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【Step.14】タキシードと、逃げるトルコアイス

ふかふかの革張りソファに腰を下ろすと、間髪入れずにタキシード姿の初老のウェイターが、うやうやしく黒い革装丁のメニュー表……もとい「お品書き」を二人の前に差し出した。


「本日はご来店いただき、誠にありがとうございます。こちらが本日のコースとなります」


「あ、ありがとうございます……」


天宮さんと並んでメニューを開き、俺は数秒で絶望した。


そこに書かれていたのは、俺たちが求めていた「B級グルメのアダナケバブ」メインのガッツリ飯ではなく、完全にフレンチやイタリアンの文脈で書かれた『ポエム』だった。


【本日の特別コース 〜ボスポラス海峡の風〜】


冷菜:黒海産ひよこ豆のフムス 〜朝露を帯びたオリーブオイルと共に〜

温菜ホットメゼ:特選仔羊肉のアダナケバブ 〜スパイシーなハーブのマリネにくぐらせ、香ばしく焼き上げて〜

魚料理:エーゲ海の恵み 〜旬の白身魚とクスクスの包み焼き〜

メイン:黒毛和牛フィレ肉のロースト 〜芳醇なザクロと赤ワインのソース〜


(……長い!! メニュー名が長すぎる!!)

俺は内心で盛大にツッコミを入れた。


しかも、目当てのアダナケバブはメインですらなく、魚料理の前に出される「温菜ちょっとしたおつまみ」扱いである。おまけに、右側にあるはずの「金額」がどこにも記載されていない。おそらく担当編集の神崎が「支払いはすべてこちらのツケで」と手配してくれたのだろう。


隣に座る「ただの会社員(俺)」を信じている天宮さんからすれば、これは完全に異常事態だ。


「ほ、星野さん……」


天宮さんがメニューで顔の半分を隠しながら、小声で囁いてくる。


「これ、コースのみみたいなんですけど……しかもお値段が書いてません! 私たち、とんでもない所に来ちゃったんじゃ……!」


「だ、大丈夫です。会社のツテの……その、福利厚生的なやつで、安く済むので! 気にしないでください!」


俺は冷や汗を流しながら、苦し紛れの嘘を重ねた。


「ほ、本当ですか……?」


天宮さんはまだ半信半疑な目を向けつつも、スッと自分のスマホを取り出し、パシャリと豪華な内装やメニュー表の写真を撮った。


「……全然『B級グルメ』じゃなかった証拠、しっかり撮っておきますからね。次に零さんに会った時、ドヤ顔で見せつけてやります。星野さんのこと、あんな風にバカにしたこと後悔させてやるんだから」


「(……天宮さん)」

怒ったようにふんす、と鼻息を鳴らす彼女の姿に、俺は少しだけ胸が温かくなるのを感じた。俺のために怒ってくれているのが伝わってきたからだ。


(でもやめて! 見せつけないで……! 絶対に怪しまれるし、俺の「ただの会社員」って嘘がバレるから!!)


俺が内心で盛大に焦っていると、天宮さんはフフッと悪戯っぽく笑った後、再びメニューに視線を落として「あっ」と声を上げた。


彼女の視線は、豪華な黒毛和牛のメインディッシュの項目には一切目もくれず、コースの中盤にひっそりと書かれた『温菜』の項目を指差して、目をキラキラと輝かせた。


「ありました! アダナケバブ! スパイシーなハーブのマリネ……! どんな香辛料なんでしょう、すっごく美味しそう!」


そして彼女は、ウェイターに向かって無邪気な笑顔で尋ねた。


「あの、すみません。この温菜のアダナケバブなんですけど」


「はい。当店のシェフが厳選した仔羊肉に、数十種類のハーブを練り込んだ一口サイズの逸品でございます。メインのお肉料理に向けて、胃を程よく刺激する役割を――」


「そのスパイスって、もっと多めにしていただくことってできますか? 激辛……いえ、限界まで辛くしてほしくて!」


「…………えっ?」


初老のウェイターの完璧な営業スマイルが、一瞬だけピシッと固まった。


無理もない。シュミラン掲載の超高級店で、これから繊細な魚料理やメインディッシュが控えているというのに、中盤の温菜で「限界までの激辛」を要求し、客自ら味覚を完全破壊しにいこうとしているのだ。前代未聞のテロ行為に違いない。


「あ、あの……当店のスパイスは、辛味というよりは上品な香りを引き立たせるためのものでして。極端に辛くしてしまうと、その後の繊細なお魚料理の味が分からなくなって……」


「そうなんですかぁ……」


天宮さんは、耳を垂らしたウサギのようにシュンと分かりやすく落ち込んだ。


(マズい、このままじゃ俺がただ「高いだけで辛くない店」に連れてきたことになってしまう! しかも俺のせいで新幹線にまで乗せて!)


俺は男のプライドと、横浜アリーナでの「アダナケバブ宣言」の責任を取るため、ウェイターに向けて静かに、しかし有無を言わさぬ圧を込めて口を開いた。


「……すみません。彼女の言う通り、別添えで構いませんので、ありったけのチリペッパーか、この店で一番辛いスパイスを持ってきていただけませんか?」


「は……しかし、それではシェフが計算したコースの味覚の意図が……」


「神崎さん……いえ、こちらの予約の手配をした者には、私から上手く伝えておきますので。どうか、特別にお願いできませんか?」


俺が「神崎(出版社のエライ人)」の威光を暗にチラつかせると、ウェイターはハッとしたように息を呑み、そして痛ましそうな顔で深々と頭を下げた。


「……承知いたしました。当店の奥底に眠る、最も刺激的なスパイスをご用意させていただきます」


ウェイターが(シェフに何と報告しようかという絶望を背負って)恭しく退室していくと、天宮さんがパァッと顔を輝かせて俺の腕を軽く叩いた。


「すごいです星野さん! まるでVIPみたいでした! これで心置きなく激辛アダナケバブが楽しめますね!」


「……ええ。存分に、楽しんでください」


(俺の作家としての『権力』、完全に使い所を間違ってる……! 高級店のシェフ、本当にごめんなさい!)


