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【Step.6】辛子いるんですか?

その絶望の余韻に浸る間もなく。


ピコン、と机に伏せた耳元でスマホが短い通知音を鳴らした。


「……また読者からのコメント(いじり)か……?」


もうこれ以上、ヒロイン(と俺のメンタル)を弄らないでくれ。

祈るような気持ちで恐る恐る画面を覗き込むと、そこに表示されていたのは小説サイトの通知ではなかった。


ヒロイン崩壊の張本人である、天宮菜緒からのLIMEメッセージだ。


『昨日はお会計までしていただいた上に、横浜まで送って頂き本当にありがとうございました!』


ピコンッ!

(直後に、謎のゆるいウサギのキャラクターが勢いよく土下座しているスタンプ)


(……おう。どういたしまして)


俺が気の利いた返信を打とうと画面を見つめていると、立て続けにメッセージが届く。


『それで、さっそくなのですが! 次回こそは私に財布を出させてください!』


『今度、エチオピア料理とかいかがですか? 手で食べるカレーみたいなやつ、ずっと気になってたんです!』


(……ウサギの猛烈な土下座から、次のお会計宣言と、エチオピアへの急展開!)


俺はスマホを握りしめたまま、彼女の姿を脳内に召喚した。

長い脚に小さな顔、洗練されたオーラ。イベント会場で見た、あの完璧な「現代のシンデレラ」の佇まいだ。


そんな絶世の美女が。

スパイスたっぷりのエチオピアカレーを、満面の笑みで、素手で鷲掴みにしてパクッといく姿……。


(あのシンデレラの顔で、手掴みでカレー食べるの!?)

想像しただけで破壊力が凄まじい。


(……ギャップ萌えすぎるだろ、くそっ……!)

俺は誰に言い訳するでもなく真っ赤になった顔を覆い、たまらずに短い返信を打ち込んだ。


『了解です。お店、少し調べてみますね』


そう送信してスマホを放り投げると、俺は再びデスクに突っ伏した。


洗練されたモデルが、手掴みで謎の激辛カレーを食べる。上品にナイフとフォークでフレンチを食べている姿より、絶対にそっちの方が何倍も可愛いと思ってしまった俺は、もう本当に手遅れだった。


結局、俺の敗北は初めから決まっていたのだ。


深いため息を一つ吐き出すと、俺はデスクの上のデュアルモニターに向かって、弾かれたようにキーボードを叩き始めた。


「どうせ行くなら、完璧にリサーチしてやる」


変なところで火がついたWeb小説家の意地だった。激辛要員として指名されたからには、せめて予習くらいはしておかないと命に関わる。


検索窓に単語をぶち込む。


『エチオピア料理 手掴み 食べ方』

『インジェラ とは』


検索結果を表示しようとした瞬間、Gougleの予測変換(サジェスト機能)が、無慈悲にもあるワードを一番上に提示してきた。


『インジェラ 世界一まずい』


「…………は?」


タイピングする指がピタリと止まる。

恐る恐るその不穏なサジェストをクリックすると、画面には体験者たちの阿鼻叫喚のレビューがズラリと並んでいた。


『見た目はグレーの濡れた雑巾』

『発酵しすぎていて、強烈な酸味が鼻に抜ける』

『激辛のカレーで酸味を誤魔化さないと日本人は食べられない』


(……待て待て待て待て!)


俺はデュアルモニターの前で、頭を抱えてのけぞった。

ハバネロの「激辛」や、タイ料理の「パクチーの匂い」はまだわかる。だが「世界一まずいと噂される謎の発酵クレープ」は完全に別ベクトルだ。罰ゲームの領域に入っている。


「あのシンデレラ……ついに味覚の限界突破デスゲームにまで俺を巻き込む気か……!」


さらに調べを進めると、絶望的な事実がもう一つ判明した。


インジェラはその強烈な酸味を生み出すための発酵に時間がかかるらしく、都内の普通のガチな専門店だと「四日前からの完全予約制」だったりするのだ。


(予約必須の店で「世界一まずい」と言われるものを食べるリスクは高すぎる……っ)


