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【Step.12】MCとストリーマーと、冴えない会社員

翌日、土曜日の午後。


俺は横浜アリーナの客席、ステージから離れたやや斜め後ろの席に座っていた。


巨大なスクリーンに映し出される激しい銃撃戦と、観客の熱狂的な歓声。

人気対戦ゲームの公式全国大会の会場は、想像以上に熱気に満ちていた。


(……すげえな、これがプロゲーマーの世界か)


俺は軽く息を飲みながら、ステージ中央に視線を向けた。


アシスタントMCとしてマイクを握る天宮菜緒の姿が、そこにあった。


黒を基調にしたスタイリッシュな公式ユニフォームに身を包み、いつものキャップとマスクを外した彼女は、まるで別人だった。アニメっぽくありませんか?とLIMEで送られてきたものだ。


明るい照明の下で輝く長い髪、キラキラした笑顔、淀みないトーク。

数千人の観客の視線を一身に浴びながらも、彼女は堂々と進行をこなしている。


「皆さん、熱くなってきましたねー!ここでスペシャルゲストをご紹介します!プロチーム『影刃』所属、今もっとも勢いのあるストリーマー……零選手です!」


大歓声が巻き起こる中、ステージ袖から現れたのは——

篠崎零というプロゲーマーだった。


長身で細身、銀髪を派手にセットしたクール系のイケメン。

チームの黒とネオンカラーのユニフォームが、ステージライトに映えて異様な存在感を放っている。


女性ファンから黄色い悲鳴が飛ぶ。


「零くーん!」

「かっこよすぎる!!」


零は軽く手を振りながら天宮さんの隣に立ち、マイクを寄せられた。


「こんにちは、零です。今日はよろしくお願いします、ナオちゃん」


ナオちゃん。

その呼び方に、俺のこめかみがピクリと動いた。


天宮さんは全く気にした様子もなく、笑顔で返す。


「零さん、今日もよろしくお願いします!皆さん、零選手は過去の大会でも何度か共演させていただいてるんですけど、いつも本当に頼りになるんですよね〜」


「ははっ、ナオちゃんにそう言ってもらえると嬉しいな。前回の幕張の時も、ナオちゃんの進行が上手くて助かったよ。今日も一緒に盛り上げようぜ」


零は自然に天宮さんの肩に軽く手を置き、親しげに笑う。


距離が近い。明らかに「ただの仕事仲間」以上の馴れ馴れしさだ。

客席の俺は、膝の上で拳を軽く握りしめていた。


(……なんだあの男。初手で肩に触るって、いくらなんでも距離感がバグりすぎだろ。アメリカ帰りか?)


内心で盛大に悪態をつくが、周囲の熱狂がそれを許さない。

ステージ上では、零のプレイに合わせて実況が叫び、数千人の観客が地鳴りのような歓声を上げている。


その中心で、天宮さんは零のスーパープレイに目を輝かせ、「すごい! 零選手、今のはどうやったんですか!?」と完璧なMCをこなしていた。


眩しい。あまりにも、住む世界が違いすぎる。


(……昨日の夜、川崎の駅前で口からニンニクの匂いをさせて猛ダッシュしてた女の子と、同一人物なんだよな)


ポケットの中にある、昨日彼女から押し付けられたストロングミントのケースを指先でなぞる。


それだけが、俺と彼女を繋ぐ唯一の『現実』のように思えた。


ステージの上でスポットライトを浴びる彼女たちと、暗い客席でパイプ椅子に座っている俺。


そこには、物理的な距離以上の、絶対に越えられない『壁』が存在しているように感じられてならなかった。


(……俺、何やってるんだろ)

