41話 戦術の最適解
突如として割れた五つの不気味な棺、そしてイザベルの肉体を内側から貪り、強制的に書き換えて現れた「白い髪、紅い瞳」の異形――四天王イゾルデ。
その存在がただ佇んでいるだけで、大気そのものが中心へと強引に吸い上げられていくような、悍ましい気圧の変動が肌を刺す。生き物としての格が違いすぎる。この絶対的な天災を前にして、俺は、勝機を模索していた。
「ちょうどいいから、少し遊んであげるわ。」
イゾルデが退屈そうに右手をすっと持ち上げた瞬間、彼女の周囲に立ち上る無彩色の『黒炎』が狂暴に渦を巻き、輪郭を持った巨大な「腕」へと変貌を遂げる。
かつて戦った人工魔族の比ではない、密度と質量。それが今、衝撃波を伴う時速数百キロの質量弾となって、直線的に俺へと打ち出された。
(真っ向から受ければ、防御の隙間から細胞ごと消滅させられる――なら、対応は一つ!)
俺は脳の知覚速度を極限まで引き上げる『神経最適化』を行使した。完全に静止画へと変わった世界の中で、俺は自身の五体を、一分の狂いもなく関節を連動させていく。足首の捻り、膝のクッション、腰の鋭い回転、そして肩甲骨の滑らかなスライド。前世で培った緻密な運動力学の知見に基づく物理運動連鎖を肉体に強制同調させ、身体の軸を最小限の予備動作で極限までずらす。
狙うは、迫り来る黒炎の腕の「外側」――超高温が引き起こす激しい熱対流の、わずか数ミリの隙間。そこを針の穴を通すようにすり抜ける。
ズォッ!!!
一瞬遅れて世界が動き出し、鼓膜を狂わせる風切り音と共に、黒炎の質量が俺の髪を数本焼き千切りながら背後の巨木へと激突した。ドゴォンと爆発的な音を立てて巨木が消滅する。
完全に躱しきれたわけではない。至近距離を通過しただけで、発生した熱対流のノイズにより皮膚がじりじりと熱を帯び、水膨れのように灼け焦げていく。だが、致命傷ではない。
「ライゼン! 発射しろ!!」
俺の裂帛の咆哮と同時に、背後の空間から空気の絶縁が破壊される猛烈なオゾン臭が爆発した。
ライゼンは、イゾルデという絶望的な「天災」を前にして、恐怖に竦んでなどいなかった。むしろその顔には、狂おしいほどの闘志と獰猛な笑みが張り付いている。
「――待たせたな、アルス!!」
ライゼンは両手を天へと高く掲げ、雷の魔力で創り出した巨大な「魔力の円環(粒子加速リング)」を高速で操作する。リング内に閉じ込められた電子が超高電圧によって加速し、キィィィィンと耳を劈くような高音の駆動音を響かせて大気を震わせる。
「くらいやがれ! 神雷穿!」
ただの雷撃の放出では、イゾルデの黒炎に相殺され、拡散されてしまう。だからこそライゼンは、上空のリング内で電磁粒子を「超高速加速・収束」させ、純粋な物理的質量と速度を持った超質量攻撃として天から撃ち下ろしたのだ。
対象を相殺ではなく、原子レベルで強引に穿ち抜く、神の雷の穿孔。
バリィィィィィィィィィンッ!!!
夜天の闇を真っ二つに引き裂き、眩い純白の直線極大ビームが降り注ぐ。
イゾルデの前方数センチ――激突の直前、自動展開された彼女の黒炎の防壁が、突如として降り注いだ「超高速加速粒子」の凄まじい物理的運動エネルギーと真っ正面から激突した。空間が激しく歪み、周囲へ爆発的な火花を散らしながら、黒炎の結界が悲鳴のような音を立てる。
「……え?」
イゾルデの紅い瞳が、初めて驚愕の念に大きく揺れた。
あらゆるエネルギーを相殺する黒炎が、上空からの圧倒的な「質量運動」の暴力に押し負け、ねじ切られていく。無敵を誇った彼女の暗黒の領域に、明確な「風穴」が空いた。
だが、この神雷穿は粒子を極限まで加速させるまでに致命的なチャージ時間を要する。一発を全力で撃ち下ろした瞬間、上空のリングが魔力の過負荷によって自壊し、光の塵となって霧散していくのが見えた。
「一発きりだ、決めろアルス!!」
絞り出すようなライゼンの叫びが戦場に響く。
言われるまでもない。結界に穴が空いたその刹那、俺はすでに地を蹴り、イゾルデの懐へと肉薄していた。
アルスは左拳に、自身のすべての魔力を集中させた。限界を超えた出力を引き出すことで、突き出す拳を分子レベルで超高速振動させる。自身の肉体をも削りかねない、諸刃の超振動技術。
狙うは、黒炎の破れ目から剥き出しになった、イゾルデの胸骨中央。
「おおおおおおおッ!!」
物質の結合力を内側から破壊する拳は、彼女の身体を再び覆おうと蠢く黒炎の残滓を、熱したナイフでバターを切り裂くように強引にこじ開け、彼女の体へと突き刺さる。
ドンッ!!!
超高速振動の波動が彼女の強固な表皮を物質的に透過し、その奥にある筋肉、そして内臓の分子構造へとダイレクトに伝播。それらを内部からドロドロに粉砕する確かな手応えが、骨伝導となって俺の拳へと返ってきた。
「が、はっ……!?」
四天王イゾルデの白い身体が、衝撃の余波で大きく歪み、大量の鮮血を撒き散らしながら後方へと凄まじい勢いで吹き飛んでいく。巨木をなぎ倒し、土煙を上げて地面を転がる異形の影。
アルスたちは出し惜しみをしている余裕はなかった。
最初から全力で持ちうる全てをぶつける。それを戦術と呼べるかどうかは怪しいが、それが最適解だと考えた。
五百年という果てしない封印から目覚めた、絶対的な天災。しかし、神ではない。
アルスたちの泥臭く、しかし研ぎ澄まされた戦術と暴力は、確かにその伝説の肉体へと通用した。
この化け物は、ここで確実に屠れる。




