表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/22

【Step.16】深夜の鎌倉と、激辛要員

俺はカーナビの目的地を鎌倉にセットし、ゲレンデヴァーゲンを深夜の首都高速へと滑り出させた。


静まり返った車内に、小さくおすすめのプレイリストを流す。


分厚いドアと高い車高のおかげで、高速道路に乗ってもロードノイズはほとんど気にならない。オレンジ色の街灯が等間隔で車内を照らしては後方へと流れていき、先ほどまでのドタバタが嘘のように、落ち着いた時間が流れていた。


助手席の天宮さんは、窓の外を流れる工場夜景を眺めながら、ぽつりと言った。


「なんだか、今日は本当に不思議な一日でした」


「不思議、ですか」


「はい。アリーナのステージから星野さんを見つけた時、すごくホッとしたんです。……でも、零さんに意地悪言われた時はどうしようかと思って。そしたら、星野さんが『大事な予定がある』って引っ張ってくれて、見たこともない高級店で美味しいケバブを食べて……今、魔法の馬車に乗ってる」


彼女はシートに深く身を沈め、ふにゃりと柔らかい笑みを浮かべた。


「星野さん、実は魔法使いなんじゃないですか?」


「……俺はただの、120回払いのローンに苦しむ哀れな会社員ですよ」


「あははっ、そうでしたね。じゃあ、明日からまた節約のモヤシ炒め生活ですね。今度、安くて美味しい激辛モヤシの作り方、教えますよ」


(……ああ、本当にいい子だな)


俺のくだらない嘘を信じて、本気で心配してくれる彼女の優しさが心に沁みる。


首都高湾岸線を抜け、横浜方面へと向かう直線道路に入ったタイミングで、俺はずっと胸の奥に引っかかっていたトゲについて、つい口を開いてしまった。


「……その。さっきの、篠崎さんでしたっけ」


「零さんですか?」


「随分と、距離が近いんですね。打ち上げとか、公式配信の打ち合わせとか……ずいぶん親しげでしたけど」


声のトーンをなるべく平坦に保ったつもりだったが、自分でも驚くほど余裕のない、嫉妬の滲んだ声が出てしまった。


天宮さんは少しだけきょとんとした後、困ったように眉を下げた。


「……あの人は、なんていうか……距離感の詰め方が『プロゲーマー』なんですよね。誰に対してもああいう感じで、自分のペースに巻き込んじゃうというか」


「……天宮さんは、そういうの嫌じゃないんですか」


「うーん……お仕事のパートナーとしては頼りになりますけど、プライベートであそこまでグイグイ来られると、ちょっと引いちゃいますね。だから今日、星野さんが連れ出してくれて本当に助かったんです」


そう言って、天宮さんは助手席からこちらを見上げ、悪戯っぽく微笑んだ。


「それに私、あんな風に『オレの言うこと聞いとけ』みたいなオラオラ系の人より……一緒に変な匂いになっても笑ってくれて、辛い料理を一緒に食べてくれる星野さんの方がいいです」


(――――っ!!)


心臓を、大型ハンマーで直接殴られたような衝撃だった。

ドクン、ドクンと、警鐘のように心拍数が跳ね上がる。


ハンドルを握る手に、じわりと汗が滲んだ。


(『星野さんの方がいいです』……!?それって……俺のことを……?)

一瞬、天国まで昇りかけた思考が、次の瞬間、現実の重力で地面に叩き落とされる。


(……いや待て。結局「辛い料理を一緒に食べてくれる人」って、ただの都合のいい【激辛要員】じゃねえか!!)


一瞬で舞い上がった男の純情は、カプサイシンという残酷な現実によって、見事に地上へと引き戻された。


だが、不思議と嫌な気はしなかった。


むしろ、俺の胸に刺さっていた「プロゲーマーとの格差」という名の冷たい棘は、そのズレたセリフのおかげで完全に跡形もなく溶け去っていた。


やがて車は横浜横須賀道路へと入り、朝比奈インターを降りた。


「……天宮さん」

「はい」


「今度あいつ……篠崎が、また仕事の権力とか打ち上げとかを盾に無理やり迫ってきたら、俺に言ってください」


俺は前を向いたまま、静かに、けれど明確な決意を込めて言った。


「え?」


「今日みたいな『アダナケバブ』なんていう苦し紛れの嘘じゃなく……次はちゃんと、俺が真っ向から叩き潰して、専属の激辛要員として連れ出しますから」


「……!」


天宮さんは小さく息を呑み、それから、嬉しさを隠しきれないように頬を緩ませた。


「……はいっ。約束ですよ、星野さん」


やがて車は峠道を越え、視界に立派な鳥居が見えてきた。


ライトアップされた鶴岡八幡宮だ。その八幡宮の脇を抜け、さらに奥の住宅街へと車を進める。


「あ、この先の角を曲がったところで大丈夫です」


天宮さんの案内に従い、静まり返った路地の広いスペースに車を寄せ、静かにパーキングブレーキをかけた。


「着きましたよ」

「はい……」


シートベルトを外すカチャッという音が、妙に大きく聞こえた。

天宮さんはすぐにドアを開けず、少しだけ名残惜しそうに膝の上で両手を組み合わせている。


「今日は、本当にありがとうございました。アリーナまで来てくれたのも、美味しいご飯も、この魔法の馬車でのドライブも……全部、すっごく楽しかったです」


彼女はこちらに向き直り、今日一番の、本当に嬉しそうな笑顔を向けた。


「俺の方こそ。……ちゃんと休んでくださいね。明日は仕事、休みなんですよね?」


「はいっ。昼まで泥のように眠ります! 星野さんも、気をつけて帰ってくださいね」


「ええ。おやすみなさい、天宮さん」


重いドアが開けられ、彼女が車を降りる。


キャリーケースを引きながら、彼女はマンションの敷地に入る手前で立ち止まり、こちらに向かって大きく手を振った。


「ありがとうございました! また、連絡しますね!」


俺も軽く手を振り返し、彼女の姿がエントランスの奥へと消えていくのを最後まで見届けた後、心の中で固く誓った。


あの銀髪のキザな男とは、絶対にどこかで決着をつけなければならない。


俺が「ただの会社員」ではなく、何百万PVを叩き出し、彼が立っていたステージよりも遥かに巨大な熱狂を生み出す『プロのクリエイター』として。


本日もお読み頂きありがとうございます。

深夜の鎌倉へのドライブ。「一緒に変な匂いになってくれる星野さんの方がいいです」という

天宮さんの言葉で、プロゲーマーへの劣等感が吹き飛びました。激辛要員、バンザイ!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