みぞおちの辺りに、黒くて重い感情が渦巻く。

それは間違いなく『嫉妬』と『劣等感』だった。


俺はステージから目を逸らし、逃げるように大きく息を吐き出した。


***


イベントの第一部が終わり、長めの休憩時間に入った。

俺は息苦しいアリーナ席を抜け出し、少しでも人の少ない場所を求めて関係者エリアに近いロビーの隅へと足を向けていた。


自販機で冷たい水でも買って、頭を冷やしたかった。


「——だから、今日の打ち上げ、絶対来いよ。ナオちゃんが来ないと俺、モチベ上がんないし」


不意に、通路の角から聞き覚えのあるキザな声が聞こえてきた。

俺はビクッと足を止める。


自販機の陰になる位置からこっそりと視線を向けると、そこには首にタオルをかけた篠崎零と、スタッフ用のパスを下げた天宮さんの姿があった。


「ええー? 零さんがいれば十分盛り上がるじゃないですか。私、この後ちょっと予定があって……」


「予定? なんだよ、彼氏か?」

「違いますよ! ただの……その、知り合いが見に来てくれてて」


「ふーん。なんだ、男か。紹介してよ、俺も挨拶するからさ」


零が、天宮さんの顔を覗き込むように距離を詰める。

その横顔は「どうせただのファンか、冴えない男だろ」とでも言いたげな、絶対的な自信に満ち溢れていた。


(……っ!)


隠れているのも不自然だ。

俺は意を決して、自販機の陰から一歩、重い足を踏み出した。


「——天宮さん」


自販機の陰から一歩踏み出し、俺は努めて平坦な声で呼びかけた。


「あ、星野さん!」


俺の姿を認めた瞬間、天宮さんの顔にパァッと花が咲く。

ステージ上で数千人を魅了していた「完璧なMC」の仮面がスッと剥がれ落ち、いつもの無防備で人懐っこい笑顔に戻る。


その変化に、隣にいた篠崎零の切れ長な目がスッと細められた。


「へえ……。彼が、例の『お知り合い』?」


零は首にかけていたタオルで汗を拭いながら、俺の全身を舐め回すように観察した。


身長は俺と同じか、少し高いか。だが、鍛えられた細身の体と派手な銀髪、そして何より「数千人の熱狂の中心にいた」という強烈なオーラが、彼を何倍も大きく見せていた。


「初めまして。篠崎零です。……いつも、うちのナオちゃんが世話になってるみたいで」

零は爽やかな笑みを浮かべ、右手を差し出してきた。


『うちのナオちゃん』。

まるで自分が彼女の保護者か、あるいは所有者であるかのような言い回し。マウントを取るための、明確な牽制ジャブだ。


俺は内心の苛立ちを冷たい理性の奥に押し込め、その手を短く握り返した。


「初めまして、星野です。天宮さんには、いつも俺が振り回されている側なので。……お気遣いなく」


「あははっ、何それ。星野さんってば」

天宮さんが横で無邪気に笑う。

俺の切り返しに、零の眉が微かにピクリと動いた。


彼の中で、俺という人間のステータス査定が行われているのが手にとるように分かる。


『ルックスは普通。服装も量販店のカジュアル。話し方からして、業界の人間でもない。ただの冴えない一般人モブだ』

そんな見下したような結論が、彼の視線の奥に透けて見えた。


「で、星野さん? は、何の仕事してるの? ナオちゃんとはどこで知り合ったわけ?」


「……ただの会社員です。知り合ったのは、まあ、ちょっとした偶然で」


「ふーん。会社員ねぇ」


零は鼻で笑うと、天宮さんの肩にポンと手を置いた。


「ナオちゃんさ、悪い男には気をつけなよ? 最近、ファン上がりで距離感勘違いする痛いヤツ多いからさ。……それより、今日の打ち上げ、やっぱり来なよ。スポンサーの偉い人も来るし、ナオちゃんの今後の仕事にも繋がるぜ?」


(……この野郎)


