという感じだな…
レオン、俺から離れるな。極力戦闘は避ける」
「は、はい……っ」
俺は必要最低限で、見張りを気絶させながら、一歩、また一歩と無音で進んだ。
坑道の奥に設置された重厚な防壁用の鉄扉の前に行き着く。俺は鍵部分を静かに引きちぎった。中に入り俺たちは言葉を失った。そこには最新の魔導設備がずらりとひしめく、冷徹な『工場』だった。
重低音のハミングを響かせる機械、そして壁際にずらりと並んだ透明な大型カプセル。
そこに囚われていたのは、無数の管を全身に繋がれ、装置に固く拘束された『魔族』たちだった。
「な、なんだよこれ……」
レオンが声を震わせる。
カプセルの中の魔族たちは、暴れないように四肢を抉られ、執拗なまでに傷つけられていた。だが、彼らは魔族だ。強靭な生命力と再生能力を持っている。
機械は、彼らの肉体が『傷つけられては再生する』というその自己修復のプロセスを強制的に利用し、その際に発生する膨大な魔力を抽出して吸い上げていたのだ。カプセルの下部からは、抽出された魔力によって無理やり肥大化させられた魔物の核――禍々しく光る『魔石』が、ゴトゴトと不気味な音を立てて排出されている。
生かさず殺さず、再生能力をただの搾取の歯車として利用する、人間の飽くなき強欲の結晶。
だが、その並列されたカプセルの内の一つで、レオンの足が完全に止まった。
「……え? 人間、じゃないですか……!?」
そのカプセルにいたのは、おぞましい角も、硬質な鱗も持たない、俺たちと何ら変わらない美しい見た目をした青年だった。管に繋がれ、苦痛に顔を歪ませているその姿は、どこからどう見てもただの弱々しい人間にしか見えない。
「いや、魔族だ」
俺は冷たく、自分に言い聞かせるように呟いた。
「かつて俺たちが戦った四天王イゾルデのように、魔族の中でも高位の『上級魔族』には、人間に酷似した姿を持つものがいる」
「そんな……じゃあ、あいつ、上級魔族なんですか? なのに、こんな、人間に捕まって……」
レオンの瞳が、激しい不条理に揺れていた。
これまでレオンにとって、そして多くの人間にとって、魔族とは村を襲い、人々を蹂躙する『絶対的な悪』であり『脅威』そのものだった。だが、今目の前で、非人道的な拷問を受け、機械の部品として消費されているのは魔族の側だ。姿形が人間に似ているがゆえに、その凄惨さは一層際立って見える。
「師匠……これじゃ、どっちが化け物なのか、わからないじゃないですか……」
ぽつりと溢したレオンの言葉に、俺は返す言葉を持たなかった。
その時、工場の奥から足音が聞こえた。この施設の管理者たちの気配だ。
「レオン、気配を消せ。今はまだ、動く時じゃない」
「……っ!」
レオンは血が滲むほどに奥歯を噛み締め、カプセルの青年から視線を外して影へと身を潜めた。
俺とレオンは、工場のさらに奥へと足を進めた。そこは、これまで見てきた地下倉庫や実験棟とは、また違う種類の、冷たい「研究室」だった。
壁一面に並べられた、無数のガラス容器。緑がかった培養液の中には、形成途中の、歪な肉塊のようなものがいくつも漬けられ、淡い光に照らされている。
「な、何ですか、これ……」
レオンが青ざめた顔で、容器の一つを恐る恐る覗き込んだ。その瞳が恐怖と嫌悪に大きく見開かれる。
「人間と、魔族の因子を、融合させようとした痕跡だ」
俺は中央の作業机に歩み寄り、そこに散らばる、ぼろぼろになった実験記録用紙に目を通した。そこに並んでいたのは、血の気が引くような機械的な文言だった。
「『個体No.317、失敗。出力不足のため処分』『個体No.318、失敗。肉体の崩壊により処分』……」
俺は、その記録を一枚、また一枚とめくっていく。
数字は三百を超え、四百に届こうとしていた。そのすべてが「失敗」と記され、冷酷な『処分』の二文字で締めくくられている。
「これって……」
レオンの声が、怒りと恐怖で小刻みに震えていた。
「人間と魔族のハイブリッドを1から生み出そうとしているんですか?都合のいい個体が出るまで、何度も……!」
「そうだ」
俺は低く、押し殺した声で答えた。
「これまでの人工魔族は、すでに存在する人間の体に、魔族の因子や魔石を後から埋め込む形だった。だが、これは違う。最初から『何もない状態』の胚から、都合のいい命を作り出そうとしている」
「そんな……。これじゃあ、まるで……」
レオンが、あまりの惨たらしさに言葉を詰まらせた。
「ここの奴らは神になろうとしているようだな。」
胸の奥に、これまでにない強い怒りが、静かに、しかし確実にこみ上げてくる。これまで戦ってきた魔族たちの非道とも、あのイグニスの悪辣さとも違う種類の――もっと組織的で、もっと冷徹な「人間の手による罪」が、目の前に横たわっていた。
「師匠……これ、一体誰がこんなことを……」
レオンが、縋るように俺を見上げてくる。
「分からない。だが、この施設の運営記録を見る限り、個人の犯行ではない。組織的に、長期間にわたって莫大な資金を投じて行われてきたものだ」
俺は奥の机に残された重要書類の束を一掴みにし、懐へと仕舞い込んだ。資金の流れ、物資の調達経路――そのどれもが、王国の法網を潜り抜け、巧妙に痕跡を消すよう設計されている。
「ここまで徹底して証拠を残さないのは、相当な力を持った組織だ。クライン王国の闇は、思った以上に深いぞ」
工場の奥から、巡回兵のものとは違う、慌ただしい足音が近づいてくるのが聞こえた。どうやら、これ以上の潜入は限界のようだ。
「レオン、撤退する。これ以上の深追いは危険だ。データを抱えて一度引く」
「……っ、はい!」
俺たちは、音もなくその悍ましい施設を脱出した。
廃坑を出る頃には、すでに日が沈みかけていた。
茜色に染まる渓谷の下、俺とレオンは、しばらく無言で王都への道を歩いた。
「師匠」
ふいに、レオンが口を開いた。
「俺、今日見たものが、まだ頭から離れません」
「ああ」
「世界って、思っていたよりずっと、複雑なんですね。魔族が悪い奴らで、人間が被害者で……敵か味方かじゃ、割り切れないことが、たくさんある」
俺は、その言葉に何も返さなかった。
代わりに、夕闇が迫る空を見上げる。
世界を絶望と恐怖に染め上げた、魔界の門と漆黒の城塞。そして、それに対抗しようとする人類の足元で、静かにとぐろを巻く得体の知れない人間の闇。
何か計り知れない巨大な影が、この世界の破滅を裏から加速させているような――そんな不穏な予感が、胸の奥で黒くくすぶっていた。
「世の中、まだまだ知らないことだらけだな」
俺は、誰に言うでもなく、そうぽつりと呟いた。
その言葉は、冷たくなり始めた夜風にかき消され、静かに闇へと溶けていった。




