## エピソード62 ### 「教室に届いた言葉」
## エピソード62
### 「教室に届いた言葉」
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七月。
湿った空気が教室に残っていた。
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窓際のカーテンが、弱い風で少しだけ揺れている。
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恒一は黒板の前に立っていた。
チョークを持つ手が、今日は少し重い。
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「じゃあ、ここ読める人」
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子どもたちの声。
机の音。
笑い声。
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少し前まで、この騒がしさに圧倒されていた。
でも今は違う。
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“言葉が飛び交っている場所”なんだと思える。
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授業が終わる。
子どもたちが一斉に立ち上がる。
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「ありがとうございましたー!」
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その声を聞きながら、恒一は少しだけ息を吐く。
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(慣れてきた……のか?)
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そう思った瞬間。
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「先生」
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小さな声。
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振り返る。
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一人の男子生徒が、教室に残っていた。
名前は蓮。
普段あまり話さない子だった。
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恒一:
「どうした?」
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蓮は少し迷いながら、プリントを差し出す。
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「これ……」
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見る。
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国語の自由記述欄。
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> “ことばは、見えないけど、人を元気にすることがある”
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その一文で、少しだけ時間が止まる。
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恒一:
「これ、お前が書いたのか?」
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蓮は小さくうなずく。
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「先生が言ってたから」
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恒一:
「俺?」
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「“ちゃんと言葉にすると、人は少し楽になる”って」
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胸の奥が少しだけ熱くなる。
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そんなことを言った覚えはある。
でも、何気なく言っただけだった。
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なのに。
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ちゃんと届いていた。
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## 放課後
誰もいない教室。
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恒一は一人で、そのプリントを見ていた。
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窓から夕陽が差し込む。
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「……届くんだな」
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小さく呟く。
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詩も。
授業も。
言葉も。
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全部、“届かないかもしれないもの”だと思っていた。
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でも違った。
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届くときは届く。
静かに。
知らないうちに。
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スマホが震える。
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夏音:
「今日はどうでしたか」
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恒一は少しだけ考える。
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恒一:
「今日さ」
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恒一:
「初めて、“先生になった”気がした」
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既読。
すぐ返事。
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夏音:
「そうですか」
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夏音:
「よかったです」
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短い。
でも、その言葉がやけに優しい。
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恒一:
「ガキがさ」
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夏音:
「子どもです」
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恒一:
「うるせえ」
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少し笑う。
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恒一:
「言葉のこと書いてた」
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少し間。
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夏音:
「嬉しかったですか」
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恒一は窓の外を見る。
夕焼け。
静かな校庭。
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恒一:
「……ああ」
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その返事は、自分でも驚くくらい素直だった。
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## 夜
部屋。
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恒一はノートを開く。
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久しぶりに、言葉が自然に出てくる。
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> 言葉は
> 誰かを変えるためじゃなく
> 誰かの中に残るためにある
>
> それを今日
> 教室で知った
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書いて、止まる。
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以前とは違う。
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もう“夏音のためだけ”に書いているわけじゃない。
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でも。
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夏音がいたから、この言葉に辿り着けた。
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それもまた、本当だった。
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スマホが震える。
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夏音:
「その詩、好きです」
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恒一:
「まだ送ってねえだろ」
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既読。
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夏音:
「たぶん、そう書いてる気がしたので」
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少しだけ笑ってしまう。
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恒一:
「気持ち悪いなお前」
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夏音:
「先生ほどじゃないです」
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恒一:
「なんでだよ」
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夏音:
「ちゃんと、人に届き始めてるので」
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その言葉で、静かになる。
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届く。
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詩が。
授業が。
想いが。
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少しずつ、形を変えながら。
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そしてその頃。
夏音の詩集もまた、“完成”へ近づき始めていた。




