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## エピソード12 ### 「先生になる理由」

## エピソード12


### 「先生になる理由」


 数日間、恒一はほとんど何も書かなかった。


 仕事と睡眠だけで一日が終わる。


 大学の課題は頭の片隅にあるまま、開かれないまま時間だけが過ぎていく。


 それでも不思議と、「完全に終わった」という感覚はなかった。


 ただ、少しだけ止まっているだけ。


---


 ある午後。


 恒一は介護施設で、利用者の食事介助をしていた。


「朝倉さん、いつもありがとうねぇ」


 小さな声でおばあさんが笑う。


「いえ、こちらこそ」


 いつものやり取り。


 それなのに、その日は少しだけ違って聞こえた。


---


「ねぇ、あんた」


「はい?」


 おばあさんは箸を置いて、少しだけ真剣な顔をした。


「先生になるんでしょ?」


 恒一は一瞬止まる。


「……え?」


「この前、言ってたじゃない」


 そう言われて、思い出す。


 夜勤の合間。

 何気なく話した夢。


 小学校の先生になりたい、と。


---


「覚えてるんですか」


「そりゃ覚えてるよ。そういうのはね、大事な話だもん」


 おばあさんはゆっくり頷いた。


---


「でもさ」


 少し間を置いて、続ける。


「先生って、いい仕事だよ」


「そう、ですか」


「うん。子どもってね、まっすぐだからね」


 恒一は黙る。


---


「でもね」


 おばあさんは少し笑った。


「先生になる人って、最初から先生じゃないのよ」


 その言葉で、手が止まった。


---


「いろんな仕事してね、迷ってね、失敗してね」


「そういう人が、最後に先生になるのよ」


---


 恒一は何も言えなかった。


 ただ、その言葉だけが胸に残る。


---


 その夜。


 休憩室。


 いつもの静けさ。


 スマホを開く。


 しばらく迷ってから、メモアプリを開いた。


---


> 先生になりたいと思ったのは

> きっと最初からじゃない

>

> 誰かの言葉に

> 少しずつ押されて

> ここまで来ただけかもしれない

>

> それでも

> 子どもに何かを渡せる人になりたいと思っている


---


 書いているうちに、少しだけ息が楽になる。


「……これでいいのか」


 また同じ言葉。


 でも今日は、少し違う。


 “これでもいい”と思えた。


---


 そのとき、スマホが震えた。


---


夏音:

「最近、少し元気ないですね」


---


 恒一は少し驚く。


 でも、嘘はつけなかった。


---


恒一:

「バレてる?」


---


 すぐに既読。


---


夏音:

「詩、止まってますか?」


---


 その一文に、胸が少しだけ痛む。


---


恒一:

「止まってるかも」


---


 少し間。


---


夏音:

「じゃあ、今の気持ちでいいので、少しだけ書いてみてください」


---


恒一:

「何を書くの?」


---


夏音:

「“止まってる自分”でいいです」


---


 画面を見つめる。


 止まっている自分。


 それなら、書ける気がした。


---


 恒一はゆっくり打つ。


---


> 何も書けない日がある

>

> 書こうとしても

> 言葉が出てこない

>

> それでも

> ここにいる


---


 送信する。


 既読。


 少し間。


---


夏音:

「それ、ちゃんと詩です」


---


 その言葉で、少し笑ってしまった。


「……ほんとかよ」


 でも、悪くなかった。


---


 窓の外はもう夜だった。


 施設の廊下は静かで、遠くに機械の音だけが響く。


 恒一はスマホをポケットにしまう。


---


 そして小さく思う。


 先生になる理由なんて、立派じゃなくていいのかもしれない。


 ただ誰かの言葉に、少しだけ支えられているだけでも。


---


 それでも。


 その「それでも」がある限り、まだ歩ける気がした。


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