26話 呪縛
時間を少しだけ遡る。
突如としてアジールに侵入してきた三体の人工魔族。その内の一体が、俺――アルスに向けて獰猛に漆黒の炎を滾らせた瞬間、俺はすでに地を蹴っていた。
(試運転にはちょうどいい……!)
自らの肉体を細胞、筋肉、神経レベルで完全に把握し、制御する独自のロジック。
修行によって得た新たな肉体の駆動感覚は、これまでの戦闘速度をさらに引き上げていた。放ったのは、気配すら置き去りにする極限の理詰めの一撃。
――ドッ、と重低音が響いた直後、魔族の巨躯は内側から爆発するようにねじ切れ、物言わぬ肉塊へと変わって崩れ落ちていった。
(……上出来だ。手応えはある。これなら、ガウルのあの超硬度の防御にも――)
己の拳を握り、肉体の進化を確信した、その時だった。
頭上から、鼓膜を激しく震わせる圧倒的なエネルギーの奔流を感じ、俺は思わず振り返った。
アジールの遙か上空。そこには、今までライゼンが放っていたただの落雷とは明らかに一線を画す、巨大な光のリングが静かに回転していた。円環の内部で超高速で加速され、渦巻く光の筋。
ライゼンの掌が振り下ろされると同時に、リングから放たれた一本の青白い光線が、もう一体の魔族をピンポイントで消し炭へと変えていく。
(……これは、まさか!?)
俺の脳裏に、前世の知識として存在していた超大技の概念がよぎる。
雷の魔力をただ放射するのではなく、体外の空間に固定した回路で粒子を超高速へと加速させ、絶対的な破壊の軌跡として撃ち出す技術。
(荷電粒子砲……!? あいつ、たった数日の修行で、独力でこの領域にまで術式を昇華させたっていうのか……!)
ガウルの城塞都市を崩壊させないよう、出力を最低限に絞りながらも、その中心点の破壊力は原子レベルで標的を蒸発させている。
「ふぅ……。再生する暇もねえだろ?」と右手を振るライゼンの背中を見つめながら、俺はその圧倒的な才能の片鱗に、改めて背筋が凍るような驚愕を覚えていた。アステリアの神童と呼ばれたプライドを砕かれ、そこから這い上がってきた男の執念。あいつは間違いなく、本物の天才だ。
だが、今はその驚きを感嘆に変えている場合ではなかった。
俺は視線を巡らせ、残る最後の一体へと歩み寄る。
「ガハッ……! あ、足が、動か……!?」
生き残った魔族は、ガウルの巨大な黄金色の魔力の手によって、石床に深く組み伏せられていた。自身の肉体を岩に変質させるガウルの絶対的な力の前には、人工魔族の怪力も虚しく霧散する。
「ガウル、この魔物をどうするつもりだ?」
俺の問いかけに、ガウルは地響きのような声で答える。
「殺してしまうのはもったいない。せっかくの向こうからの情報源だ。我が城塞都市にここまで深く侵入された以上、奴らの目的と戦力を吐き出させねばならんからな」
すると、床に顔を押し付けられていた魔族が、引きつった笑みを浮かべながら低く笑い始めた。
「ハ、ハハハ……! 滑稽だな、人間の虫ケラどもが……! お前たちごときに教えてやることなど、何一つないわ!」
拘束の圧力で骨を軋ませながらも、魔族の瞳には狂信的な光が宿っている。
「我らは、全てを捧げたのだ……! 偉大なる、イゾルデ様のために……! あの御方の至高の計画は、お前たちごとき――」
ぶしゃあー!
突如として、通路に生々しい肉の破裂音が響き渡った。
魔族が言葉を言い切るより早く、その全身の皮膚が内側から膨れ上がり、一瞬にして四散したのだ。飛び散る黒い血と肉片。ガウルの黄金の拘束だけが、空虚に床を叩いた。
「うわっ、何だコイツ! 急に弾けやがった!」
ライゼンが顔を顰め、飛び散った血を避けるように跳び退く。
あまりにも唐突で、悪趣味な幕引き。だが、ガウルは飛び散った肉片を睨みつけながら、厳かに首を振った。
「いや……自爆ではない。魔力による『口封じの呪縛』だ。特定の情報を他者に開示しようとした瞬間、強制的に術式が発動し、宿主の肉体を破壊するように最初から仕込まれていたのだろう」
「そんな……。じゃあ、こいつらは最初から使い捨ての駒だったってこと……?」
サリアが悲痛な声を上げる。無茶ばかりする俺を心配するように一歩傍へ寄りながら、床に広がる黒い染みを凝視していた。
俺は魔族が最後に遺した言葉を、頭の中で反芻する。
(イゾルデ……?)
「おい、アルス。こいつら、イグニスの組織の実験体じゃねえのかよ。さっき、別の名前を口にしなかったか?」
ライゼンが怪訝そうに俺に視線を投げかけてくる。
「あぁ。確かに『イゾルデ様』と言った」
「イグニスじゃなくて、イゾルデ……?」
サリアが眉をひそめ、首を傾げる。
「イグニスの部下か何かなのかな? でも、あの魔族は『偉大なる』って言ってたよね。あのイグニスが、誰かの下についてるなんてこと、あるのかな……?」
ガルバディア帝国の最前線で暗躍するイグニスという巨悪。だが、その背後にさらなる未知の影が存在しているという不気味な事実だけが、重くその場にのしかかる。
ガウルが静かに息を吐き、立ち上がった。
「考えても今は答えは出ん。だが、敵の手がこのアジールにまで確実に伸びていること、そして奴らの背後に未知の統率者がいることだけは確かだ。……アルス、ライゼン。お前たちの修行を、これ以上長引かせる猶予はなさそうだな」
床に沈む黒い血痕を見つめながら、俺たちは誰も、その正解に辿り着くことはできなかった。ただ、より深い闇が動き始めている予感だけが、冷たく肌を刺していた。




