# エピソード86 ## 「言葉に救われました」
# エピソード86
## 「言葉に救われました」
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五月。
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公開イベント当日。
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夏音は緊張していた。
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ものすごく。
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ありえないくらい。
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会場の控室。
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夏音
「帰りたいです」
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黒川
「ダメです」
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夏音
「お腹痛いです」
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黒川
「緊張ですね」
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夏音
「知ってます」
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スマホが震える。
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恒一。
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恒一
「どうだ」
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夏音
「無理です」
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恒一
「始まる前から負けるな」
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夏音
「先生」
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恒一
「ん?」
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夏音
「来てます?」
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数秒。
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既読。
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恒一
「後ろの方にな」
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夏音
「!」
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思わず立ち上がる。
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黒川
「座ってください」
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夏音
「先生来てます」
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黒川
「知ってます」
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夏音
「知ってるんですか」
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黒川
「保護者席です」
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夏音
「保護者じゃありません」
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黒川
「ほぼ保護者です」
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イベント開始。
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会場にはたくさんの人。
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予想以上だった。
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若い人。
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学生。
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社会人。
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年配の人。
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みんな。
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夏音の言葉を読んだ人たち。
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司会者
「本日はありがとうございます」
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拍手。
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夏音はマイクを握る。
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手が震える。
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でも。
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後ろを見る。
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一番後ろ。
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恒一がいる。
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少しだけ笑った。
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そして。
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話し始める。
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最初はぎこちなかった。
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声も少し震えていた。
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でも。
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本の話になると違う。
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好きな言葉。
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好きな本。
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なぜ詩を書いたのか。
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気づけば。
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夢中で話していた。
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そして。
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最後。
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読者との質問コーナー。
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一人の女性が手を挙げる。
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二十代くらい。
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少し緊張している。
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女性
「質問じゃないんですけど」
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夏音
「はい」
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女性は本を抱きしめる。
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そして。
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言った。
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「言葉に救われました」
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静かになる。
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女性
「仕事がつらくて」
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女性
「毎日苦しくて」
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女性
「でも」
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女性
「この本を読んで」
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女性
「もう少しだけ頑張ろうと思えました」
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涙ぐみながら笑う。
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女性
「ありがとうございました」
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会場が静かになる。
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夏音は。
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返事ができなかった。
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胸がいっぱいだった。
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ずっと。
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届くか分からなかった。
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意味があるか分からなかった。
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それでも書いた。
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何度も悩みながら。
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何度も消しながら。
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そして今。
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届いていた。
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本当に。
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誰かに。
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夏音
「……こちらこそ」
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声が震える。
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夏音
「ありがとうございます」
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それだけ言うのが精一杯だった。
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イベント終了後。
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控室。
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夏音は少し泣いた。
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黒川は何も言わない。
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ただ。
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温かいお茶を置く。
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黒川
「だから言ったでしょう」
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夏音
「?」
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黒川
「会うべきだと」
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夏音
「……はい」
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黒川
「売れるより」
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少し笑う。
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黒川
「残る作品を」
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夏音は頷いた。
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夜。
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帰り道。
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駅前。
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恒一と合流する。
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少し沈黙。
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そして。
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夏音
「先生」
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恒一
「ん?」
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夏音
「今日」
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夏音
「本当に来てくれてありがとうございました」
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恒一
「当たり前だろ」
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夏音
「ずるいです」
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恒一
「なんでだよ」
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夏音
「そういうところです」
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恒一は笑う。
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夏音も笑う。
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春の夜風が吹く。
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言葉は。
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人を傷つけることもある。
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でも。
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人を救うこともできる。
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夏音は今日。
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それを自分の目で見た。
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そして。
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隣には。
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ずっと最初から信じてくれた人がいた。
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### 次回
# エピソード87
## 「先生の夢」
夏音は知る。
恒一がまだ誰にも話していない、
もう一つの夢の存在を――。




