# エピソード29 ### 「続く理由」
## エピソード29
### 「続く理由」
夜勤明けの朝は、いつも少しだけ世界が静かだ。
恒一は電車の窓に額を軽く預けながら、流れていく街を見ていた。
眠いはずなのに、今日は妙に頭が冴えている。
---
スマホが震える。
通知。
また知らない名前。
---
『本、読みました』
『正直、最初はよくある詩だと思ってました』
『でも、気づいたら最後まで読んでました』
---
恒一は指を止める。
---
『特別な言葉じゃないのに、なんでこんなに残るんだろうって思いました』
『たぶん、ちゃんと“生きてる人”の言葉だからだと思います』
---
息をひとつ吐く。
「生きてる人の言葉……」
その言葉が、妙に重い。
---
そのとき、ふと気づく。
自分はずっと「上手く書こう」としていなかった。
ただ、消えないように書いていた。
---
夜。
休憩室。
恒一は机に本を置く。
ページを開く。
---
> 夜勤明けの電車は
> 少しだけ静かだ
>
> それでも
> どこかに行きたいと思っている
---
何度も見た言葉。
でも今日は少し違う。
---
「……これ、俺のことじゃなくなってるな」
小さく呟く。
---
誰かの中で、この言葉はもう別の意味を持っている。
自分だけのものではない。
---
その夜。
夏音にメッセージを送る。
---
恒一:
「なあ」
---
夏音:
「はい」
---
恒一:
「本、さ」
---
夏音:
「はい」
---
恒一:
「俺の手から離れてる感じする」
---
少し間。
---
夏音:
「いいことです」
---
恒一:
「なんで?」
---
夏音:
「持ってるままだと、そこで止まるからです」
---
画面を見つめる。
止まる。
その言葉が引っかかる。
---
恒一:
「でもさ」
---
恒一:
「どこに行くか分かんねえじゃん」
---
既読。
少し長い間。
---
夏音:
「分からない方がいいです」
---
夏音:
「言葉って、そういうものなので」
---
窓の外を見る。
夜の施設。
静かな廊下。
---
恒一は小さく笑う。
「……お前、ほんとそればっかだな」
---
夏音:
「それしか知らないので」
---
その一文に、少しだけ救われる。
---
恒一は思う。
書く理由は、もう“救われたい”ではないのかもしれない。
---
でも、完全に分かったわけでもない。
---
ただ一つだけ分かる。
書くことは、終わらない。
---
そしてそれは、少しだけ怖くて、少しだけ嬉しい。
---
電車が揺れる。
朝が来る。
---
恒一はスマホを閉じる。
窓の外に目を向ける。
---
心の中で、ゆっくり呟く。
「……続いていくんだな」
---
誰に届くでもない言葉。
でも確かに、自分の中で生きていた。