俺はひきつる頬を必死に抑えながら、これからやってくるであろう「高級フレンチ・トルコ料理」と「激辛スパイス」の未知なる融合に備え、静かにグラスの水をあおった。


無事に(シェフが泣きながら用意したであろう)激辛スパイスで真っ赤に染まったアダナケバブを平らげ、天宮さんは「最高です!」と満面の笑みを浮かべていた。


一方の俺は、スパイスで麻痺した舌と、店の格式をぶち壊した罪悪感で胃を痛めながら、なんとかメインの黒毛和牛フィレ肉までを胃に流し込んだ。


そして、いよいよコースは締めくくりのデザートへと差し掛かる。

コンコン、と静かにドアがノックされ、先ほどの初老のウェイターが一回り大きな疲労感を漂わせながら入室してきた。

彼の手には、見事な銀のトレイに乗せられた美しいデザートプレートが輝いている。


「……本日のデザートでございます。『アララト山の初雪 〜伝統のサレップ・ドンドゥルマ、ローストピスタチオと薔薇の香りを添えて〜』」

純白の冷たいアイスクリームが、まるで芸術作品のように金箔とピスタチオで飾られ、上品なガラスの器にちょこんと盛られていた。


「わあ……! 綺麗!」


天宮さんが目を輝かせる。だが、彼女はすぐに首を傾げた。


「あの、ドンドゥルマって……もしかして、トルコアイスのことですか?」


「はい、左様でございます。蘭のサレップから抽出した成分を練り込んでおり、独特の粘り気と風味が特徴の――」


「やった! 私、トルコアイス食べるの初めてなんです!」


天宮さんはパァッと顔を輝かせると、両手を胸の前で合わせて、期待に満ちた上目遣いで初老のウェイターを見つめた。


「あの! それじゃあ……『なかなか渡してくれないやつ』、やってくれるんですか!?」


「…………は?」


初老のウェイターの完璧な営業スマイルが、本日二度目の完全フリーズを起こした。


無理もない。


銀座の一等地に構えるシュミラン掲載店。静かなジャズが流れるVIPルーム。


そんな最高級の空間で、縁日の屋台のおじさんがやるような「客をからかうアイスの受け渡しパフォーマンス」を要求されるなど、彼の数十年のサービスマン人生において一度もなかったはずだ。


「あ、あの……お客様。当店はそういった……アミューズメント的なサービスは……」


ウェイターの顔に「どうかお許しください」という悲痛な哀願が浮かぶ。

俺もさすがに同情した。(天宮さん、ここは銀座の高級店なんだ。頼むから普通に食ってくれ……!)と喉まで出かかった。


だが、天宮さんは信じ切った真っ直ぐな瞳で俺を見た。


「星野さん、言ってましたよね? アダナケバブもあって、トルコアイスのパフォーマンスも楽しめるお店を探してくれたって!」


(————言ってない! 俺は『トルコアイスも食べられる店』としかLIMEに書いてない!!)


完全に彼女の中で「トルコアイス=からかわれるもの」というセットで期待値がカンストしてしまっている。


もしここで「この店ではやらないんだ」と言えば、俺は『事前のリサーチ不足で彼女の期待を裏切った安上がりな男』に逆戻りだ。


俺はグラスの水を一息に飲み干すと、震える手でテーブルの下のズボンをギュッと掴み、再び『大人の汚いカード』を切った。


「……すみません」


俺は、死んだ魚のような目でウェイターを見上げた。


「……神崎さんが、どうしても彼女に『アレ』を見せてやってほしいと。……特別に、お願いできませんか?」


「…………っ!!」


出版社の権力(という架空のプレッシャー)を突きつけられ、初老のウェイターは絶望に目をギュッと瞑り……やがて、覚悟を決めたように目を開いた。


「……かしこまり、ました」


彼は銀のトレイからガラスの器を下ろすと、持っていたスプーンで上品なアイスを掬い上げた。


そして、完璧に美しい姿勢と、一切の感情を排した能面のような真顔で、天宮さんの口元へスプーンを差し出し――。


天宮さんが「あーん」と口を開けた瞬間。

スッ、とスプーンを裏返し、微かな手首のスナップだけで見事にアイスを避けてみせた。


「ああっ!? 逃げた!」


天宮さんがキャッキャと笑う。


「……」


ウェイターは一言も発さず、ただ洗練された所作で「右」「左」「下」とスプーンを移動させ、無言で天宮さんをからかい続けた。


シュミランの星を持つ高級店のVIPルームで繰り広げられる、タキシード姿の紳士と美少女の、シュールすぎる無言の攻防戦。


(……俺のせいだ。俺が、見栄を張ったばっかりに……!)


「あははっ! すごーい! 本当に伸びてるし、全然取れない!」


大喜びする天宮さんの横で、俺は胃薬を大量に飲み込みたい衝動と戦いながら、初老のウェイターに向かって(本当に、本当に申し訳ありません……っ!)と、心の中で血の涙を流して土下座し続けるのだった。

本日もお読み頂きありがとうございます。

銀座のシュミラン掲載店で、まさかのトルコアイス屋台パフォーマンス要求。タキシード姿の初老のウェイターさんが完全にフリーズしてしまいました。天宮さん、無邪気すぎる……!

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