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【Step.20】シークレットゲストと、折れたハイヒール

5月31日 日曜日、深夜。


二日間の『バイシクルモビリティEXPO』の裏方業務を終え、泥のように重い身体を引きずって川崎のマンションへと帰宅した。


シャワーを浴びて、そのままベッドに倒れ込みたかったが、俺は4.7畳の作業部屋のデスクに座り、スマホを取り出した。


『神崎さん、遅くにすみません。来月の大型ゲームコラボ特番の公式生放送、香盤表などの資料を送ってもらえますか?』


数分後、深夜にも関わらず神崎から即座にPDFファイルが送られてきた。


『お疲れ様です! お送りします! 先生、どうか、どうか前向きなご検討を……!』という、編集者の悲痛なメッセージ付きで。


俺はそれをモニターに映し出し、出演者の欄に目を落とす。


【番組名】最新コラボPV発表・公式生放送

【日時】6月15日(月)19:00〜 (OA)

【MC】赤城司(人気eスポーツキャスター)

【アシスタントMC】天宮菜緒モデル・タレント

【スペシャルゲスト】篠崎零(プロゲーマー・『影刃』所属)

【シークレットゲスト】原作者・星の罪 先生(※現在出演交渉中 / 顔出しNG枠)


「……やっぱりな」

昨日、会場で天宮さんが「来月も零さんと同じ現場がある」と言っていた時から、嫌な予感はしていた。


モニターの光が、俺の顔を青白く照らす。

『星野さんって、本当にただの会社員なんですか?』

鎌倉へのドライブの夜、彼女に向けられた疑念の目。


(もう、嘘はつきたくない)


120回払いのローンに苦しむ哀れな会社員という設定は、もう限界だ。

あいつ(篠崎零)の隣で、また天宮さんが窮屈な思いをするかもしれない。その時、ただの「裏方」や「一般客」のままじゃ、俺は彼女の隣に立って守ることができない。


俺はキーボードに手を置き、神崎への返信を打ち込んだ。


『特番のシークレットゲストの件、お受けします。当日、よろしくお願いします』


送信ボタンを押した瞬間、後戻りできない歯車がカチリと回る音がした。


***


翌日、6月1日。月曜日の午後。


都内のゲーム運営会社の広い会議室で、天宮菜緒は手元にある台本(香盤表)の文字をじっと見つめていた。


向かいの席には、昨日のタカヒロの「我慢してくれ」という妥協案とは正反対の、最高に不器用で優しい男の人の顔――ではなく、プロゲーマーの篠崎零が気怠げに座っている。


「――ということで、番組の後半、最新コラボPVの発表後に、原作者である『星のほしのつみ』先生にシークレットゲストとしてご登壇いただきます」


司会進行のプロデューサーの声に合わせて、会議室の端に座っていたスーツ姿の男性が立ち上がり、深く一礼した。


「担当編集の神崎です。昨夜遅くに、先生から正式に『出演する』との快諾をいただきました。ただ、先生は普段ゴリゴリの一般企業で働く会社員ですので、当日は会社を定時で上がってから会場へ直行する形になります。


顔出しもNGですので、目深な帽子とマスク姿での登壇をご容赦ください」


「おおっ!」「あの星の罪先生が……!」と会議室が湧き上がる。


しかし、零だけはつまらなそうにペンを回していた。


「へぇ。……でも、ただの会社員のおっさんがステージに出てきて、間が持つんすか? 赤城さんや俺たちプロと、天下のナオちゃんが回すステージっすよ? 素人がテンパって放送事故にならなきゃいいけど」


零の棘のある言葉に、会議室の空気がピリッと凍りつく。

その言葉を聞いて、菜緒は思わずバンッと両手をテーブルについて立ち上がっていた。


「そんなこと、絶対にありません!」

「ナオちゃん……?」


「私、今回のコラボのお仕事が決まってから、星の罪先生の原作、最新話まで全部読ませていただいたんです。……すごく、熱くて、泥臭くて、でも優しい物語でした。あんなに素敵な世界を創り出せる人が、ステージを壊すような人なわけありません」


