47話 魔力革命
キィィィン――ッ!
クライン王国の初夏の風を切り裂き、鋭い高周波の駆動音が演習場に響き渡る。
訓練用の頑強な鉄盾を構えた大柄な兵士に向かって、一人の若き騎士が突撃していた。その手にあるロングソードの柄――そこには、不自然に赤く脈動する**『人工魔法結晶』**が埋め込まれている。
回路を持たないはずの、ごく普通の人間。しかし、彼が柄の結晶に意識を集中した瞬間、刀身に爆発的な紅蓮の炎が巻き付いた。
「ハァァァッ!!!」
振り下ろされた炎の斬撃が、凄まじい熱量と共に鉄盾を真っ二つに溶断し、背後の地面までをも深く爆裂させる。
かつては一部の『天才』だけの特権だった魔法。それが今や、魔力結晶を武器に埋め込むだけで、凡人であってもここまでの威力を発揮できる時代になっていた。
「……結晶の質は『中級』ってところか。連続使用による過熱で、刀身が三発持たずに歪むな」
演習場を見下ろす特等席のバルコニーで、腕を組みながらその光景を冷徹に見極めている男がいた。
アルスだ。
あの樹海の死闘から、三年。
少年の面影は完全に消え去り、その体躯は引き締まった一人の青年のものへと成長していた。無駄な脂肪を極限まで削ぎ落とした細身の身体には、黒を基調とした上質なクライン王国の特級魔導衣服を纏っている。
衣服の隙間から覗く首筋や手首には、かつて細胞崩壊を起こした時の凄惨な傷跡がかすかに残っているが、その佇まいは以前よりもずっと深く、静かな威圧感を放っていた。
「相変わらず厳しい目付きですね、アルス殿。これでも我が国の魔導具研究所が血の滲むような思いで量産に成功した最新鋭の『結晶剣』なのですが」
品の良い髭を蓄えた男が、ホクホクとした笑みを浮かべながらアルスに高級な果実水を差し出した。
エドモンド伯爵。
数年前、「男爵」だった彼は、アルスとサリアという『優秀な魔法使い』を誰よりも早く囲い込み、国王へ直接繋いだ功労者として、瞬く間に王都近郊の豊かな領地を任される「伯爵」へと上り詰めていた。
「文句を言っているわけじゃない、エドモンド伯爵。回路の無い兵士がこれだけの火力を出せる。まさに『魔力革命』だ。……ただ、これに依存しすぎた奴から死んでいく」
アルスは受け取った果実水には口をつけず、ただ戦場を冷ややかに見据える。
結晶魔法の威力は、石の質によって大半が決まる。そこに術者の肉体的な創意工夫や、魔力の性質や操作が介入する余地は薄い。アルスの領域から見れば、それはあまりにも危うい、借り物の力に過ぎなかった。
「確かに、こればっかりはアルスの言うとおりね、伯爵」
涼やかな声と共に、バルコニーの扉を開けて入ってきたのはサリアだった。
彼女もまた、この三年で驚くほど美しく成長していた。短かった髪は肩まで伸びて緩やかに波打ち、少女特有の幼さは消え、包容力を感じさせるしなやかな女性の輪郭へと変わっている。
純白の聖職衣の胸元には、クライン王国最高峰の治癒師であることを示す金色の紋章が光っていた。
「昨日の模擬戦でも、結晶の魔力が切れた途端に動けなくなる騎士が多すぎたわ。私の回復が無かったら、今頃みんな骨折じゃ済んでないわよ?」
「これはサリア聖女殿。耳が痛いお言葉ですな」
エドモンド伯爵は苦笑しながら、深々と頭を下げる。
「しかし、各地に残る人工魔族の残党や、結晶の流通を狙う盗賊団など、まだ世の中には『牙』が残っております。各国がこうして魔法部隊の組織を急いでいるのは、その対応のためです」
その言葉に、アルスは小さく息を吐いた。
残党――それが、外の世界に向けて公にされている「脅威」のすべてだ。
あの夜、樹海の奥で何が起き、何が目覚め、何が滅びたのか。その真実を知っているのは、世界中で、ほんの一握りの人間だけだった。
現在、来たるべき何かに備え、あの死闘を生き抜いた仲間たちは各国へそれぞれ常駐している。
聖都には、焼き切れた回路を荒治療で無理やり繋ぎ直し、さらに凶悪な大砲へと進化したライゼン。
