【Step.13】アダナケバブと、銀座の奇跡
新横浜駅から東京駅までの新幹線。わずか十数分の短い旅だが、休日の自由席は混み合っており、俺たちは指定席の横並びの座席に腰を下ろした。
「わあ……新幹線でご飯食べに行くなんて、なんだか旅行みたいでワクワクしますね!」
窓側の席に座った天宮さんは、流れる夜景を見ながら子供のようにはしゃいでいる。
俺は通路側の席で、小さくため息をついた。
「……本当に行くんですか? さっきあいつの前で大見得を切ったとはいえ、これから有楽町でアダナケバブを食べて、終電間近の電車で鎌倉まで帰るなんて、狂った強行軍ですよ」
俺が現実的な懸念を口にすると、彼女はクルリとこちらに向き直った。
「行きますよ! だって、星野さんも食べたかったんじゃないですか? アダナケバブ」
「まあ、それは……」
「それに私、さっきすごく嬉しかったんです」
天宮さんは、膝の上で両手をギュッと握り合わせ、少しだけ照れくさそうに目を伏せた。
「零さんに『ただの会社員と何するわけ?』って言われた時、星野さんが『大事な予定がある』って庇ってくれたじゃないですか」
「……あいつが失礼すぎただけです」
「ふふっ。それに、あの『アダナケバブ!』の見事なハモり! 私、星野さんが合わせてくれた瞬間、心の中でガッツポーズしちゃいました」
思い出し笑いをする彼女の横顔に、嘘はない。
俺のLIMEをしっかり読んでくれていたからこその、奇跡のユニゾン。
だが、俺はどうしても捻くれた感情を抑えきれなかった。
「……でも、あいつの言う通りかもしれませんよ。B級グルメみたいな店に、わざわざ新幹線まで使って付き合わせるなんて。もっと、プロの人たちと打ち上げでいいものを食べた方が、天宮さんのためだったんじゃ……」
「星野さん」
不意に、少しだけ真剣な声で遮られた。
見ると、天宮さんは真っ直ぐに俺の目を見つめていた。
「私、打ち上げとか、業界の人たちとのご飯って、本当はちょっと苦手なんです。……気を張ってなきゃいけないし、自分がどう見られてるか常に意識しなきゃいけなくて」
彼女は小さく息を吐き出し、ふにゃりと柔らかく笑った。
「だから……星野さんと一緒に、汗かきながら辛いものを食べてる時が、今は一番ホッとするんです。変な匂いになっても笑い合えるし、無理してカッコつけなくていいから」
(――――っ)
その言葉は、俺の胸に刺さっていた冷たい棘を、一瞬にして溶かしてしまった。
「住む世界が違う」「安上がりな男」……そんな卑屈な劣等感を吹き飛ばすには、十分すぎるほどの破壊力だった。
俺が照れ隠しに何かぶっきらぼうな返事をしようとした、その時だった。
『まもなく、品川です。東海道線、山手線、京浜東北線はお乗り換えです』
車内にアナウンスが響く。
「あ、もうすぐ着いちゃいますね。アダナケバブ、どんな味なんでしょうね〜! 羊のお肉なんですよね?」
隣で天宮さんが、完全に「未知のスパイス」を前にしたハンターの顔で両手を擦り合わせている。
「ええ、ひき肉に色んなスパイスを練り込んで串焼きにしたやつで、普通のケバブとはまた違った美味しさが……」
相槌を打ちながら、俺は有楽町駅からの最短ルートを確認しておこうと、スマホを取り出して目的のトルコ料理店の公式サイトを開いた。
そして、最新の投稿が画面に表示された瞬間。
俺の思考は、文字通り完全にフリーズした。
【お知らせ:本日土曜日のディナータイムは、貸切営業とさせていただきます。通常営業は明日からとなりますので……】
(……は?)
貸切。
カシキリ。
KASHIKIRI。
画面に躍る無慈悲な文字列を三度見した。見間違いじゃない。
全身の毛穴から、一気にブワッと冷や汗が噴き出すのを感じた。
(嘘だろ嘘だろ嘘だろ!? なんでよりによって今日の夜なんだよ!!)
