44話 天才の意地
「随分、楽しそうじゃねぇかよ。アルス」
煤煙を貫いて響いたその声に、俺はかすむ視界を強引に巡らせた。
そこに立っていたのは、全身の皮膚を無惨に灼かれ、ボロボロの衣服まとったライゼンだった。片腕をだらりと下げ、頭部からの血が顎を伝ってドロドロと地面に落ちている。
だが、左手は、天へと突き上げられていた。
夜空、雲の切れ間。その一点に、淡い青白の輝きが灯っている。すでに渦を巻きリングが完成されていた。立っているのすら奇跡に近いその状態で、あいつはとっくに術を完成させていたのだ。
「……時間があったからよ。すっかり良くなったぜ」
息も絶え絶えの、無茶苦茶な強がり。だが、その右目だけは、まだ死んでいない獣の輝きを放っていた。
遥か上空、夜空の檻からそれを見下ろすイゾルデが、冷酷な嘲笑をさらに深める。
「あら、まだ生きていたのね、出来損ないの大砲。随分と元気がないみたいだけど……そのまま大人しく寝ていれば、苦しまずに済んだものを」
「ハッ、寝言は寝て言えよ、ババァ。天才を前にして、浮かれてんじゃねぇぞ」
ライゼンが血の混じった唾を吐き捨てた。
突き上げた左手の指先――その先で、上空に展開された魔力の円環が、低く唸るような音を立てている。
「くらいやがれ――『神雷穿』!!」
放たれたのは、以前よりはるかに細い、一筋の光条。だが、その直径の中に押し込まれた荷電粒子の密度と貫通力は衰えていない。光条は直線的に夜空を切り裂き、イゾルデへと肉薄する。
「無駄よ!同じことの繰り返しよ!」
イゾルデは空中を浮遊したまま、残された魔力を頭上へ展開し、黒炎の肉厚なシールドを形成した。
ドォォォンッ!!! とエネルギー同士が真っ向から衝突し、大気がプラズマ爆発を起こして四散する。イゾルデの黒炎が放電を強引に相殺していくが、その針のように鋭い圧力に耐えかねて、シールドの中心にピキリと、明確な「穴」が穿たれた。
「……ッ、この程度の魔法では、私の防御は貫通できなかったみたいね!」
「誰が一発だけだっつったよ」
ライゼンがニヤリと、血塗れの顔で笑った。
イゾルデの紅い瞳が見開かれる。上空、天に輝くあの円環――それは確かに、一発目を放った負荷で消滅していた。だが、「一つ」消えただけだった。
ライゼンは、ビームを細くする代わりに、複数の加速器を大気中に同時展開する『並列制御』を編み出していたのだ。
「連発だァァァーーーッ!!!」
ライゼンの咆哮と共に、間髪入れずに放たれる、二撃目の神雷穿。光の矢が、一本目の穿孔によって生じたシールドの亀裂へ、正確無比に吸い込まれていく。
「な、何よそれ……!? こんな魔法を、人間が連発できるわけが――っ!!」
イゾルデは悲鳴に似た声を上げ、咄嗟に両の手にありったけの黒炎を溜め、前面に突き出してそれを迎え撃った。
バリィィィィィンッ!!! と樹海全体を昼間のように照らす大爆発。
しかし、先ほどのアルスの超振動拳によってすでに甚大なダメージを受けていた彼女の両腕は、荷電粒子による凄まじい運動エネルギーに耐えきれなかった。
パキィィン、と骨頭が砕ける生々しい音が響き、イゾルデの両腕が、肘から先ごと木っ端微塵に破壊されて夜空に吹き飛んだ。
「あ、あああああッ……! 私の、腕が……っ!!」
鮮血を撒き散らしながら、それでもイゾルデは狂ったように笑った。
「でも、耐えたわ……! 私の勝ちよ! 人間風情が、天災に届くと思うな――」
「イゾルデ…」
ライゼンはその全身の毛細血管が限界を超えて破裂し、鼻からドッと鮮烈な血が飛び出す。白目を剥きかけながらも、左手は、まだ天を指差したまま固定されていた。
「俺は、天才だ。世界中の誰が相手だろうが、絶対に負けねぇ。……だからイグニス…見ろ!これが俺の、本当の実力だぁぁぁぁぁぁッ!!!」
ゴガァァァァァンッ!!!
樹海の上空を覆う黒雲。そのさらに上、遥か高度に隠されていた、掟破りの『三個目のリング』が、今、完全に起動した。天の頂から、一本目、二本目を遥かに凌駕する、真の『神雷穿』の巨光が真っ直ぐに突き降ろされた。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! ふざけてる、ふざけてるわ!」
イゾルデは迫りくる魔法を前に半狂乱になりながら、残った魔力をすべて防御へと回そうとする。だが、腕はすでにない。残された手段は、ただ、その細い肢体を巨光の射線から逸らすことだけだった。
絶叫するイゾルデへ、光の柱が直撃する。
凄まじい衝撃波が大気圏を揺らし、熱量と落下のエネルギーが彼女の体と魔力を粉砕した。両腕を失い、全身を青白い電光に焼かれた異形が、彗星のような速度で夜空から地表へと叩きつけられた。
ズドォォォォォンッ!!!!!
土煙が爆発し、大地面が円形に大きく陥没する。
中央に転がったイゾルデは、全身の肉を焼かれ、炭化しながらも、執念深くその紅い瞳の光を失っていなかった。
「……は、ぁ、はっ……はははは、一歩、足りなかったわね……! 私はまだ、生きているわよ……!あなたの努力も、奇跡のような連撃もすべて無駄よ!」
四天王の驚異的な生命力。だが、その這いつくばるイゾルデの姿を見て、ライゼンは満足そうにフッと笑うと、糸が切れたようにその場にドサリと座り込んだ。
イゾルデの後ろには、全開状態の俺が、無言で立っていた。
細胞を崩壊させ、魔石の力で再生し続ける、超振動を纏った黒炎の悪魔。
完全に死角にいた俺に気がついた瞬間、イゾルデの顔が、「純粋な死への恐怖」に歪んだ。
「あ――っ、ま、待って、私は――」
か細い、命乞いの声。
俺は、答えなかった。ただ、一歩を踏み出し、左拳を背後へと深く引く。
「弁明は、地獄でするんだな」
ガァァァァァッ!!!
俺の身体から立ち上るすべての黒炎の魔力を、左拳の周囲へと急激に収束、束ねていく。凝縮された超振動のエネルギーが、俺の拳の周りに、まるで巨人の腕のような『巨大な黒炎の拳』を形成していく。
逃げ場はない。
「おおおおおおおッ!!!」
力任せに、それをイゾルデへとぶつける。
ドンッ!!!!!
イゾルデの短い悲鳴。
次の瞬間、超高周波の振動波が彼女の全身の細胞、骨、因子のすべてを容赦なく打ち砕き、破裂させた。
肉体そのものがその振動に耐えきれず、細かい肉片、そして細かな塵となって、爆風と共に夜の樹海へ消え去った。
後に残ったのは、引き裂かれた大地と、静寂だけだった。
「……終わった……」
俺の呟きと同時に、体内の魔石の力が完全に底を突く。
全身の全能感が急速に引いていき、猛烈な疲労感と激痛が襲いかかってきた。
俺とライゼンは、互いに言葉を交わす気力もないまま、ボロボロの肉体のまま、重い腐葉土の上へと同時に倒れ込んだ。




