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## エピソード6 ### 「言葉にならない感情」

## エピソード6


### 「言葉にならない感情」


 スクーリングが終わった帰り道。


 駅へ向かう人の流れの中で、恒一は一人だけ歩く速度が遅かった。


 手には、今日書いた紙。


 折り目がつかないように、少しだけ丁寧に持っている自分に気づく。


「俺の言葉……か」


 さっきの夏音の声が、まだ耳に残っていた。


---


 電車に乗ると、窓際の席が空いていた。


 座る。


 夕方の光がガラスに反射して、車内が少しだけオレンジ色に染まる。


 その中で、恒一は紙を開いた。


 もう一度読む。


---


> 眠い朝に

> 電車に揺られていると

> 自分が少しずつ

> 遠くなっていく気がする

>

> それでも今日は

> ここに来た

>

> 名前も知らない場所で

> 名前も知らない言葉に

> 少しだけ触れた


---


 たったこれだけ。


 なのに、なぜか目をそらせなかった。


「……これが詩なのか?」


 わからない。


 正解もない。


 でも。


 どこかで確かに、

 自分の中から出てきたものだった。


---


 スマホが鳴る。


 施設からのメッセージ。


『明日の早番、お願いします』


 恒一は一瞬だけ目を閉じた。


 またいつもの生活が戻る。


 夜勤。

 早番。

 利用者対応。

 疲労。


 大学と仕事の往復。


 変わらない日々。


「……変わらないよな」


 そう思った瞬間だった。


 ふと、さっきの夏音の顔が浮かぶ。


「ちゃんと、あなたの言葉でしたよ」


 その言葉だけが、やけに残っている。


---


 家に着いたのは夜遅く。


 部屋は静かだった。


 靴を脱いで、そのまま床に座り込む。


 疲れているのに、眠れない。


 スマホを開く。


 メモアプリ。


 新しい空白。


 指が止まる。


「……何書けばいいんだよ」


 小さく呟く。


 でも今回は、少し違っていた。


 “書けない”ことに、焦りがある。


 書きたいのに、書けない。


 そんな感覚。


 初めてだった。


---


 しばらくして、ふと気づく。


 何も考えずに、今日のことを思い出している。


 教室。

 窓際の席。

 ノートを書く彼女。

 あの質問。


「あなたは、何を書きたいんですか?」


 その言葉が、胸の奥に引っかかる。


---


 恒一はゆっくりと打ち始めた。


---


> 何を書きたいのか

> それがわからないまま

> 今日も電車に乗っている

>

> でも

> 何かを見た気がする

>

> 言葉にならないものが

> 少しだけ

> 胸の中に残っている


---


 書き終えて、指を止める。


 これも詩なのかはわからない。


 ただ、さっきよりは少しだけ“自分の中に近い”気がした。


---


 その時。


 また指が動いた。


 勝手に、という感覚だった。


---


> 言葉にできない感情が

> まだここにある


---


 打ち終わって、恒一は画面を見つめた。


「……なんだこれ」


 自分で書いたのに、

 自分のものじゃない気がした。


 でも削除はしなかった。


 むしろ、消すのが怖かった。


---


 窓の外は真っ暗だった。


 静かな夜。


 その中で、恒一は初めて気づく。


 詩を書くことは、

 何かを作ることじゃなくて。


 “自分の中にあるものを見てしまうこと”なのかもしれない、と。


---


 そしてその夜。


 彼はまだ知らなかった。


 この小さな言葉たちが、

 やがて自分の人生を大きく動かしていくことを。


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