心の中で盛大な悲鳴が響き渡る。
ヤバい。ヤバすぎる。
あの小癪なプロゲーマーからの誘いを断るため、「アダナケバブ」という局地的なメニューを盾に、わざわざ有楽町まで向かっているのだ。
それなのに「ごめん、店開いてなかったから適当に居酒屋でいい?」なんて言えるわけがない。そんなことをしたら、俺はただ『見栄を張って新幹線でモデルの女の子を無駄に連れ回した挙句、夕食難民にさせた安上がりな大バカ野郎』に成り下がってしまう。
「星野さん? どうかしましたか? 急に黙り込んじゃって……」
スマホを握りしめたまま硬直している俺の顔を、天宮さんが不思議そうに覗き込んでくる。
至近距離にある美少女の顔。だが、今の俺にはそれにドキドキする余裕など1ミリも残されていなかった。
「……っ、いえ!! なんでもないです! ちょっと、急ぎの仕事のメールが気になって!」
「ええっ、せっかくのお休みなのに大変ですね。あまり無理しないでくださいね?」
「はい! 大丈夫です! 完全に掌握してますから!」
声が上ずっているのが自分でも分かった。
俺は引きつった笑顔でそう返すと、「ちょっと、電話してきます」と立ち上がり、新幹線のデッキへと駆け込んだ。
デッキに出るなり、俺はスマホの連絡先から『KK書店・担当編集(神崎)』の名前を光の速さでタップした。
数回のコールの後、少し疲れたような男の声が出る。
『はい、神崎です。星野先生、どうされました? もしかして新章のプロット、もう上がったんですか?』
「プロットは上がってません。それより神崎さん、今すぐ頼みたいことがあるんです」
『え? はあ……なんでしょう。原稿の締め切りなら、まだ三日ありますけど』
「今すぐ、東京駅周辺……できれば有楽町か銀座エリアで、『アダナケバブ』が出せるトルコ料理店を押さえてください。今から十五分後に入れますか?」
『…………は?』
電話の向こうで、神崎の思考が完全に停止したのが分かった。
「できれば、めちゃくちゃ雰囲気のいい店でお願いします。シュミランに乗ってるレベルで。費用はいくらかかっても、どんな手を使ってもいいです」
『ちょ、ちょっと待ってください星野先生!? 今から!? 有楽町のシュミラン級トルコ料理!? 難易度が高すぎます! というか先生、もしかして……女の子と一緒ですか!?』
「……事情は後で話します。一生のお願いです。俺の男としてのプライドが懸かってるんです。頼む、このままじゃ俺はただの夕食難民製造機になる……!」
俺が悲痛な声で叫ぶと、神崎は小さく息を呑み、そして――プロの編集者としての凄みのある声色に変わった。
『……分かりました。我が社の接待用コネクションを総動員して、なんとかしてみせます。大ヒット作家の威信にかけて、夕食難民になんてさせませんよ!』
「神崎さん……っ!」
『その代わり、次の新章、絶対最高のものにしてくださいよ! 三分後にメールで店の情報を送ります!』
プツン、と通話が切れる。
持つべきものは、優秀な担当編集だ。俺は深く息を吐き出し、乱れた呼吸を整えてから席へと戻った。
***
「……星野さん、本当にここですか?」
有楽町駅からタクシーで数分。
銀座のきらびやかなネオンを抜けた先にある、重厚な石造りのビルの前で、天宮さんは完全に尻込みしていた。
入り口には、黒服のドアマン。
看板には、洗練された真鍮のプレートで『Mediterranean & Turkish Cuisine -Zeytrn-』と刻まれている。
どう見ても「B級グルメ」を楽しむような店ではない。シュミランの星が輝く、超一等地の高級地中海・トルコ料理店だ。
「ええ、まあ。……知り合いに、ちょっと良い店を教えてもらったので」
俺は冷や汗をかきながら、精一杯の「ただの会社員」の顔を作って頷いた。
「いやいやいや! これ絶対、ドレスコードとかあるお店ですよ! 私のこんなカジュアルな服装で……」
「大丈夫です。個室を取ってあるらしいので」
「こ、個室ぅ!?」
黒服のドアマンが、俺たちの姿を認めて恭しく頭を下げる。
「お待ちしておりました、星野様。KK書店の神崎様より承っております。奥のVIPルームへどうぞ」
「……どうも」
ドアマンに案内され、大理石の床を踏みしめながら、俺たちは店の中へと足を踏み入れる。
薄暗くムーディーな間接照明、静かに流れる生演奏のジャズ、そしてスパイスの香りが上品に漂う洗練された空間。
「ほ、星野さん……! 会社員って言ってましたよね!? なんでこんなVIP待遇なんですか!?」
隣を歩く天宮さんが、俺の袖をギュッと掴んでひそひそ声で聞いてくる。
彼女の目は「もしかして、裏社会の人……?」とでも言いたげに泳いでいた。
「いや、その……たまたま、会社の取引先のツテで! たまたま空いてたみたいで!」
「たまたまで銀座のVIPルームは取れませんよ!?」
(……あいつ、絶対「安上がりな男」なんて言わせないからな)
横浜アリーナで俺を見下した篠崎零のキザな顔を思い浮かべながら、俺は内心でほくそ笑んでいた。
自分のスペックを隠したまま、裏技で超高級ディナーを引き当てる。
俺の平穏な土曜日の夜は、こうして「現代のシンデレラとのVIPルームでのアダナケバブ実食」という、予想外のラグジュアリー展開へと突入していくのだった。
本日もお読み頂きありがとうございます。
新幹線のデッキから、担当編集(神崎さん)への無茶振りコール。印税パワーとコネの暴力で、
銀座の超高級店を強引にこじ開けます。
神崎さん、いつもありがとうございます(笑)




