## エピソード65 ### 「夜が終わる前に」
## エピソード65
### 「夜が終わる前に」
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通話が終わったあとも。
恒一はしばらくスマホを置けなかった。
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部屋は静かだった。
エアコンの音だけが響いている。
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でも、胸の中だけが落ち着かない。
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> 「私もです」
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夏音の声が、まだ耳に残っている。
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(……会いたい、か)
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以前なら、そんな言葉を口にするだけで逃げていた気がする。
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でも今は違う。
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会いたいと思う。
隣にいてほしいと思う。
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その感情を、もう誤魔化せなかった。
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スマホが震える。
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夏音:
「まだ起きてますか」
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恒一:
「起きてる」
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夏音:
「少し安心しました」
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恒一:
「なんで」
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夏音:
「通話切ったあと、急に恥ずかしくなったので」
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思わず笑ってしまう。
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恒一:
「今さらだろ」
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夏音:
「先生、それ本当に好きですね」
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恒一:
「お前もその呼び方好きだろ」
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夏音:
「……少し」
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その“少し”が妙に嬉しい。
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## 深夜一時
やりとりは終わらない。
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夏音:
「先生は、昔から教師になりたかったんですか」
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恒一は少し考える。
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恒一:
「いや」
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恒一:
「最初はなんとなくだった」
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夏音:
「なんとなく?」
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恒一:
「介護やっててさ」
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恒一:
「人と関わる仕事は嫌いじゃなかった」
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恒一:
「でも、何かを“渡せる側”になりたかったんだと思う」
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送信してから、自分で少し驚く。
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こんなこと、前なら言わなかった。
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既読。
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夏音:
「先生らしいです」
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恒一:
「だからその呼び方」
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夏音:
「もう遅いです」
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少し笑う。
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## 夏音の部屋
画面の向こう。
夏音もきっと、同じようにスマホを見ている。
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そう思うだけで、不思議と距離が近い。
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夏音:
「私、小さい頃から本が好きでした」
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夏音:
「でも、自分が書く側になるなんて思ってなかったです」
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恒一:
「今は?」
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少し間。
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夏音:
「今は、形にしたいです」
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夏音:
「怖いけど」
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夏音:
「ちゃんと残したい」
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その言葉を見ながら、恒一は思う。
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この人は、本当に変わった。
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読むだけだった人が、“届ける側”になろうとしている。
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それはきっと、勇気のいることだ。
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恒一:
「できるだろ」
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短く返す。
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夏音:
「即答ですね」
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恒一:
「お前が俺にしてたからな」
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既読。
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夏音:
「真似しました」
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## 少しだけ未来の話
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夏音:
「もし、本が完成したら」
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恒一:
「うん」
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夏音:
「最初に渡したい人がいます」
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胸が少しだけ高鳴る。
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恒一:
「誰だよ」
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夏音:
「先生です」
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静かになる。
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文字なのに。
たったそれだけなのに。
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どうしてこんなに、心が動くんだろう。
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恒一:
「……ずるいな」
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夏音:
「先生ほどじゃないです」
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恒一:
「俺なんかしたか?」
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少し長い沈黙。
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そして。
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夏音:
「私の人生、変えました」
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その一文で、呼吸が止まる。
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冗談じゃない。
軽い言葉でもない。
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本気だ。
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恒一はスマホを見つめたまま動けない。
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でも、不思議と怖くはなかった。
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以前なら逃げていた重さが、今は少しだけ嬉しい。
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窓の外。
夜が少しずつ薄くなり始めていた。
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夏が明ける頃。
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二人の関係もまた、“名前”を持とうとしていた。




