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## エピソード32 ### 「言葉の外側」

## エピソード32


### 「言葉の外側」


 駅で会ってから数日後、恒一は少しだけ落ち着かない日々を過ごしていた。


 生活は変わらない。

 仕事もある。

 夜勤もある。


 それでも、ふとした瞬間に思い出す。


 駅前の空気。

 夏音の声。

 “普通だな”と言った自分の言葉。


---


 現実に触れたことで、逆に距離が分からなくなった。


 近づいたはずなのに、どこか遠い。


---


 夜。


 恒一は本を机に置く。


 自分の本。


 何度も見ているはずなのに、今日は少し違って見える。


---


「これ、まだ俺の本なのか?」


 ぽつりと呟く。


---


 そのとき、スマホが鳴る。


---


夏音:

「今日は大丈夫ですか」


---


恒一:

「何が」


---


夏音:

「少し、考えすぎてる感じがしたので」


---


 すぐに返事が来る。


 まるで見透かしているようだ。


---


恒一:

「分かるのかよ」


---


夏音:

「だいたい分かります」


---


 その一言に、少しだけ笑ってしまう。


---


恒一:

「お前さ」


---


夏音:

「はい」


---


恒一:

「俺のこと、全部知ってる気になってない?」


---


 既読。


 少し間。


---


夏音:

「知ってるわけじゃないです」


---


夏音:

「ただ、言葉の癖は分かります」


---


 その返事に、妙な納得がある。


---


 恒一は天井を見る。


「言葉の癖、か……」


---


 自分が何を言いそうか、少し読まれている感覚。


 それは安心でもあり、少しだけ怖くもある。


---


恒一:

「なあ」


---


夏音:

「はい」


---


恒一:

「会ったのにさ」


---


 少し間。


---


恒一:

「まだ、遠い感じするんだよ」


---


 送信してから、少し後悔する。


 また面倒なことを言っている気がした。


---


 既読。


 長い沈黙。


---


 電車の音のような間。


---


夏音:

「それは、たぶん普通です」


---


恒一:

「普通?」


---


夏音:

「言葉で近づいた距離と、現実の距離は違うので」


---


 その言葉で、少しだけ腑に落ちる。


---


夏音:

「でも」


---


夏音:

「完全に同じになる必要もないと思います」


---


 恒一は画面を見つめる。


---


恒一:

「同じにならなくていいのか?」


---


夏音:

「はい」


---


夏音:

「違うまま続く関係もあるので」


---


 その一文で、胸の奥が少しだけ静かになる。


---


 窓の外は夜。


 街の光がゆっくり流れていく。


---


 恒一は小さく息を吐く。


「……そっか」


---


 言葉は、近づくためのものじゃなくてもいい。


 完全に分かり合うためのものでもない。


---


 ただ、続けるためのもの。


---


 恒一は本を開く。


 自分の詩。


 そして、その行間にいる“誰か”を思う。


---


 夏音という名前の人。


 読者であり、書き手であり、距離そのもののような存在。


---


 スマホを置く。


 静かになる。


---


 そして、ゆっくり呟く。


「……言葉の外側にも、ちゃんと世界あるんだな」


---


 その夜、恒一は少しだけ眠りが深かった。


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