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## エピソード45 ### 「戻らない夜」

## エピソード45


### 「戻らない夜」


 その夜は、いつもと同じようで、少しだけ違っていた。


 仕事は終わり。

 電車は遅れもなく動いている。

 空気も特別重くない。


 それなのに、恒一の中だけが妙にざわついていた。


---


 理由は分かっている。


 夏音からの連絡が、三日来ていない。


 たった三日。


 それだけのことなのに、静かすぎる。


---


 以前なら、待てなかった。


 何度も送っていた。


 何かしら埋めようとしていた。


 でも今は、指が止まる。


---


「……またか」


 小さく呟く。


 “またそれかよ”とも違う、もっと低い声だった。


---


 夜勤明けの電車。


 窓の外は雨。


 街の灯りが滲んでいる。


---


 スマホを開く。


 メッセージ画面。


 最後の言葉はあのままだ。


---


『今の関係、嫌じゃないですか』


---


 そこから先が、ない。


---


 恒一は少しだけ息を吐く。


「嫌じゃないって言っただろ」


 誰に向けるでもない言葉。


---


 そのとき、ふと思う。


 これは“沈黙”じゃなくて、“戻らない時間”なのかもしれない。


---


 夜。


 休憩室。


 誰もいない部屋。


 時計の音だけが響いている。


---


 スマホが鳴らないことに、少しずつ慣れていく自分がいる。


 それが少し怖い。


---


 そのとき。


 ようやく通知。


---


夏音:

「すみません」


---


 たった一言。


---


 胸が少しだけ動く。


---


恒一:

「遅い」


---


 送ってから、すぐ後悔する。


 強すぎたかもしれない。


---


 既読。


 少し間。


---


夏音:

「少しだけ、離れていました」


---


恒一:

「どこにだよ」


---


 既読。


 長い沈黙。


---


夏音:

「自分の中です」


---


 その言葉で、呼吸が止まる。


---


 “自分の中”。


 それは距離の話じゃない。


 もっと内側の話だった。


---


恒一:

「意味わかんねえよ」


---


 少しだけ強く打つ。


---


 既読。


 返事はすぐに来ない。


---


 雨音だけが強くなる。


---


夏音:

「言葉が、少しだけ怖くなっていました」


---


 その一文で、静かになる。


---


恒一:

「怖いってなんだよ」


---


 既読。


---


夏音:

「近づきすぎると、壊れる気がして」


---


 その言葉で、胸の奥が冷える。


---


 恒一はスマホを握りしめる。


---


「壊れるって……何がだよ」


---


 でも、その答えはすぐには返ってこなかった。


---


 夜の静けさが戻る。


 雨の音だけが残る。


---


 その沈黙の中で、恒一はようやく気づく。


 これは“関係の問題”ではない。


 もっと根っこにあるものだ。


---


 言葉で繋がっていた二人は、

 言葉そのものの限界に触れている。


---


 そしてその夜、夏音から最後のメッセージが届く。


---


夏音:

「少しだけ時間をください」


---


 恒一はしばらく動けなかった。


---


 前と同じ言葉。


 でも、重さが違う。


---


 “続き”ではなく、“停止に近い続き”。


---


 恒一は窓の外を見る。


 雨はまだ止まない。


---


「……またかよ」


 そう呟く。


 今度は笑えなかった。


---


 スマホを置く。


 部屋は静かになる。


---


 ただ一つだけ残る。


 “戻らない夜”という感覚だけが。


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