【Step.3】完璧プロフェッショナルと、悪魔のハバネロ
あのお堅い会社メールでのやり取りは、数日のうちにメッセージアプリ『LIME』へと昇格していた。
事の発端は、例のメキシコ料理屋でのハバネロ討伐戦に向けた日程調整だ。
日曜日に恵比寿の展示会場で仕事があるため、その終了後ならそのままお店に行きやすい、という彼女からの提案だった。
俺は少し早めに恵比寿に到着し、指定された中規模のイベントホールへと足を踏み入れた。
本日の催しは『ポータブル電源&最新アウトドア・防災グッズ展示会』。
俺の会社(モビリティ系)とも少し関連する分野のため、市場調査も兼ねて少し早めにやって来たのだ。
(とはいえ、あのポンコツ激辛マニアが、ちゃんと仕事できてるのかな……)
俺の中でのコンパニオンのイメージといえば、「笑顔でパンフレットを配る」「カメラ小僧にポーズをとる」くらいのお飾りの役割だ。俺は少しばかり保護者のような目線で、会場内を歩き回った。
やがて、会場の中央にある一際大きなブースで、彼女を見つけた。
(……うわ、別人みたいだ)
思わず足が止まる。
企業のコーポレートカラーなのだろう。彼女は色鮮やかなオレンジ色のタイトなツーピーススーツに身を包み、首元には上品なシルクのスカーフを巻いていた。
長い髪は夜会巻きのように後頭部でピシッとタイトにまとめられており、小顔が一層際立っている。普段の愛嬌のある雰囲気とは打って変わって、洗練された「大人の女性」といった佇まいだった。
(あんな格好すると、やっぱりプロのモデルなんだな)
俺が遠巻きに感心していると、ブースの前に一人のオジサン客が立ち止まった。
パンフレットをめくりながら、少し意地悪そうな、知識をひけらかすような特有の顔つきで彼女に問いかける。
「お姉さん、これ、出力何ワット? 停電の時とか、ドライヤーとか電子レンジとか一緒に使えるの?」
「あとさ、これバッテリーの素材なに? リン酸鉄リチウムなの?」
かなりマニアックな質問だ。
俺は思わずハッとした。そんな専門的なこと、ただパンフレットを配るだけの女の子に聞いて答えられるわけがない。社員を呼んでくるか、あるいは困った顔で愛想笑いをして誤魔化すだろう。
そう思って見守っていた、次の瞬間だった。
「はい! ご質問ありがとうございます」
天宮さんは手元のパンフレットやスペック表を一切見ることなく、完璧な笑顔のまま即答した。
「こちらのモデルは安全性の高いリン酸鉄リチウムイオン電池を採用しておりまして、長寿命となっております。定格出力は二千ワットですので、ドライヤーは問題なくご使用いただけますよ。ただ、電子レンジとの同時使用となりますとサージ出力(瞬間最大出力)を超える可能性がございますので、単独でのご使用を推奨しております」
オジサン客は目を丸くし、「お、おう……詳しいね。ありがとう」と感心してパンフレットを受け取っていった。
俺は呆然とその光景を見ていた。
(なんだあれ……すげぇ)
可愛らしいルックスと、ゴリゴリの家電・機械スペックを流れるように語る口調のギャップ。
彼女のあのスラスラとした受け答えは、付け焼き刃の知識ではない。あらゆる質問を想定して、完璧に頭に入っている人間の喋り方だった。
(自分で使ったこともないだろう機材の分厚いマニュアルを、仕事のために全部暗記してるのか?)
ステージからヒールを折って降ってきた、ドジな女の子。
真っ赤な麻婆豆腐を前に「からぁい!」とアホみたいに喜んでいたポンコツな女の子。
そんな姿ばかりを見てきたせいで、完全に侮っていた。彼女は、与えられた役割を完璧にこなす、プロフェッショナルなのだ。
(……やばいな。なんか、かっこいいぞ)
俺の胸の奥で、カチリと何かが音を立てた気がした。
単なる「面白くて美人な子」という認識が、音を立ててアップデートされていく。一生懸命働く彼女の姿から、目が離せなくなっていた。
やがて、会場に閉館を告げるアナウンスが流れ、イベントは無事に終了の時間を迎えた。
俺は邪魔にならないよう、少し離れた壁際で彼女の仕事が終わるのを待っていた。
すると、ブースの片付けを終えてバックヤードへ引き上げていくスタッフたちの中に、見覚えのある顔を見つけた。あの病院で平身低頭に謝っていた、芸能プロダクションのマネージャーだ。
視線が合うと、向こうも俺に気づいたらしい。
あちらが少し驚いた顔をしてから軽く会釈をしてきたので、俺もペコリと頭を下げる。
そこに天宮さんが駆け寄り、マネージャーと何やら言葉を交わしていた。
マネージャーは少し呆れたような顔でため息をつき、天宮さんに何かを言い含めてから、バックヤードへと彼女を促した。
(なんか怒られてたか……?)
