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## エピソード5 ### 「あなたは、何を書きたいんですか?」

## エピソード5


### 「あなたは、何を書きたいんですか?」


 授業が終わると、教室の空気が一気にほどけた。


 椅子が引かれる音。

 笑い声。

 ノートをしまう音。


 恒一は自分の書いた紙を、まだ見つめていた。


 たった数行。


 詩と呼べるのかもわからない文章。


 でも、消そうとは思わなかった。


「……これ、提出でいいのかな」


 小さく呟いたその時。


「いいと思いますよ」


 横から声がした。


 夏音だった。


 彼女はもう荷物をまとめている途中だった。


「え、これが?」


「はい」


 迷いもなく言う。


「ちゃんと、見えたことが書かれてるので」


 見えたこと。


 その言葉に、恒一は少し引っかかる。


「詩って、もっと……上手いものだと思ってた」


「上手いって、何ですか?」


 即答だった。


 恒一は言葉に詰まる。


 夏音は少しだけ視線を落としてから続けた。


「綺麗な言葉とか、正しいリズムとか……そういうの?」


「……たぶん、そういうイメージ」


「じゃあ、それって誰が決めたんですかね」


 その一言で、空気が少し変わった気がした。


 講義室のざわめきが遠くなる。


 恒一は黙るしかなかった。


---


 夏音は教室の出口に向かいかけて、ふと立ち止まる。


 そして振り返った。


「……あの」


「はい?」


「さっきの詩、もう一回見てもいいですか?」


 恒一は少し慌てて紙を差し出す。


 彼女はそれを受け取ると、じっと読む。


 数秒の沈黙。


 恒一はその時間がやけに長く感じた。


 やっぱり変だったのかもしれない。

 もっとちゃんと書かないとダメだったのかもしれない。


 そんな不安が頭をよぎる。


 しかし。


「……いいですね」


 ぽつりと夏音が言った。


「この、“少しずつ遠くなっていく気がする”ってところ」


 そこを指で軽くなぞる。


「こういうの、好きです」


 恒一は驚いた。


「好き……?」


「はい。ちゃんと、自分の感じたことなので」


 そう言って紙を返す。


 そのまま歩き出しかけて、また振り返った。


「あなたは、何を書きたいんですか?」


 その質問は、さっきの授業の言葉よりも重かった。


 恒一はすぐに答えられなかった。


 書きたいもの。


 夢。


 理由。


 そんなもの、考えたことがなかった。


「俺は……」


 言葉が出ない。


 夏音は急かさない。


 ただ静かに待っている。


 教室の人がほとんどいなくなっていく中で、

 二人だけが残ったような感覚だった。


 やがて恒一は、小さく言った。


「わからない」


 正直な言葉だった。


 夏音は少しだけ頷いた。


「そっか」


 それだけ。


 否定もしない。

 笑いもしない。


 その反応が、逆に救いだった。


---


 夏音は出口へ向かいながら、もう一度だけ言った。


「でも、さっきの詩」


「はい」


「ちゃんと、あなたの言葉でしたよ」


 それだけ言って、教室を出ていった。


---


 恒一は一人残る。


 机の上の紙を見る。


 さっきまでただの文章だったものが、

 少しだけ違って見えた。


「……俺の、言葉」


 誰かにそう言われたのは、初めてだった。


 窓の外では、夕方の光が少し傾き始めている。


 その光の中で、恒一は初めて思った。


 詩って、もしかしたら。


 自分にも書けるものなのかもしれない、と。


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