22話 不落の試験
長い、果てしないと思えるほどの沈黙が執務室を支配していた。
ガウルは組んだ両腕にじっと視線を落とし、俺が突きつけた『イグニス』という実在の脅威、そして利害の一致について深く咀嚼しているようだった。
やがて、ガウルはゆっくりと腕を解き、巨躯を揺らして立ち上がった。
「……イグニス討伐、その提案には同意する。奴らの存在が、このアジールに生きる人々にとっても看過できない最大の脅威であることは間違いない。だが、アルス。一つだけ確認させてくれ」
ガウルは窓の外、眼下に広がる城内の活気へと視線を向けた。
「俺は彼らに牙を与えているが、魔法使いの兵隊にしたいわけじゃない。ここにいる民を戦わせるつもりは毛頭ない。ようやく見つけた安住の地で、ただ人間らしく生きるために、自分の身を護る力を身につけているだけに過ぎない。奴との戦いに巻き込むわけにはいかない」
「あぁ、最初からそのつもりだ。あいつの相手は、数でどうにかなる領域じゃない」
俺の即答に、ガウルは微かに目を細め、再び俺たちへと向き直った。
「ならば、動くのは俺とお前たちだけだ。……だが、俺が動くということは、この城の絶対的な防壁を一時的に薄くするということでもある。俺にも、そしてここにいる民にも、小さくないリスクがある」
ガウルが一歩を踏み出した。その瞬間、ドォン、と重い地鳴りが執務室全体に響き渡る。
部屋の岩壁から凄まじい密度の魔力が湧き上がり、ガウルの肉体を黄金色の強固な輝きが覆っていった。室内の空気が物理的な質量を持ったかのように重くなり、サリアが息を呑む。
「試すようで悪いが、お前たちの力を見せてほしい。条件は一つだ。――防御状態の俺を、一歩でも動かしてみせろ」
「は、面白い……!1歩とは、舐められたもんだ!」
ガウルの提示した条件に、最初に噛み付いたのはライゼンだった。
バチバチと全身から青白い電撃を噴き出させ、天才としてのプライドを剥き出しにする。あいつは距離を詰めると、手加減なしの全力の雷撃をガウルの胸元へと叩き込んだ。
「響けッ! 『天雷』!!」
ライゼンの絶叫と共に、あいつの全魔力が青白い電光の槍となって顕現する。一本でも即死級の威力を誇るそれを、ライゼンは限界を超えた超高速連射でガウルへと浴びせかけた。ズババババババァン!! と、鼓膜を裂くような連続爆音。奔流となった高電圧の光が室内の視界を完全に白く染め上げ、凄まじい衝撃波が石の壁を削り飛ばしていく。これぞまさに、アステリアの神童が誇る最高出力の破壊の嵐だった。
だが、嵐のような電撃が収まったとき、ガウルは微動だにしていなかった。床に根を張ったかのようなその両足は、1カイルのズレもなく同じ位置に留まっている。
「嘘だろ…、びくともしねえ……!」
ライゼンが驚愕に目を見開く。あいつの全力の攻撃すら、ガウルの岩の防壁は完全に無効化していた。
「……次は俺だ」
俺は一歩前に出ると、深く息を吸った。
大聖都での死闘から時間は経っている。自身の肉体に意識を向ける。内臓の微細な出血は止まり、筋繊維の断裂もサリアの治療によってほぼ完治しつつある。
(いける。今の肉体なら、最大出力に耐えられる)
背骨の奥の神経系を強制起動し、出力を限界まで引き上げる。ピキリ、と走る激痛を冷徹に無視し、俺はすべての体重と運動エネルギーを右拳へと一点集中させた。
「『神経最適化』――ッ!」
脳内のリミッターを完全に解除し、視界のすべてが完全な静止画へと変わる。次の瞬間、俺の身体は最速のトップスピードで走り出していた。もはやそれは人間の踏み込みなどではなく、時速数百キロで激突する質量兵器。自分自身を大砲の弾丸のように射出し、爆発的な推進力のすべてを乗せてガウルの懐へと肉薄する。
その勢いをそのまま乗せたパンチが、ガウルのみぞおちを正確にブチ抜く――!
「オラァァァッ!!」
ズゥゥゥン!!!
肉体と肉体が激突したとは思えない、肉厚な重低音が室内に轟いた。
拳から伝わる凄まじい反動が、俺の腕の骨を軋ませる。だが、俺の放った渾身の一撃を受けてなお、ガウルは大地と一体化したように、その場に平然と立ち尽くしていた。
「……そこまでだ」
ガウルがまとっていた黄金色の魔力を霧散させ、静かに息を吐く。
俺は痺れる右手を引き、冷徹にその結果を受け止めた。動かない。俺とライゼン、二人の天才の全力を以てしても、この男を物理的に一歩も動かすことすらできなかった。
「お前たちの実力は分かった。個々の技術や、攻撃の精度は確かに凄まじい。だが、イグニスの組織という狂った怪物を相手にするには……正直に言って、まだ足りない」
ガウルは静かに、しかし冷酷な事実を告げた。
「アルス、ライゼン。お前たちがイグニスを止めるつもりなら、その力をもう一段階、引き上げる必要がある」
ガウルの言葉に、ライゼンは悔しげに奥歯を噛み締め、俺は自身の拳をじっと見つめた。
今のままの出力では、イグニスの首には届かない。ならば、やるべきことは一つしかない。
「……分かった。ガウル、お前の胸を借りるぞ」
俺たちの戦力不足という現実を突きつけられ、物語は一時的な膠着を迎える。イグニス討伐という決戦を前に、俺たちはこの巨岩の城『アジール』にて、己の限界を超えるための過酷な修行へと身を投じることになる。




