18話 荒野の轍(わだち)、三人だけの夜
大聖都の分厚い城門を背にしてから、すでに三日が経過していた。
目指す巨岩の城『アジール』があるのは、ガルバディア帝国の国境沿いに広がる、不毛な荒野のただ中だ。見渡す限りの赤茶けた大地と、時折吹き付ける砂混じりの熱風が、旅人の体力を容赦なく削り取っていく。
「ちょっとアルス!! 何をナイフで剥こうとしてるのよ!?」
岩陰での短い休憩中、サリアのけたたましい悲鳴が荒野に響き渡った。
俺の目の前に転がっているのは、先ほど襲撃してきた砂漠地帯の害獣『デザートスコーピオン』の死骸だ。大人の頭ほどもある巨大な蠍で、毒針には致死性の神経毒が含まれている。俺は手際よくその尾を切り落とし、腹部の甲殻にナイフを滑り込ませていた。
「何って、肉の採取だ。こいつの尾の付け根にある横紋筋は、栄養価が極めて高い。節足動物の筋肉は高タンパクだ。毒腺さえ完全に切除して、100度以上の熱で15分以上煮沸すれば、寄生虫もタンパク質も熱変性して無害化する。今の俺の筋組織の修復には、良質なアミノ酸が――」
「論理的に説明すれば許されると思わないで! 蠍よ!? 魔法の触媒にするならともかく、なんでそれを今から私たちが食べる前提で話してるの!? 却下! 絶対に却下だからね!」
「……ちっ、合理的だと思うんだがな」
大真面目に不満を漏らす俺の横で、ライゼンが引きつった顔のまま、限界まで俺から距離を取っていた。
「おい……アルス。お前、アステリアの村にいた頃から頭がおかしいとは思っていたが、本物の狂人だな。いくら回路がなくて飢えていたからって、そんな化け物の肉を食おうとするな。天才の俺の胃袋に、そんな悍ましいものを入れさせようとするなよ……!」
「お前は世間知らずの神童だから贅沢病なだけだ、ライゼン。サリア, じゃあこの足の身だけでも――」
「ダメったらダメ!!」
サリアにパシッと手を叩かれ、俺は渋々ナイフを収めた。結局、いつも通りの硬い干し肉を齧ることになったが、ライゼンはまだ俺を「得体の知れない生ゴミを見る目」で警戒している。張り詰めていた大聖堂での空気が、別の意味で台無しになっていた。
だが、そんな締まらない日常の時間は、長くは続かなかった。
「――おい。そこの薄汚い三人組。止まれ」
再び歩き始めて数刻。荒野の隘路に差し掛かったところで、前方から金属の擦れ合う不快な音が響いた。
現れたのは、ガルバディア帝国の地方領主に雇われているとおぼしき、数人の私設騎士たちだった。手垢のついた甲冑を身に纏い、手には錆びかけた長槍を握っている。
「この先は領主様の私有地だ。通りたくば、持っている私財をすべて置いていけ。さもなくば生きてここを通さんぞ」
俺は一歩前に出ようとしたが、背骨の奥の神経がピキリと拒絶反応を起こした。
その瞬間、俺の前に細い背中が割り込んできた。両腕をだらりと下げた、ライゼンだ。
「アルス、お前は引っ込んでろ。そのボロ雑魚の身体で無理をされると、サリアの治療の手間が増える。……おい、有象無象ども。運が悪かったな。今の俺は、最高に虫の居所が悪いんだ」
ライゼンの指先から、バチバチと青白い火花が漏れ出す。
俺はあいつの背中に向けて、冷徹に、しかし低く釘を刺した。
「ライゼン。殺すなよ。ガルバディアの正規兵ではないとはいえ、騎士の死体が転がれば、無駄な追手がかかる。今の俺たちの目的は隠密移動だ。戦闘不能にするだけに留めろ」
ライゼンは振り返りもせず、ふんと鼻を鳴らした。
「当たり前だ! 俺を誰だと思っている。出力を絞って、神経を軽く焼くだけの精密制御なんて、天才の俺にしてみれば朝飯前だ。お前みたいな『殺すか殺されるか』の泥仕合しかできない脳無しの戦い方と、一緒にするな!」
ライゼンがさらに魔力を高めると、その全身から青白い電気がバチバチと激しく噴き出し、荒野の乾燥した空気を一瞬で焼き焦がした。その圧倒的な雷の密度と威圧感に、色めき立った私設騎士の一人が、恐怖に顔を歪めている。
「お前ら、俺を誰だと思ってるんだ!?」
「お前!? まさか、聖都の……」
自身の名声が、こんな辺境の荒野にまで知れ渡っていることに気づいた瞬間、ライゼンはふっと口元を緩め、実に嬉しそうにニッコリと得意げな笑みを浮かべた。自尊心を満たされ、完全に気分を良くしている。
「人違いよ!」
「人違いだ!」
俺とサリアの声が、見事なまでに同時に重なった。
俺はライゼンの背中に向けて、低く、鋭い殺気混じりの声を叩きつける。
(お前、素性がバレるような真似をするな! 動きにくくなるだろ)
せっかく聖都から逃れて隠密に行動しているというのに、自ら看板を掲げてどうする。
ライゼンはハッと我に返り、確かに、という感じで、チッと小さく舌打ちをして渋々といった様子で顔をしかめた。そして、強引に記憶を塗り替えるかのように、あからさまにわざとらしい大声を荒野に響かせる。
「人違いだ! 俺はライゼンではない」
そう言うと同時に、ライゼンは右手を軽く突き出した。
もはや技の構えを取る必要すらない。あいつの指先から、目にも留まらぬ速度で無数の電撃が放たれ、一瞬で場を片付けにかかる。
バチィィッ! と激しい放電音が響き、甲冑に流れた電流が、騎士の運動神経を瞬時にマヒさせた。男は白目を剥き、一言も発せぬまま泥人形のように崩れ落ちる。
「ヒッ、こいつやっぱり魔法使いだ! ひるむな、囲んで――」
「遅い」
返す刀で、ライゼンは指先をわずかに払った。まるで空間を薙ぎ払うかのように、拡散した微弱な電撃を流し込み、ものの数秒で、すべての騎士を五体満足のまま気絶させてみせた。
「……フゥ」
ライゼンは腕を振り、散る火花を消すと、これ見よがしに俺を振り返った。
「どうだ、アルス。文句のつけようがないだろ」
「戦闘に関しては……な」
「あ?」
ライゼンは不満げに眉を跳ね上げたが、俺とサリアは同時に冷たい視線をあいつに突き刺していた。サリアは腰に手を当ててジト目を向け、俺は呆れ果てて深く溜め息をつく。戦闘の手際自体は完璧だったが、最初の数秒で完全に墓穴を掘りかけた男の、締まらない背中がそこにはあった。