アジールには、大地そのものを要塞と武器へ変えるガウル。
ガルバディア帝国には、裏の組織の最高幹部へと登り詰め、大陸中の情報網を完全に掌握したウェンディ。
世界中に溢れ出した魔力と技術。そしてそれぞれの場所で力を蓄え続ける戦友たち。世界は目まぐるしく変化していた。
だが、その『革命』の光が強くなればなるほど、世界の影もまた、黒く濃くなっていく。
――クライン王国の片隅、ある港町。
行き交う商人や、荷を運ぶ労働者たちの喧騒。塩と魚と、煙草の匂いが混じった、ごくありふれた通りの一角に、一軒の落ち着いた商館があった。
表向きは、各国の珍しい工芸品や香辛料を扱う、中堅の貿易商の屋敷。その二階、応接間の窓からは、夕暮れに染まる港が一望できた。
「……ハ、ハハハハ……!!!」
その応接間に、鈴を転がすような、美しい笑い声が響いていた。
ソファに深く腰掛け、ワイングラスを傾けているのは、一人の絶世の美女。
白銀の髪を長くなびかせ、その紅い瞳からは、数年前のあの惨めな肉片だった頃の影など微塵も感じられないほどの、圧倒的な天災の威圧感が溢れ出ている。
魔王軍四天王――イゾルデ。
彼女はこの数年間、世界中に染み込んでいく莫大な魔力――そして、目の前の男から供給される魔力を貪り喰らい、全盛期をも凌駕する『真の力』を完全に取り戻していた。
「素晴らしいわ……。身体の隅々まで、質の高い魔力が満ちたわ。人間どもめ、結晶ごときのおもちゃを手に『革命』などと浮かれているようだけど……おめでたい連中。その首を刈り取るのが今から楽しみで仕方がないわ」
イゾルデは自身の白い両腕を愛おしそうに眺め、それから、対面のソファに優雅に足を組んで座る男へと視線を向けた。
イグニス。
古めかしい貿易商の主人然とした、上質だが控えめな仕立ての服を纏い、端正な顔立ちに、何を考えているか分からない底知れない笑みを浮かべている。
窓の外を行き交う人々の誰一人として、この穏やかな商館の二階に、世界を滅ぼし得る怪物が二体、向き合って座っているとは思わないだろう。
イゾルデは、彼のことを見つめながら、その紅い瞳の奥に、ギラついた貪欲な殺意を隠そうともしなかった。
(……この人間。私が『四天王』としての本物の力を取り戻すために、喜んで自分の魔力を差し出し、私の完全復活を望んでいる)
イゾルデの唇が、歪な形に吊り上がる。
(愚かな男。しょせんは人間の身で、魔族の真似事をしていただけの大悪党。私のことを『主』とでも思って媚びを売っていたつもりかしら? ……万全になった私が、お前のようなただの人間をいつまでも生かしておくわけがないでしょうに)
完全復活を遂げ、さらにその先へ行くための、極上の『栄養源』。用済みになれば、その身に宿るすべての魔力ごと、この場で無残に喰らい尽くし、肉塊に変えてやる。
彼女はそう確信し、心の中で冷酷に嘲笑っていた。
だが。
ソファに座るイグニスは、彼女の瞳の奥にある剥き出しの殺意と、自分を喰らおうとする『捕食者の計算』を、完全に、一言一句狂わずに見抜いていた。
「……ふっ」
イグニスは、ワイングラスの縁を指でなぞりながら、小さく息を漏らすように笑った。
その瞳の奥にあるのは、恐怖でも怯えでもない。
早く、その爪を俺の喉元に立ててみせろ。
全盛期を取り戻した『魔王軍四天王』が、その傲慢なプライドのままに俺を喰らおうと襲いかかってくる、その極上の瞬間。それを、彼はこの数年間、退屈な日々の中の唯一の娯楽として、歪んだ愉悦と共にずっと待ち望んでいたのだ。
「どうかしたの、イグニス? 気味が悪い笑い方ね」
イグニスは、グラスをゆっくりとテーブルに置いた。
「いや――楽しみで仕方がなくてな」
その声には、これまでの数年間、ずっと隠し続けていた何かが、初めて、わずかに滲み出ていた。
「イゾルデ。お前が復活したなら、次のフェーズに進もう」




