39話 因子
「同じ『血』よ」
その言葉の余韻が、まだ樹海の空気の中に溶け切らないうちに、イザベルは棺の上で軽く足を組んだ。
あまりにも自然な、人間らしい所作。だが、その下では、五つの棺から噴き出す紫の魔力が、彼女の体重を歓迎するように、ゆっくりと脈動を強めている。
「アルス。あなた、ずっと不思議に思ってたでしょ?」
俺は答えない。だが、脳裏では、すでに前世の知識――遺伝子、組織適合、移植という単語が、冷静に組み立て始められていた。
(まさか――)
「簡単な話よ」
イザベルは、自分の左胸――心臓のある位置に、ゆっくりと手を当てた。
「私はもともと、ただの人間だった。でも今は、違う。私の中には、『イゾルデ』の肉片が、埋め込まれている」
その瞬間、樹海の空気が、わずかに重さを増した気がした。
「人工魔族と同じよ。人間の器に、四天王の因子――肉片を混ぜ込む。あの黒炎の化け物たちと、構造的には何も変わらない」
「……お前が、人工魔族、だと言うのか」
「もともと私の魔法は、戦闘向けではなったけど、イゾルデを復活させるという点では最適だったわ。同じ因子の感知・共鳴・共有、つまり私は人工魔族のブレインなの」
俺は、ある一点に思い至り、声を低くした。
「……地下倉庫で、魔族を処分したのは、お前が、やったのか…?」
イザベルは、満足げに口角を上げる。
「正解。実験棟に残っていた魔族たちは、もう用済み。あなたたちがスムーズに中に入れるように私が始末したの。私の力で、人工魔族のイゾルデの『因子』を刺激して暴走させてね。」
イゾルデの因子の暴走…アジールで見た魔族も一人でに破裂していた。
檻の中で、衰弱したように震えていた少女。あれもすべて、演技だったのか。
「私はイゾルデの「意志」そのものであり「兵」であり、「鍵」よ。封印と同調し、そして私自身がイゾルデになるのよ」
俺の視線が、イゾルデが封印されている五つの棺へと向く。
刻まれた幾何学模様。それは「回路」だ。イゾルデの因子と共鳴し光を放っている。
「……イゾルデを復活させて、どうするつもりだ?」
俺は、震えそうになる声を、強引に抑えつけた。
イザベルは立ち上がり、両手を広げた。その動作に応えるように、五つの棺から噴き出す魔力の煙が、一段と濃く、激しくなっていく。
「アルス、本物の魔族は、人間世界では、本来の力を発揮できないの」
「この世界は、魔力が薄すぎるのよ。だから今、地上に生まれる魔族は、せいぜい言葉も話せない魔物が限界。本物の四天王が目覚めても、今のままじゃ、ただの『強い人間』程度の力しか出せないでしょうね」
「だから、『種』を蒔き続けたの」
「人工魔族を、世界中にばらまく。各地の村を襲わせ、戦争を激化させ、大量の血と、大量の魔力を、大地に染み込ませる。そして――回路を持たない『無能』だった人間たちにすら、強引に魔法を覚醒させる」
脳裏に、アジールの光景が浮かんだ。
ガウルが核石に魔力を注ぎ、無能だった難民たちの中に、わずかながら魔法が目覚めていく現象。あれもまた――
「……アジールの現象も……」
「ええ、根本は同じよ。魔力が世界に満ちれば、人間の中にも、それを通すための新しい『回路』が生まれていく。世界中の人間が魔法を使えるようになればなるほど――世界そのものの『魔力濃度』が、加速度的に上昇していく」
イザベルは、両手を広げたまま、ゆっくりと天を仰いだ。
「人間という種そのものを、魔力の『媒介』に変える。人間世界全体を、魔族たちが本来の力を発揮できる場所にする」
「そして、その世界の中心で、イゾルデが目覚める……」
「そう。完全な、最盛期の力を取り戻したイゾルデと、魔界からの魔王軍侵略、人間世界の完全制服」
イザベルは、俺へと視線を戻した。その瞳に映る燐光が、まるで地獄の業火のように、ゆらゆらと揺れている。
「すべては、魔王軍復活のため。イグニスは、その『産婆役』、あとはイゾルデに取り込まれる栄養源でしかないわ」
イザベルはそこまで言って、ふと、口元の笑みを一瞬だけ歪めた。
次の瞬間、五つの棺の表面を走る幾何学模様の光が、ひときわ強く脈動した。
ゴゴゴゴ、という地鳴りが、もはや「音」ではなく、足の裏から内臓まで直接突き上げるような「圧」として襲ってくる。
俺は咄嗟に、神経加速を発動させた――
――その時だった。
「アルス――ッ!!」
樹海の奥、見張りの方角から、ライゼンの叫び声が響いた。
「樹海北側、奇襲が来た! 野盗の本隊だ、予定より早い……! ってか、アルス! お前、なんか地面が変な光――」
その声に、イザベルは、肩をすくめて見せた。
「あら。タイミングが悪いわね。……でも、ちょうどいいかもしれない」
「みんなで見ましょう、イゾルデの復活よ」
光が、最大限にまで膨れ上がる。
棺の表面が、内側から、ピシッ、と亀裂を上げる音が聞こえた。
俺は、迫る地鳴りと、遠くから響く戦闘の喧騒――その両方を背に受けながら、拳を固く握り直した




