# エピソード108 ## 「サイン会」
# エピソード108
## 「サイン会」
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春。
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桜が町を優しく包んでいた。
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書店には大きなポスターが貼られている。
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**『新人賞大賞受賞作家・夏音 サイン会開催!』**
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その隣には。
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**『話題の新人作家・恒一 特別参加決定!』**
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出版社の予想を超え。
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参加希望者は定員を大きく上回った。
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しかし。
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当日の朝。
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「無理です……」
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夏音は机に突っ伏していた。
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「帰りたいです……」
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黒川はため息をつく。
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「まだ始まっていません」
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「始まる前から緊張で死にそうです……」
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玲奈が笑う。
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「昨日は眠れましたか?」
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「三時間です」
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「少しは寝たんですね」
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「途中でサインの練習を百回しました」
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「百回?」
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「百二十三回です」
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黒川は苦笑した。
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「そこまでしなくても」
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その頃。
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控室の隣。
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恒一も落ち着かなかった。
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鏡の前でネクタイを直す。
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「教師なのか」
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「作家なのか」
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思わず苦笑する。
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学校では「恒一先生」。
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今日は「作家・恒一」。
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まだ実感が湧かなかった。
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そこへ神谷がやって来る。
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「緊張していますか?」
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「かなり」
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神谷は笑う。
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「安心してください」
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「今日は作品を好きになってくれた人しか来ません」
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その一言で。
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少しだけ肩の力が抜けた。
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開場十分前。
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スタッフが慌ただしく動く。
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「列の最後尾はこちらでーす!」
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「整理券をご確認ください!」
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会場の外には長い列ができていた。
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夏音はカーテンの隙間から覗く。
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「え……」
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思わず息をのむ。
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「こんなに……」
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百人。
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二百人。
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いや。
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それ以上だった。
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「全部……」
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「私たちの本を読んでくれた人……」
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目が少し潤む。
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その時。
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恒一が隣に立った。
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「行こう」
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「先生……」
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「大丈夫」
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「一人じゃない」
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夏音は深く頷いた。
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「はい!」
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司会者の声が響く。
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「お待たせいたしました!」
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「サイン会を開始いたします!」
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大きな拍手。
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二人はステージへ上がる。
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最初の一人目。
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小学生くらいの女の子だった。
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胸の前で本を大事そうに抱えている。
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緊張しているのか。
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なかなか話せない。
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夏音が優しく微笑む。
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「こんにちは」
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少女は小さく頭を下げた。
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「……こんにちは」
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夏音は本を受け取る。
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「お名前は?」
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「結衣です」
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少女は少し勇気を出して言った。
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「私……」
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「夏音さんみたいな作家になりたいです」
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夏音の手が止まる。
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一年前。
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夢を諦めかけていた自分。
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その自分が。
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今は誰かの憧れになっている。
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胸が熱くなった。
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「結衣ちゃん」
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「はい」
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夏音はサインを書きながら言う。
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「いっぱい読んで」
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「いっぱい笑って」
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「いっぱい泣いて」
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「それでも書くことが好きなら」
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「きっと素敵な作家になれるよ」
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少女の目が輝く。
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「はい!」
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その笑顔を見た恒一も微笑んだ。
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すると結衣は今度は恒一の前へ来る。
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少し照れながら言った。
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「先生」
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「ん?」
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「夏音さんの本のあとがきに」
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「先生のお話が書いてありました」
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恒一は驚く。
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夏音も少し照れたように笑う。
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結衣は続けた。
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「私も」
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「そんな先生に会いたいです」
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恒一は少し考えたあと。
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優しく笑った。
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「ありがとう」
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「でもね」
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「先生は特別じゃない」
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「誰かを信じることをやめなかっただけなんだ」
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結衣は何度も頷いた。
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「はい!」
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サイン会は始まったばかり。
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だが。
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この小さな出会いが。
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後に二人の人生を大きく変えることを。
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まだ誰も知らなかった――。
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### 次回
# エピソード109
## 「ファンレター」
サイン会の翌日。
出版社に届き始める、たくさんの手紙。
その中にあった、一通の差出人不明の手紙。
そこには、二人の運命を揺るがす言葉が書かれていた――。




