42話 四天王の実力
ドゴォォォンッ!!!
樹海の中心で、不気味な鈍音が爆発した。アルスの超振動拳をまともに食らったイゾルデの華奢な身体は、巨木を倒しながら後方へと吹き飛び、もうもうと立ち上る土煙の奥へと消えた。
「やった……か!?」
ライゼンが息を切らしながら叫ぶ。だが、アルスの眼には、土煙の奥にある「異常な熱源」をすでに感知していた。
ピチ、ピチ、と大気が爆ぜる音が聞こえる。
土煙が、内側から吹き上がる凄まじい熱風によって一瞬で消え去った。そこには、胸元を深く陥没させながらも、ゆっくりと立ち上がるイゾルデの姿があった。
彼女は自分の胸の傷を一度だけ見下ろすと、歪んだ笑みを浮かべた。
「……この時代の人間に、こんな一撃を入れられるなんてね。私の結界を強行突破し、肉体を分子レベルで破壊する攻撃。認めざるを得ないわ」
イゾルデの紅い瞳が、禍々しい狂気へと塗り潰されていく。
「面白くないんだけど、仕方ないわね。――『全開』でいくわ」
ゴォォォォォッ!!!
彼女の言葉と同時に、イゾルデの肉体そのものが、内側から無彩色の『黒炎』へと変換されていく。皮膚が、髪が、四肢が、すべてが陽炎のように揺らめく純粋なエネルギー体へと変質していく。
全身炎化。それは、物理的な質量を喪失し、世界に存在するあらゆるエネルギーを相殺する『歩く天災』そのものの顕現だった。
周囲の樹木が、直接触れてもいないのに熱対流だけで一瞬で炭化し、崩れ落ちていく。
(しまっ――)
アルスが直感的に危険を察知した瞬間、イゾルデの身体から、爆発的に黒炎が四方八方へと広がった。視界のすべてが無彩色の炎で埋め尽くされる。
そして、イゾルデの姿が、その場から完全に「消えた」。
「どこだ!?」
ライゼンが周囲を警戒する。全身が炎と同化しているため、爆発的に広がる黒炎のノイズに遮られ、視覚的にも魔力的にも、熱を見るアルスですら、彼女がどの位置に移動したのかが完全に隠蔽されていた。
だが、次の瞬間、圧倒的な熱量が、ライゼンの目の前に突如として立ち上がった。
炎はめらめらと燃えながら、瞬時に人の形を形成する。
「――まずは、鬱陶しい大砲からね」
「なっ……!?」
気がついた時には、ライゼンの鼻先数センチの距離に、炎化したイゾルデの拳が迫っていた。
避ける時間は存在しない。ライゼンは本能的に、自身の両腕を完全な雷へと変換する【雷化】を発動し、交差させて肉薄する拳を迎え撃った。
バリィィィンッ!!!
しかし、激突した瞬間に勝負は決していた。
イゾルデの黒炎が持つ圧倒的なエネルギー密度によって、触れた瞬間に強引に相殺され、霧散していく。格が違いすぎた。出力の絶対的な差を前に、ライゼンの防御は一瞬で崩壊した。
「が、あああああああッ!!!」
炎化した拳がライゼンの胸元へ叩き込まれる。
凄まじい衝撃と熱量がライゼンの全身を駆け巡った。体全身を容赦なく焼かれながら、ライゼンの体は弾丸のように後方へ吹き飛び、何本もの木々に衝突しながら、遥か遠くの暗闇へと消えていった。
「ライゼン!!」
アルスの叫びは、夜の樹海に虚しく響く。
一人残されたアルス。全身炎化し、あらゆる物理が通用しないイゾルデを前に、残された手段はもう、一つしかなかった。
(これを使うしか……ない!)
アルスは懐から、ドクドクと不気味な拍動を繰り返す、人工魔物の『魔石』を取り出した。マルセル大商会の地下から、万が一のために回収していた魔力の結晶。
握り締めたその表面が、まるで脈を打つように、アルスの手のひらの中で熱を増していく。
アルスは一度だけ強く目を閉じ――次の瞬間、その魔石を躊躇なく口の中へと叩き込んだ。
ジャリ、と。結晶が砕ける、嫌な音が口腔内に響く。
「ガ、アアアアアアアアアアッ!!!」
激痛がアルスの神経を暴走させる。細胞膜が破壊され、再構築されていく生々しい感覚。アルスの身体からも、イゾルデと同質の、しかしどこか歪な『黒炎』が陽炎のように立ち上り始めた。
「……あら?」
それを見たイゾルデの紅い瞳が、初めて純粋な「驚愕」に丸くなった。
「人間が魔石を直接取り込んで、肉体を崩壊させずにその力を制御するなんて……。そんなこと、聞いたこともないわ」
だが、驚きは一瞬だった。イゾルデの顔に、すぐに冷酷な嘲笑が戻る。
「だけど、結局はそれ、人工魔族の真似事でしょ?」
アルスの口元が、ぐにゃりと歪んだ笑みを描く。理性の箍が外れ、脳髄を焼くような全能感が、痛みも恐怖も塗り潰していく。
「『真似事』?勘違いすんなよ。俺は捕食者で、お前らは獲物だ!」
アルスの瞳が、ギラギラと不気味な光を放つ。
「同じ土俵に立たせてもらって、感謝しろよ。――化け物同士、楽しもうぜ」
ドォォォォォンッ!!!
アルスとイゾルデ、二つの黒炎が激突し、周囲の大気を激しく押し合い始めた。無彩色の炎と炎が噛み合い、空間が悲鳴を上げて歪んでいく。
拮抗は、一瞬だった。
ピキッ、と、アルスの黒炎の表面に、亀裂のようなノイズが走る。出力の絶対的な「質」の差――アルスの黒炎が、イゾルデの黒炎に強引に押し込まれ、内側から喰い破られていく。
「があっ……ッ!?」
弾けるような衝撃波が、アルスの全身を呑み込んだ。
まるで巨大な掌で叩かれたかのように、アルスの体は地面に一度も触れることなく、何十メートルも後方へと吹っ飛ぶ。樹海の太い木々が、その勢いに耐えきれず、次々と折れ砕けながら道を作っていく。最後にアルスの背中を受け止めたのは、ひときわ太い古木だった。ゴッ、という鈍い音と共に、その巨木が根元から大きく軋み、葉を散らせる。
黒炎を纏ったまま、アルスはずるずると木の根元へと滑り落ちた。
「ただの模造品が、四天王イゾルデに勝てると思っているの?」




