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## エピソード4 ### 「詩を書く女の子」

## エピソード4


### 「詩を書く女の子」


 夏のスクーリングは、大学の講義棟がいつもより熱を持っていた。


 冷房の効いた教室に入っても、外の湿った空気がまだ肌に残っている。


 恒一は窓際の席に座った。


 前回の入学式以来、初めての対面授業だった。


 周りにはまた若い学生たちが多い。


 だが前ほどの違和感はなかった。


 あの一文が、まだ心の中に残っているからだ。


> 春は、置いていかれた人が前を向く季節


 あれは詩だった。


 そう思うと、少しだけこの場所が違って見えた。


---


 教室の前に、講師が立つ。


「今日は“詩を書く”という課題をやります」


 その言葉に、教室がざわついた。


「詩……?」


「え、何書けばいいの?」


 恒一も少し固まる。


 詩なんて書いたことがない。


 国語の授業で読んだことはあっても、自分で書くものではないと思っていた。


「テーマは自由です。感じたことを書いてください」


 講師はそう言って、プリントを配る。


---


 紙を前にして、恒一は手が止まった。


 白い紙。


 何も書かれていない空間。


「感じたこと……って言われてもな」


 仕事。

 疲れ。

 電車。

 大学。


 それだけの生活。


 書くほどのものなんてない気がした。


 隣の席の学生は、すでにペンを走らせている。


 速い。


 迷いがない。


 その時だった。


「ここ、いいですか?」


 声。


 顔を上げる。


 あの女の子だった。


 白石夏音。


 黒髪を少し束ねている。


「……あ、はい」


 恒一は慌ててスペースを空けた。


 彼女は小さく頭を下げて座る。


 そして当然のようにノートを開いた。


 ペンを持つ。


 迷いがない。


 書き始めるまでが、異様に早かった。


 恒一は横目で見てしまう。


 数行。


 すぐに埋まっていく。


 まるで、最初からそこにあった言葉を写しているみたいだった。


「……すごいな」


 思わず小さく呟く。


 すると彼女は手を止めた。


「すごい、ですか?」


「あ、いや……書くの、早いなって」


 彼女は少しだけ考えてから言った。


「早いんじゃなくて……出てくるんです」


「出てくる?」


「うん。見えたものとか、気持ちとか」


 そう言ってまたノートに視線を戻す。


 その横顔を見ていると、

 恒一は不思議な感覚になった。


 この人は、

 自分とは違う場所にいる気がした。


 同じ教室なのに、

 違う世界にいるような。


---


 しばらくして、彼女がふとこちらを見る。


「……書かないんですか?」


「え?」


「詩」


 恒一は固まる。


「いや、俺は……無理だよ」


「どうして?」


「詩とか、そういうのやったことないし」


 すると彼女は少しだけ首をかしげた。


「やったことない人のほうが、書けることもありますよ」


「え?」


「正しい形を知らないから、正直に書けるから」


 その言葉は、軽かった。


 なのに、妙に残った。


---


 恒一はペンを持つ。


 白い紙を見つめる。


 しばらく何も書けない。


 でも、ふと。


 夜勤明けの電車が思い浮かぶ。


 眠気。

 疲れ。

 窓の光。


 そして――


 昨日の自分。


 ゆっくりと、書き始める。


---


> 眠い朝に

> 電車に揺られていると

> 自分が少しずつ

> 遠くなっていく気がする

>

> それでも今日は

> ここに来た

>

> 名前も知らない場所で

> 名前も知らない言葉に

> 少しだけ触れた


---


 書き終えて、手が止まる。


「……これでいいのか?」


 隣を見る。


 夏音は自分のノートを閉じていた。


 そして小さく言った。


「いいと思います」


 それだけだった。


 でも、その一言が。


 なぜか、胸の奥に落ちた。


 静かに。深く。


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