俺の堪忍袋の緒が、ギリッと音を立てた。

俺を透明人間扱いして、権威スポンサーを盾に彼女を囲い込もうとする手口。大人の男として、これを見過ごすわけにはいかない。

俺が口を開きかけた、その時だった。


「ごめんなさい、零さん」

天宮さんが、零の置いた手からスッと肩を引いた。


「私、今日は星野さんと約束があるんです。それに……私にとって星野さんは、ただのファンなんかじゃありませんから」


真っ直ぐな瞳で、天宮さんは零を見つめ返した。

その凛とした表情は、俺が初めてビッグサイトで見た「現代のシンデレラ」の気高さそのものだった。


「……は? 約束?」


零が不機嫌そうに俺を睨みつける。


「ただの会社員と、何するわけ? 飯?」


「ええ、そうです。俺たち、これから有楽町まで行かなければなりませんので」


俺は半歩前に出て、天宮さんを庇うように零との間に立った。

天宮さんが彼との打ち上げを嫌がっている以上、以前のLIMEでお蔵入りになったはずの「有楽町への遠征ルート」を前倒しででっち上げるのは、咄嗟の常套手段だった。


だが、零は鼻で笑い、意地悪く口角を釣り上げた。


「へぇ、有楽町ねえ……。じゃあさ、その『約束』とやらを二人同時に言ってくれない?」


「……は?」


「もし全く同じことを言ってるなら、本当に予定があったって認めてもいいぜ。でも、ただの口実だったなら……ナオちゃんには予定通り打ち上げに来てもらうからな」


(……やられたっ!)

俺は内心で盛大に舌打ちをした。


有楽町でご飯、というざっくりとした設定しか共有していない。「ディナー」とか「トルコ料理」みたいな無難な言葉で合わせにいくべきか?


いや、相手はあの天宮菜緒だ。「激辛」や「スパイス」に脳を焼かれた彼女のことだ、絶対に変に具体的なワードをぶっ込んでくる危険性がある。


俺が冷や汗を流していると、背後の天宮さんは全く動じることなく、自信満々にコクリと頷いた。


「分かりました。いいですよ」

「オッケー。じゃあいくよ? せーのっ」


零の合図に合わせて、俺は半ばヤケクソで口を開いた。


「「アダナケバブ!!」」


見事に重なった二人の声が、関係者エリアの通路に響き渡った。コンマ一秒のズレもない、完璧なユニゾンだった。


「…………は? あだな……何?」


零が、心底わけが分からないといった顔で素っ頓狂な声を上げた。


「アダナケバブです! スパイスがしっかり効いてて、すっごく美味しいんですよ! ね、星野さん!」


天宮さんが嬉しそうに俺の腕を軽く叩いて笑う。

異常なまでの息の合い方を見せつけられ、零は一瞬だけ完全に毒気を抜かれたように立ち尽くしていた。


だが、彼はすぐに面白くなさそうに鼻を鳴らし、いつもの余裕ぶった笑みを貼り付けた。


「ふーん。……ケバブね。そんなB級グルメみたいなのに、わざわざナオちゃんを付き合わせてるわけ? 随分と安上がりな男だな」


「っ……」


「まあいいや、俺は関係者の偉い人たちと美味い寿司食ってくるからさ。……あ、そうだナオちゃん。来週の公式配信の打ち合わせ、月曜にあるからよろしくね。あんま遅くまで連れ回されて、寝不足で仕事に穴開けんなよ?」


零は俺を完全に無視して天宮さんにそう告げると、「じゃあな」と片手を上げて、関係者エリアの奥へと歩き去っていった。

遠ざかる彼の背中を見送りながら、俺の胸に再び冷たい棘が刺さる。


(……仕事の打ち合わせ。公式配信)


さっきまでの奇跡のユニゾンの高揚感が、急速にしぼんでいく。


俺たちには「激辛」という少しズレた繋がりしかない。だが、あの男と彼女の間には、俺が絶対に踏み込めない「プロとしての華やかな世界」の繋がりが、確固として存在しているのだ。


「あ、お疲れ様です零さん! 打ち上げ楽しんでくださいね!」


そんな俺の内心の焦りなど知る由もなく、天宮さんは屈託のない笑顔で手を振り返している。


俺はその横顔から逃げるように視線を外し、「……行きますよ」と短く促して、アリーナの出口へと向かった。

本日もお読み頂きありがとうございます。

プロゲーマー・篠崎零の登場です。圧倒的な「住む世界の違い」を見せつけられながらも、

天宮さんのために一歩前に出た星野くん、よく頑張りました! 有楽町への逃避行が始まります。

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