俺は必死に検索条件を変え、レビューとメニューを比較し続けた。

そして小一時間後。俺はリサーチの結晶とも言える「最適解」を導き出し、天宮さんへの返信を打ち込んだ。


『調べました。インジェラ、世界一まずいらしいですね』

『それと発酵に時間がかかるらしく、普通の店だと四日前から予約が必要みたいです』


続けて、見つけ出したURLと画像を添付する。


『おすすめは、東都大学のキャンパス近くにあるエチオピア料理店です。学生が多い店らしくて、ここなら予約無しでも本格的なやつが食べられますよ』


(グレーのタオル状のインジェラと、真っ赤なドロワットカレーの画像も一緒に送信)


送信ボタンを押して、少し冷めたコーヒーを一口すする。

普通の女子なら「え、世界一まずいの? しかも学生街の店? ちょっと……」と難色を示すかもしれない。


だが、あのポンコツ激辛ハンターに限って、そんな常識的な反応は絶対にあり得ない。


案の定、数秒で既読がつき、爆速で返信が飛んできた。


ピコンッ!


『世界一まずい!? えええ気になります!!』


『しかも大学近くの学生向けのお店なんですか!? 私、そういう安くて美味しいちょっとディープな穴場みたいなところ、すっごく好きなんです! 楽しそう。行ってみたいです!!』


ピコンッ!


(ウサギが目をキラキラさせてペンライトを振っているスタンプ)


『来週の土曜日のお昼もし良かったら一緒に行きませんか!?』


「……ほらな」


俺は誰もいない4.7畳の部屋で、思わずふっと笑みをこぼしていた。


「世界一まずい」という情報に怯むどころか、逆にテンションをぶち上げてくる。おまけに「学生街の店」というシチュエーションにも目を輝かせているのが文面から痛いほど伝わってくる。


(本当に、面白い子だな)


『了解です。じゃあ、来週の土曜の昼、東都大学の駅前で』


俺はそう返信して、スマホをデスクに置いた。

左胸の奥で、自分でも呆れるくらいに心臓が高鳴っている。


「……手掴みで世界一まずいクレープを食べる、学生街デートか」


口に出してみると、あまりにもカオスすぎる字面だ。

だが、不思議と嫌な気はしない。むしろ、早く土曜日にならないかと待ち遠しく思っている自分がいる。


しかし、一向に筆が進まず、お昼を回った。

冷蔵庫の中から冷凍パスタを取り出し、電子レンジに放り込む。

電子レンジがパスタを温めてる間も、悶々とした気持ちが収まらなかった。


ベッドに仰向けに転がり、携帯を取り出してLIMEを立ち上げ、フリックで入力していく。


『天宮さんって、彼氏いるんですか?』


「よし……」


別に深い意味はないですよ、ただの世間話ですよ、というていを装うために、文末に少し笑っている絵文字でもつけようとした、その時だった。


チーン!


電子レンジの音で「お、出来た!」と、起きあがろうと仰向けでスマホを持っていた手が滑り、不意に親指が【送信】ボタンに触れてしまった。


シューッ!


無情にも、トーク画面の最下部に緑色の吹き出しがポイッと投げ出される。


「あ、やばっ! 送っちゃっ――」


慌てて送信取り消しを押そうとして、俺は自分の送った吹き出しの文字の隣を見て、全身の血の気が引いた。


既に【既読】のマークがついていたのだ。


(何でこんなに早く既読が付くんだよ!? まさかずっと俺とのトーク画面開いてたのか!?)


激しく動揺する俺の心境など知る由もなく、ピコンッ、ピコンッ、と小気味良い通知音と共に、彼女からのメッセージが連続で投下される。


『いります!』

『どうするの?(首を傾げて覗き込むウサギのスタンプ)』


「…………は?」


いります?どうするの?