それから、しばらくして。
「お待たせしました!」
オレンジのタイトなスーツから、ゆったりとした休日の私服に着替えた天宮さんが、小走りで駆け寄ってきた。
「お疲れ様。すごいな、天宮さん。さっきの専門用語スラスラ言えてたの、びっくりしたよ」
俺が素直に感心して伝えると、彼女は少し照れくさそうに、えへへと笑った。
「プロですから! ちゃんと働かないと、美味しいご飯食べられませんしね」
そう言って、彼女は目をキラキラと輝かせた。
「さあ! 仕事も終わりましたし、いざメキシコ料理へ出陣です! 星野さんが二十分間全く味がしなくなった伝説のハバネロ、すっごく楽しみです!」
完璧なプロフェッショナルの顔から、即座に「激辛を前にした肉食獣」の顔へと戻っている。
「えっと、大丈夫なんですか? さっきマネージャーさんと話してましたけど」
「あ、はい! 『怪我をさせてしまったお詫びの食事に行ってきます』って言ったら、『くれぐれも失礼のないようにね』って言われました」
「いや、ちょっと待って。お詫びって、この前の四川料理の時に終わってますよね?」
俺が冷静にツッコミを入れると、天宮さんはペロッと舌を出して、悪びれる様子もなく笑った。
「あの激辛店に行ったことは、事務所は知りませんから。だから、事務所的には『今回がお詫び』という事になってます。さ、行きましょう!」
(俺、完全にハバネロを食べるためのダシ(口実)に使われてる……!)
俺は先ほどまでの「仕事ができるかっこいいプロ」への感動をすべて撤回し、これから訪れるであろう俺自身の胃腸への甚大なダメージを想像して、深く、深い溜息をついた。
***
そのままテンションMAXの彼女に急かされるようにして俺が案内したのは、恵比寿の雑居ビルにある本格的なメキシコ料理店だ。
かつて俺に「二十分間、全く味がしなくなる」という絶望を植え付けた、因縁の場所である。
テーブルに運ばれてきたのは、熱々の鉄板の上でジュージューと音を立てる分厚い赤身肉のステーキだ。
そして、そのお皿の端には、付け合わせの野菜に擬態した、緑色で少ししわくちゃな唐辛子が、ちょこんと鎮座していた。
「これです……この獅子唐のフリをした悪魔が、俺の舌を二十分間、完全に使い物にならなくしたんですよ」
俺が親の仇でも見るような目で指差すと、天宮さんは「おおーっ!」と歓声を上げた。
さっきまで完璧な仕事ぶりを見せていたプロフェッショナルな顔は完全に消え去り、そこには新しいおもちゃを与えられた子供のような無邪気さしかない。
彼女は迷うことなくフォークを伸ばし、その緑色の悪魔をぶすりと刺した。
「え、ちょ、天宮さ――」
俺が止める間もなかった。
天宮さんの小さな顔の、さらに小さな桜色の口が開き、獅子唐サイズの緑色の塊がすっぽりと収まっていく。
(うわ、改めて見ても顔ちっさ! ……って、感心してる場合じゃない! あの小さな口にその比率で入っていくの、完全にキュウリの丸かじりだろ!?)
俺の混乱をよそに、天宮さんはパクリと、まるで居酒屋のお通しでも食べるような気軽さで、遠慮なく悪魔の果実を噛み潰したのだ。
(えーっ!? なんでそれ食えるの!? 舌はどうなってんの!?)
じゅわっ、と火の通った果肉が潰れる生々しい音が、彼女の口元から漏れるような気がした。
(あれ、絶対に口の中に辛さが弾け飛んだよな!? 俺の時はあれで口内が火の海になったのに!?)
