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## エピソード77 ### 「隣の席の距離」

## エピソード77


### 「隣の席の距離」


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 旅館の部屋。


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 窓の外では雪が静かに降っていた。


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 恒一は座卓の前に座り、お茶を入れている。


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 急須から立ち上る湯気。


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夏音:

「先生、旅館似合いますね」


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恒一:

「その褒め方初めて聞いた」


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夏音:

「なんか、“疲れた小説家”みたいです」


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恒一:

「教師なんだが?」


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 夏音が少し笑う。


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 その笑い声が、静かな部屋によく響いた。


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## お茶の時間


 湯呑みを渡す。


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 指が少し触れる。


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 その瞬間。


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 お互い少しだけ黙る。


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 付き合っている。


 手も繋いでいる。


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 でも。


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 こういう小さな接触には、まだ慣れない。


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恒一:

「……熱いぞ」


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夏音:

「誤魔化しました?」


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恒一:

「誤魔化してねえ」


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 完全に誤魔化していた。


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## 温泉街


 夕方。


 二人は温泉街を歩いていた。


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 細い道。


 提灯の灯り。


 雪の残る石畳。


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 観光客は少ない。


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 静かな町だった。


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夏音:

「好きです、こういう空気」


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恒一:

「分かる」


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 派手じゃない。


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 でも。


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 だからこそ落ち着く。


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## 小さな本屋


 古い本屋を見つける。


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 木の引き戸。


 少し色褪せた看板。


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夏音:

「入っていいですか」


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恒一:

「止めても入るだろ」


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 店内は静かだった。


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 文庫本。


 詩集。


 古い雑誌。


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 紙の匂い。


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 夏音は本棚をゆっくり見て回る。


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 その横顔を見ながら、恒一は思う。


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(ほんと、本好きなんだな)


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 すると。


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夏音:

「先生」


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 本を一冊持っている。


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夏音:

「これ、好きそうです」


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 見る。


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 古い詩集だった。


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恒一:

「なんで分かった」


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夏音:

「なんとなくです」


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 “なんとなく”で当ててくる。


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 それが悔しいくらい嬉しい。


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## 帰り道


 空はもう暗い。


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 旅館へ戻る道。


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 雪が少しだけ降り始める。


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夏音:

「寒いですね」


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恒一:

「だな」


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 少し間。


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 そして。


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 夏音が、そっと袖を掴む。


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 ぎゅっとじゃない。


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 ほんの少し。


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 でも。


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 その小さな仕草だけで、胸が苦しくなる。


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恒一:

「……どうした」


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夏音:

「滑りそうなので」


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恒一:

「絶対嘘だろ」


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夏音:

「半分くらい本当です」


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 笑う。


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 そして自然に、手を繋ぐ。


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 白い息が夜に溶けていく。


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## 旅館の夜


 部屋へ戻る。


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 夕食。


 湯気。


 小鍋。


 旅館特有の豪華すぎる料理。


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恒一:

「量多くね?」


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夏音:

「先生、絶対言うと思いました」


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 笑う。


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 食事をしながら、他愛ない話をする。


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 学校のこと。


 本のこと。


 子どもの頃のこと。


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 時間がゆっくり流れていく。


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## 夜、少し遅い時間


 食後。


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 窓の外には雪景色。


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 部屋の明かりは少し暗い。


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 静かだった。


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 静かすぎて。


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 少しだけ、緊張する。


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 夏音は座卓に頬杖をつきながら、恒一を見る。


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夏音:

「先生」


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恒一:

「ん?」


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夏音:

「今日、楽しいですか」


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 恒一は少し笑う。


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恒一:

「……かなり」


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 夏音も笑う。


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 そして、小さく言う。


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夏音:

「よかった」


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 その言い方が。


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 まるで、“一緒に来れて嬉しい”って聞こえて。


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 恒一は少しだけ視線を逸らした。


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 雪はまだ降っている。


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 そして。


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 旅館の夜は、まだ始まったばかりだった。


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