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## エピソード25 ### 「発売前夜」

## エピソード25


### 「発売前夜」


 発売日まで、あと一週間。


 その数字が現実味を帯びてくるほど、恒一の落ち着きはなくなっていった。


 何度もスマホを開いては閉じる。

 原稿を見返してはため息をつく。

 夜勤明けなのに、頭だけが妙に冴えている。


---


 夜。


 自宅の机。


 ゲラの束を前に、恒一は椅子に沈み込んでいた。


「……これ、俺の名前で出るんだよな」


 そう思うだけで、胃のあたりが少し重くなる。


---


 そのとき、スマホが鳴る。


---


夏音:

「緊張してますか」


---


恒一:

「してる」


---


夏音:

「普通です」


---


恒一:

「普通って何だよ」


---


 すぐに既読。


---


夏音:

「本が出る前は、だいたいみんなそうです」


---


 淡々とした文章。


 でも、不思議と落ち着く。


---


恒一:

「なあ」


---


夏音:

「はい」


---


恒一:

「もしさ」

「誰にも響かなかったらどうする?」


---


 送信してから、少し後悔する。


 弱音すぎる気がした。


---


 既読。


 少し間。


---


夏音:

「響かない人もいます」


---


 正直な返事。


---


恒一:

「……だよな」


---


夏音:

「でも」


---


 続く。


---


夏音:

「一人でも残れば、それはもう十分だと思います」


---


 その一文で、胸の奥が少しだけ静かになる。


---


 恒一は机に視線を落とす。


 原稿の一ページ。


 そこに書かれているのは、過去の自分だ。


---


> 夜勤明けの電車は

> 少しだけ静かだ

>

> それでも

> どこかに行きたいと思っている


---


 この言葉が、本になる。


 誰かの本棚に置かれる。


---


「……すげえことだな」


 ぽつりと呟く。


---


 その夜。


 久しぶりに電話が鳴る。


 編集者からだった。


---


「表紙、完成しましたよ」


---


 送られてきた画像を開く。


---


 本のタイトル。


「君の詩に、救われた」


---


 その下に小さく著者名。


朝倉 恒一


---


 自分の名前。


 それを見た瞬間、喉が少し詰まる。


---


「……本当に出るんですね」


「出ますよ。いよいよです」


---


 電話を切ったあと、部屋は静かだった。


---


 スマホが震える。


---


夏音:

「いよいよですね」


---


恒一:

「うん」


---


夏音:

「おめでとうございます」


---


 その言葉で、少しだけ笑ってしまう。


---


恒一:

「まだ早いだろ」


---


夏音:

「いいんです」


---


夏音:

「ここまで来たことが大事なので」


---


 恒一は天井を見上げる。


 いつの間にか、自分の人生は少しだけ遠くまで来ていた。


---


恒一:

「なあ」


---


夏音:

「はい」


---


恒一:

「お前は読むの?」


---


 既読。


 少し間。


---


夏音:

「もちろんです」


---


夏音:

「一番最初に」


---


 その一文で、胸の奥が静かに熱くなる。


---


 発売前夜。


 何も起きていないのに、すべてが変わり始めている夜。


---


 恒一は小さく呟いた。


「……ここまで来たんだな」


---


 誰にも聞こえない声。


 でも確かに、それは未来の一歩だった。


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