(も、もしかして『彼氏いります』なのか!? これってつまり、今はフリーで彼氏が欲しいってことだよな!? どうするの?って告白してくれるんですかって催促!?)


心臓がドクンと跳ね上がり、ベッドの上でガバッと身を起こした俺の混乱をよそに、さらに追撃のLIMEが鳴る。


ピコンッ!

『ちょうど今、この前のタイ料理屋さんみたいに撃沈しちゃった時のために、味変できるものがないか考えてたところなんです!』

『星野さん、もしかして土曜日のエチオピア料理に備えて、マイ辛子を持参してきてくれるってことですよね!? いります! ぜひ私にも使わせてください!』


ピコンッ!

(ウサギがマイスプーンを掲げて小躍りしているスタンプ)


「……はぁ?」

俺はポカンと口を開けた。


(なんで急に味変でマイ辛子を持参する話になるんだ……? って、ああーっ!!)


嫌な予感に急かされるように、俺は慌てて自分が送信した緑色の吹き出しを読み返した。


【俺】『天宮さんって、辛子いるんですか?』


「辛子のこと聞いてるじゃねえか……っ!!」


かれし。からし。


この数日間、俺のパソコンとスマホの検索窓は「激辛」「唐辛子」「スパイス」といったワードで埋め尽くされていた。俺の愛用スマホの予測変換機能は、完全に「スパイス仕様」に汚染されていたのだ。


(俺の誤爆を、前回の失敗を踏まえた『俺からの気遣い』だと勘違いして大喜びしてるのか!?)


俺はスマホを握りしめたまま、ベッドに崩れ落ちた。


(これ、無事に送れてよかったのか? 誤爆してて良かったのか? 本音を送れなくて助かったのか……?)


頭の中でぐるぐると自問自答がループする。

だが、結論は一つだけだった。


(俺の馬鹿野郎!ダメだ……こんなやり取りの後じゃ、ますます聞きにくくなった……っ!)


彼氏の有無という、男女のラブコメにおいて一番ドキドキするはずの探り合いは、俺のスマホの予測変換と、前回のトラウマから自己防衛に走った彼女の食い気によって、見事に粉砕された。


俺は深い、深いため息をつきながら、震える指で返信を打った。


『どうするも何も、もうカレーに入れる気満々じゃないですか』


『了解です。チューブの和辛子持っていきますね。エチオピア料理に合うかは保証できませんが』


ピコンッ!


『和辛子! 和洋折衷の新しい刺激ですね! 楽しみにしてます!』


『(ウサギがスプーンを掲げて小躍りしているスタンプ)』


「……何を入れても喜ぶ無敵の舌かよ」


次にスマホを買い替える時は、絶対に予測変換の学習機能をオフにしてやる。そう固く心に誓いながら、俺は枕に顔を押し当てて悶絶した。


「……いや、待てよ。設定画面から今すぐ学習機能リセットできるだろ」


ベッドの上でジタバタするのをやめ、俺は再びスマホの画面に目を向けた。


キーボードの設定を開き、「学習履歴の消去」のボタンに指を伸ばす。

しかし、そこでピタリと動きが止まった。


(……消したところで、どうせまたすぐ『辛子』とか『激辛店』で調べるよな)


韓国料理、エチオピア料理、そしてその先にある未知の激辛店。


彼女の期待に応える(なおかつ自分の胃袋をギリギリ守る)ためには、これからも俺の検索履歴はカプサイシン関連で埋め尽くされる運命にあるのだ。


「……ははっ」


乾いた笑いが漏れた。俺はそっと設定画面を閉じ、スマホを枕元に放り投げた。


もはや、激辛要員としての逃れられない未来を、俺のスマホの予測変換すらも正確に導き出しているということだ。


「負けたよ、完全に」

本日もお読み頂きありがとうございます。

辛子からし」と「彼氏かれし」の誤爆、やってしまいましたね。

予測変換の学習機能の恐ろしさよ……。

そして舞台は次なる激辛・エチオピア料理へ!

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