俺は口をポカンと開けたまま、完全にフリーズした。
人間が本能的に警戒する量のハバネロを摂取しているというのに、目の前の絶世の美女の顔には苦悶の表情ひとつ浮かばない。
数秒後、天宮さんの頬がほんのりと赤く染まった。
大きな瞳にうっすらと涙が滲み、ツヤツヤの唇が少しだけ開かれる。
「んんーっ……! からぁい!! 本当にからぁい!!でも、美味しいですっ!」
満面の笑みだった。
額にはうっすらと汗を浮かべ、少しだけ荒くなった吐息とともに、彼女は心底幸せそうに笑っている。
……反則級に可愛い。可愛いが、食べているものがヤバすぎる。
「天宮さん、無事……なんですか? 舌、取れてませんか? ミルクとか水、頼みましょうか?」
俺がドン引きしながら尋ねると、彼女はケロッとした顔でお冷のグラスを傾けた。
「平気ですよ! むしろ、この突き抜けるような辛さが最高なんです! あ、星野さんも思い出の味、もう一回いきますか? お裾分けしますよ!」
そう言って、彼女は自分のタコスのお皿にあった別の激辛ソース(ハラペーニョ増し増し)をすくい上げ、楽しそうにこちらに差し出してきた。
「いや、俺は普通にステーキの味を楽しみたいんで……」
「大丈夫です! 刺激の向こう側に、本当の美味しさがあるんですから! はい、あーん!」
(あーん、じゃねえよ!)
絶世の美女からの、致死量マシマシの「あーん」。
男として、こんな至近距離で上目遣いに見つめられて、口を閉ざしたまま逃げられるはずがない。
俺は覚悟を決めて口を開け、数秒後。
見事に「味がしない地獄」へと、再び叩き落とされることになった。
そんな激辛地獄を(主に俺が)なんとか乗り越え、すっかり満足げな天宮さんと共にレジへ向かう。
お会計の段になって、俺たちはレジ前でちょっとした押し問答を繰り広げていた。
「ここは俺が連れてきたので、払いますよ」
俺が伝票を持って財布を取り出そうとすると、天宮さんが横からスッと手を出して遮ってきた。
「ダメです! 私は最初から『お詫びのお礼』って言いましたよね?」
「いや、そんな日本語存在しませんよ」
俺が痛む舌を庇いながら冷静にツッコミを入れると、天宮さんは「むっ」と少しだけ頬を膨らませた。
しかし、すぐにパァッと悪戯っぽい笑顔に変わる。
「じゃあ、分かりました。ここは星野さんに譲ります」
「分かってくれればいいんで――」
「但し! 次回は私が奢ります。それで良いですよね?」
「え?」
有無を言わせぬ勢いと、至近距離から見上げてくるキラキラとした瞳の圧。
俺は思わず毒気を抜かれ、半ば呆れたように頷いてしまった。
「……分かりましたよ。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
「はいっ! 約束ですからね!」
俺が会計を済ませる横で、天宮さんは嬉しそうに小さくガッツポーズをしている。
店を出て、夜風に当たりながら駅へと向かう道すがら。
ジンジンと熱をもつ口内の痛みに耐えながら、俺はふと冷静になって気づいた。
(あれ……? 『次回は私が奢る』ってことは、必然的に次も激辛店に付き合わされるのが確定したってことだよな?)
「お詫びのお礼」という謎の言葉で煙に巻かれ、気づけばしっかりと「次の約束」をロックオンされている。
横を歩く天宮さんは、ご機嫌な様子で鼻歌まで歌っていた。
(こいつ、天然なのか計算なのか……)
プロとしての完璧な仕事ぶりと、激辛を前にした子供のような無邪気さ。そして、このちゃっかりとした押し引きの強さ。
極端に振れる彼女のメーターに、俺は完全にペースを握られてしまっていた。
でも不思議と、悪い気はしない。
むしろ、次はどんな顔を見せてくれるのかと、胃腸の心配よりも期待の方が勝っている自分がいる。
「星野さん! 次はタイ料理の激辛パッタイとかどうですか!?」
「……だから、俺は激辛好きじゃないって言ってるでしょ」
俺の抵抗など風の音のようにスルーして、現代のシンデレラは楽しそうに笑っている。その笑顔を見た瞬間、ロッカーの最奥に永久封印したはずの折れたピンヒールが、脳裏に重くよみがえった。
胃腸はキリキリと痛み、変態疑惑の冷や汗が背中を伝うのに——
それ以上に、胸の奥が熱くざわめき、抑えきれない期待で高鳴り始めていた。
本日もお読み頂きありがとうございます。
完璧な美貌からの、ハバネロあーん地獄。星野くんの味覚が早くもログアウトしました。
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