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## エピソード11 ### 「辞めたい夜」

## エピソード11


### 「辞めたい夜」


 レポートを出した翌週。


 恒一の身体は、限界に近かった。


 夜勤明けの帰り道、足が思うように動かない。


 駅の階段を降りるだけで、息が上がる。


「……きついな」


 誰に言うでもなく呟いた。


---


 部屋に戻ると、そのまま床に倒れ込んだ。


 天井を見上げる。


 静かすぎて、逆に頭がうるさい。


 仕事。

 大学。

 課題。

 シフト。


 どれも中途半端なまま、積み上がっていく。


---


「もう、無理かもしれないな」


 その言葉が、自然に出た。


 初めてじゃない。


 でも今日は、重さが違った。


---


 スマホを見る。


 大学の課題一覧。


 未提出のレポート。


 次のスクーリング。


 全部が、遠く感じる。


---


 画面を閉じようとしたとき。


 ふと、夏音の言葉が浮かぶ。


> 「本当のことだけです」


 その言葉が、逆に痛かった。


「本当のことって……なんだよ」


 自分に問い返す。


---


 その夜。


 施設の休憩室。


 同僚が缶コーヒーを置いていった。


「朝倉くん、顔やばいよ。ちょっと休め」


「……大丈夫です」


 いつもの返事。


 でも、自分でも分かっていた。


 全然、大丈夫じゃない。


---


 深夜。


 利用者が眠る静かな廊下。


 恒一は一人で立ち尽くしていた。


 窓の外は真っ黒だった。


---


「俺、何やってんだろ」


 ぽつりと漏れる。


 教師になりたい。

 大学に通っている。

 でも現実は、ただ疲れているだけの毎日。


---


 そのとき、ふとスマホが震えた。


---


夏音:

「最近、書いてますか?」


---


 その一文に、胸が少しだけ動く。


 返事を打つ。


---


恒一:

「書いてない」


---


 すぐに既読。


 そして少し間があって――


---


夏音:

「そっか」


---


 それだけだった。


 励ましでもない。

 説教でもない。

 ただの“そっか”。


 それが逆に、優しかった。


---


 恒一は窓の外を見る。


「辞めようかな」


 送信しないまま、文字を打つ。


 画面に浮かぶ言葉。


「大学、もう無理かもしれない」


 指が止まる。


---


 送信するか迷う。


 その時、ふと思い出す。


 あの最初の詩。


> 眠い朝に

> 電車に揺られていると

> 自分が少しずつ

> 遠くなっていく気がする


---


 今の自分と同じだった。


 遠くなっていく。


 でも。


 あのとき、確かに書いた。


---


 恒一はゆっくり文字を消した。


 そして代わりに打つ。


---


恒一:

「少し疲れてるだけかも」


---


 送信。


 すぐに既読。


---


夏音:

「じゃあ、今日は休みましょう」


夏音:

「書くのも、考えるのも」


---


 その言葉で、肩の力が少し抜けた。


---


 夜勤明けの朝。


 帰り道。


 空はうっすら明るい。


 恒一はスマホをポケットに入れたまま歩く。


 何も書かない朝。


 それでも、完全には止まっていない気がした。


---


「……辞めるのは、まだ早いか」


 誰にも聞こえない声で呟く。


---


 その小さな言葉は、風に消えた。


 でも確かに、恒一の中に残った。


 “続けるかもしれない自分”として。


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