46話 死闘の後
窓から差し込むうららかな陽光が、木目のテーブルを白く照らしている。
あの大死闘から数週間。
俺達は治療と村の復興に追われ、やっと一息ついたところだ。樹海の木々がようやく新しい芽を吹き始めた頃、俺達はアステリアの片隅にある救護所の宿舎に集まっていた。
「――で? アルス、あんたのその包帯の巻き方は何? 新しいファッションのつもり?」
「悪かったな、ウェンディ。これでもだいぶ減った方なんだ。数日前までは全身ミノムシ状態だったからな」
ウェンディの呆れたような突っ込みに、俺は苦笑しながら、まだ白い布が痛々しく巻き付いた左腕を動かしてみせた。魔石を噛み砕いて強行突破した代償は、数週間経った今でも俺の肉体に鈍い疼きを残している。
「本当よ、アルス! 運ばれてきた時は全身がグズグズで… もう二度とあんな無茶はしないでよ」
お茶を淹れながら、サリアが頬を膨らませて怒る。その目は笑っていない。本気で心配をかけたのだと、俺は小さく身を縮めた。
「悪かった、サリア。でも、あっちの『天才』も重症だったろ?」
俺の視線の先、部屋の隅の特等席の長椅子に寝そべっているライゼンが、鼻を鳴らした。
「ハッ! 誰が重症だって? 俺は、あの天災を上空から三連撃で叩き落とした余韻に浸ってんだよ。まぁ……ちょっとばかり魔力回路が焼き切れて、鼻血が噴き出して、一週間寝込んだだけだぜ」
「それを重症って言うんだ、俺がアルスを背負って、お前を小脇に抱えて森を出てやったんだぞ」
ガウルが豪快に笑いながら、ライゼンの頭を荒っぽく撫で回す。
「痛ぇなガウル! 筋肉ダルマの分際で天才の脳を揺らすんじゃねぇ!」
「そういえばウェンディ。村長とは、あれからどうなったんだ?」
俺の問いに、ウェンディはふう、と紅茶の湯気を見つめながら息を吐いた。
「一時はどうなるかと思ったけど……なんとか『不問』、というか『許された』わね。村長も『アステリアを救ってくれた恩人をこれ以上咎められない』って。むしろ、今は感謝されてるわ。復活したイゾルデまで始末したんだから当然よね」
「そりゃ良かった。あの偏屈ジジィに追い出されたら、治療もままならなかったしな」
ライゼンがのんびりと腕を組む。
イゾルデという、世界を脅かす『四天王』の一角を討ち果たしたのだ。これでしばらくは、世界も平和になる――誰もが、そう思いたかった。
だが、ウェンディの表情は、どこか晴れない。
「……ねぇ、みんな。ここからは少し、真面目な話なんだけど」
ウェンディが声を落とすと、部屋の空気がすっと引き締まった。
「私の『組織』の伝書が昨日届いたの。イゾルデが死亡してから、周辺の野盗被害や魔法に関する被害を調査してるんだけど……肝心の『イグニス』の行方が、全く掴めないのよ」
「イグニスが……?」
ガウルが険しい顔で顎をさする。
「ええ。まるで最初からそこにはいなかったみたいに、痕跡が綺麗に消えてるの。ガルバディア帝国に所属していたはずなんだけど、もういないみたい。イゾルデという後ろ盾を失って、逃げ出したのかしら」
「イグニスがそんな玉か。何か狙いがあるはずだ」
それぞれが腕を組み、あるいは視線を落として、深く考え込む。イグニスが単なる敗走や保身のために動いているとは、到底思えなかった。
そんな中、サリアが思い出したように口を開く。
「そういえば、イゾルデが言ってた『魔法の広がり』は、もう防げないの?」
「ああ。アジールの副回路の覚醒、マルセル大商会で創られた魔族、一度外に出てしまった魔力は、水と同じで元には戻せない」
「そうだな」
ガウルが自分の太い腕を見つめながら、静かに言葉を継いだ。
「今までは一部の『天才』だけの特権だった魔法が、これからは良くも悪くも、世界中の凡人や悪人の手にも行き渡る。人工魔族の真似事をする奴らだって、これから先、世界中で次々に出てくるだろうさ」
「ハッ、上等じゃねぇか。どこのどいつが魔法を真似しようが、この俺、ライゼン様が全員まとめて倒してやるぜ」
「あなたはまず、その焼き切れた魔力回路を完全に治してから言いなさい」
ウェンディの鋭いツッコミに、ライゼンが「ウグッ」と言葉を詰まらせる。五人の間に、少しだけ笑いが戻った。
だが、俺の脳裏には、イゾルデが戦闘中に口にしていた、あの不穏な言葉がこびりついて離れなかった。
「……イゾルデが言ってたな。『魔界からの魔族の侵攻』とか」
「あ、それ……私も気になってたの」
ウェンディが身を乗り出す。
「もし、その『魔界』とやらが、この世界に攻めてくるんだとしたら……イグニスはそれを望んでたってことか? 世界の滅亡を?」
ライゼンがケラケラと笑いながら、長椅子の上で寝返りを打った。
「ヘッ、魔界か何か知らねぇが、退屈しなくていいじゃねぇか。なぁ、アルス?」
「……あなた、本当に魔法以外はパーなのね」
ウェンディは呆れ果てて息を吐いた。
魔法の拡散。消えたイグニス。そして、いずれ訪れるかもしれない魔族の侵攻。
世界は平和になるどころか、これからとんでもない激動の時代を迎えることになるのだろう。
だが――。
「まぁ、何が来ようと関係ないな」
俺は包帯の巻かれた左拳をぎゅっと握り締め、テーブルを囲む仲間たちを見渡した。
「俺たちの前に立ち塞がるって言うなら――全員、まとめて蹴散らすだけだ」
「フッ、言ってくれるじゃない」
「おうよ、その時は俺も混ぜてくれよ」
「アルスがまた無茶したら、今度は本当に怒るからね!?」
「ハハハ! よし、まずはその美味ぇお茶のおかわりからだ!」
賑やかな笑い声が、アステリアの穏やかな午後に響き渡る。
新時代の幕開けを予感しながら、俺たちの旅は、ここからまた新しく動き出そうとしていた。
――同刻、アステリアから離れた荒野。
吹き抜ける荒涼とした風の中、一頭の馬が力なく歩を進めていた。その馬の背中には、どす黒く変色した、赤黒い肉片がべっとりとこびりついている。
「イグニス……、イグニスのところにさえ行けば、まだ、立て直せるわ……。あの子の魔力を取り込めば……絶対に復讐してやるわ……」
肉片の隙間から漏れ出る、怨嗟に満ちたか細い声。
消えかけながらも激しく燃え盛る執念の炎を宿したまま、異形は這うようにして、漆黒の闇の奥へと消えていった。




