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## エピソード26 ### 「本が並ぶ日」

## エピソード26


### 「本が並ぶ日」


 発売日は、驚くほどあっさり来た。


 朝起きても世界はいつも通りで、カーテンの隙間から入る光も変わらない。


 それでも、今日は違う日だった。


---


 恒一は書店の前で立ち止まっていた。


 開店前のガラス越しに、まだ整えられていない棚が見える。


「……ほんとに、あるのか?」


 自分でも半信半疑だった。


---


 開店。


 ドアが開く音。


 店内に入ると、空気が少しだけ違う。


 静かな緊張感。


---


 文学棚へ向かう。


 ゆっくり歩く。


 心臓が少し速い。


---


 そして――


 見つけた。


---


「君の詩に、救われた」


 自分の本。


---


 そこに“並んでいる”。


 他の本と同じように。


 当たり前の顔で。


---


 恒一はしばらく動けなかった。


「……あった」


 それだけしか出ない。


---


 手に取る。


 重い。


 軽いのに、やけに重い。


---


 表紙を見つめる。


 自分の言葉。


 自分の名前。


---


 そのとき、後ろから声がした。


「買わないんですか?」


 振り返ると、若い店員だった。


---


「あ、いや……」


 言葉が詰まる。


---


 店員は少し笑った。


「さっきからずっと見てますよね」


---


 恥ずかしい。


 でも、逃げる気にはならなかった。


---


「……これ、俺なんです」


 気づけばそう言っていた。


---


 店員は一瞬止まる。


 そして、少しだけ驚いた顔をしたあと――


「すごいですね」


 それだけだった。


---


 その一言が、妙に素直に胸に落ちる。


---


 レジに持っていく。


 自分の本を、自分で買う。


 変な感覚だった。


---


 袋に入れられた本を受け取る。


 重さが現実になる。


---


 外に出る。


 朝の光が少し眩しい。


---


 そのとき、スマホが鳴る。


---


夏音:

「買いました」


---


恒一:

「もう?」


---


夏音:

「はい」


---


恒一:

「早すぎだろ」


---


夏音:

「一番に読みたかったので」


---


 その一文で、胸が少しだけ熱くなる。


---


恒一:

「どうだった?」


---


 少し間。


---


夏音:

「まだ読んでる途中です」


---


恒一:

「なんだよそれ」


---


 少しだけ笑う。


---


 そして数分後。


---


夏音:

「でも」


---


夏音:

「最初のページで、ちゃんと分かりました」


---


恒一:

「何が?」


---


 既読。


 少し間。


---


夏音:

「これは、“続いてきた言葉”だってことです」


---


 その言葉で、足元が少しだけ揺れる。


---


 恒一は本を見つめる。


 手の中にある自分の人生。


---


「……続いてきた、か」


 小さく呟く。


---


 書き始めた夜勤明けの電車。

 誰にも届かないと思っていたメモ。

 夏音とのやり取り。

 “救われた”という一通のDM。


---


 全部がここにつながっている。


---


 書店の前で、恒一は初めて思う。


 これはゴールじゃない。


 ただの“途中の一冊”だと。


---


 そして、その途中を一緒に見てくれた人がいることに、静かに気づく。


---


 スマホを握る。


 短く送る。


---


恒一:

「読んでくれてありがとう」


---


 既読。


---


夏音:

「こちらこそ」


---


 それだけ。


 でも、それで十分だった。


---


 恒一は本をカバンに入れる。


 歩き出す。


---


 世界は何も変わっていない。


 でも、自分の中だけは確かに変わっていた。


---


 “書いてきた人間”から、

 “書かれたものを持つ人間”へ。


---


 そしてその先へ、また歩き始める。


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