(それに……。一般企業で一生懸命働いている『ただの会社員』の人って、零さんが思っているより、ずっとカッコよくて頼りになるんですから)


脳裏に浮かぶ不器用な彼の姿に勇気をもらい、菜緒はさらに言葉を続けた。


「特に、最近更新された『スパイス回』! あれは本当に歴史に残る名作です! クールなエルミア様が、未知の激辛スパイスを前にして語るシーン! 私、もう激しく共感しちゃって! これ完全に私の心の代弁者だ!って思ったんです」


「「「…………」」」


会議室に、先ほどとは違う種類の、得体の知れない静寂が降り降りた。

担当編集の神崎が、「……えっ? それ、完全にうちの星野先生が最近誰かにやられてトラウマになってた実体験じゃ……」と小声で呟いているが、彼女の耳には入らない。


「あんなに激辛のロマンと真髄を理解している先生が、悪い人なわけありません! 私は全力で、星の罪先生をサポートします!」


(ふふっ。最初はコラボのお仕事のために読み始めただけだったけど、すっかりファンになっちゃった。この『星の罪』先生って、絶対に星野さんと気が合うと思うな!)


菜緒は、特番当日にやってくる原作者の姿を想像して胸を躍らせる。

(星野さんも趣味で小説書いてるって言ってたし、今度会った時、この作品オススメしてみようっと。きっとお勉強になるはず!)


まさか自分が、プロの超人気作家の最新話トラウマの元凶であることにも。そして愛してやまない「ただの会社員」と「星の罪先生」が同一人物であることにも全く気づかないまま、菜緒は台本に力強く丸印を書き込んだのだった。


フンス、と鼻息荒く宣言する菜緒を見て、零は「……ナオちゃんがそこまで言うなら、まあ、いいけど」とドン引きしたように視線を逸らした。


***


定時を知らせるチャイムが鳴るや否や、俺は誰よりも早く席を立ち、オフィスを後にした。


向かった先は、川崎駅前の地下街にある、少しこだわりの強そうな老舗の靴修理専門店だ。


周囲の目を気にしながら、俺はカウンター越しに初老の職人へと「それ」を差し出した。


二ヶ月前、俺が自らの社会的な死を恐れ、会社のロッカーの最奥に厳重に封印していた天宮さんの折れたピンヒールだ。


「あの、これ……直せますか?」


俺が恐る恐る尋ねると、職人は手元の中眼鏡を押し上げながら、差し出された白いパンプスをじっくりと観察した。


「……ほう。見事に根元から折れとるね。それにしても、随分と高いヒールだ。15センチはあるんじゃないか? こりゃあ、歩くのも一苦労だっただろうに」


「ええ、まあ……」


あの日、ビッグサイトの天井付近から俺の腕の中に降ってきた、現代のシンデレラの靴。

ずっと俺のデスクの下の暗闇に封印されていたそれを、ついに持ち主に返す時が来たのだ。


「同じ高さのヒールパーツを取り寄せて接着すれば、元通りにはなるよ。ただ、特殊なパーツだから少し時間はかかるがね」


「後、相談があるんですが…良いですか?」


俺はそのことを初老の職人へ説明した。


「できなくはないが……ソールのカーブやストラップの位置も大幅に調整しなきゃならんよ」


「では、それでお願いします。それと再来週の月曜……6月15日までに。絶対に間に合わせてほしいんです」


俺が真剣な声で念を押すと、職人は「大掛かりな手術になるが……まあ、任せときな」と力強く頷き、預かり証にサインを求めた。


店を出ると、すっかり日は落ちていた。

預かり証を財布の奥深くにしまい込みながら、俺は大きく深呼吸をする。

魔法が解けた靴を彼女に返すまで、あと二週間。


「さて、今週末の韓国料理の情報でも調べますか!」


俺は気合を入れ直すように両頬をパンッと叩き、川崎の喧騒の中へと歩き出した。

本日もお読み頂きありがとうございます。

ついに来てしまった特番生放送の香盤表。シークレットゲスト『星の罪』先生。

会議室で彼を庇ってキレる天宮さんと、ロッカーから引っ張り出された「あの日のピンヒール」。

役者は揃いました。

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