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【Step.11】ニンニクの夜と、明日の約束

川崎駅前の喧騒から少し離れた、大通り沿い。そこから右へ折れ、細い一方通行の路地に入る。


赤と黄色の派手な看板が目を引く『ネオタンタン麺』のカウンター席に、俺たちは並んで腰を下ろしていた。


「お待たせしましたー! こちら『鬼辛』のニラトッピング、こっちが『中辛』ね!」


ドンッ、と置かれた二つの巨大な丼。

真っ赤に染まったスープに、ふわふわの溶き卵と粗挽きの唐辛子、そしてたっぷりのニンニクが浮かんでいる。川崎市民のソウルフードとも言えるスタミナ満点の一杯だ。


「わあ……! 美味しそう!」

隣で、目深に被っていたキャップを取った天宮さんが目を輝かせる。

彼女の目の前にある丼は、もはやスープというより「マグマ」に近い。表面が唐辛子でどろどろになっている『一番辛いやつ』だ。


一方、俺の目の前にあるのは一番人気の『中辛』。

以前の俺なら間違いなく『普通』か『ひかえめ』を選んでいたはずだが……この数週間、彼女の異常な味覚に付き合わされてきたせいか、俺の舌も少しだけバグ――いや、成長を遂げていた。


「じゃあ、いただきます!」


天宮さんはレンゲで真っ赤なスープを掬い、ちゅるりと一口すする。

そして、花が綻ぶような笑顔を向けた。


「んんっ! ニンニクが効いててすっごく美味しいです! 辛さもパンチがあって最高!」


「……それは良かったですね」


俺も中辛の麺をすする。うん、美味い。卵の甘みと唐辛子の刺激が絶妙だ。額にじわりと汗が滲むが、以前のように悶絶するような痛みはない。


(俺も、だいぶ鍛えられたな……)


ふう、と息を吐き出しながら、俺はチラリと隣の彼女を盗み見た。

美味しそうに麺をすする横顔。二週間ぶりに見る、彼女の無防備な表情。


(……よし、言うなら今だ)


俺はお冷のグラスを手に取り、少しだけ喉を潤してから、なるべく何でもないことのように口を開いた。


「そういえば……明日、横浜アリーナでイベントがあるって言ってましたよね」


「はい! 人気ゲームの公式大会で、私はアシスタントMCみたいな感じで出させてもらうんです。一日中立ちっぱなしなので、今日はこれでスタミナつけとかないと!」


「……そのイベント。実は俺も、ちょっと行こうかなって思ってて」


「えっ?」


天宮さんが、麺をすする手をピタリと止めた。

大きく見開かれた目が、真っ直ぐにこちらを向く。


「いや、趣味で書いてる小説の参考に、eスポーツの熱気みたいなのも見ておきたくて。……それに」


俺はわざと視線をそらし、丼の中の溶き卵を見つめながら言葉を継いだ。


「二週間も間が空いちゃったんで……まあ、その、ちょっと気になってましたし」


(うわ、俺いま絶対キモいこと言った! 激辛要員がいなくて寂しかっただけだろって思われる!)


言い終わった直後から、顔から火が出そうだった。カプサイシンのせいだけじゃない。


だが、隣からの反応がないことに耐えきれず、恐る恐る視線を戻すと――。


天宮さんは、レンゲを持ったまま、ぽかんとした顔で俺を見つめていた。

そして次の瞬間、嬉しさを隠しきれないように、頬をふにゃりと緩ませた。


「えっ……小説、書いてるんですか!? 星野さんが……! わあ、すごい……!」


天宮さんはレンゲを持ったまま、目をキラキラさせて俺を見つめた。


「私、読書とかあんまり得意じゃないけど……星野さんが書いてる話なら、絶対読んでみたいです!」


「いや、そんな、大したものじゃないんで……」


「えー、読みたい! ……そっか、明日見に来てくれるんですね。ふふっ、なんか『知り合いが見てる』って思うと、急に緊張してきました。……でも、すっごく嬉しいです! 絶対に見つけてくださいね!」


弾むような声。


真っ赤なネオタンタン麺を前にして、彼女は今日一番の笑顔を見せた。

その屈託のない表情に、俺の胸の奥で、ニンニクの熱とは全く違うものがジリジリと焦げるような音を立てた。


店を出ると、夜風が少しだけ涼しく感じられた。

だが、口を開くたびに、自分たちから発せられる暴力的なまでのニンニクの香りが鼻を突く。ネオタンタン麺の余韻は凄まじい。


「……星野さん」

「はい」


「私、明日はアリーナで数千人の前で喋る上に、ゲストのプロゲーマーの方たちにもインタビューしなきゃいけないんですけど」


「……そうでしたね」


「このニンニク臭、絶対ヤバいですよね?」


深刻そうな顔で聞いてくる天宮さんに、俺は誤魔化すことなく深く頷いた。


「俺もニンニク食べてますから分かりませんが、多分マイクにニンニクの匂いが染み付くかもしれません」


「やっぱり! ああっ、どうしよう、美味しさに負けてつい……!」


頭を抱えた彼女は、駅へ向かう道すがら、目についたコンビニへと猛ダッシュで飛び込んでいった。


数分後。彼女がレジで精算を済ませて出てきたその手には、コンビニの袋が握られている。


「……天宮さん、それ」


「買えるだけ買ってきました! 噛むタイプと、飲むタイプと、フィルムのやつ!」


袋の中には、あらゆる種類・あらゆる味のブレスケア製品が、まるで遠足のおやつのように大量に詰め込まれていた。


彼女はその中から「噛むタイプ」のストロングミント味を一つ取り出すと、俺の胸元にポンッと押し付けた。


「はい、星野さんにもお裾分けです。一緒にニンニク臭と戦いましょう」

「……どうも」


俺は苦笑しながら、冷たいプラスチックのケースを受け取った。


駅の改札の手前で立ち止まり、彼女は少しだけ名残惜しそうに振り返った。手にしたキャリーケースを軽やかに転がす。


「今日はありがとうございました、星野さん。短い時間でしたけど、川崎に寄って良かったです」


「俺の方こそ。わざわざこっちまで来てもらってすみません。……ステージ、頑張ってくださいね」


「はいっ!」


彼女は満面の笑みを浮かべ、俺の目を見つめて言った。


「じゃあ、明日。アリーナで待ってます!」


大きく手を振りながら、彼女は改札の向こうへと消えていく。

俺は彼女の背中が見えなくなるまで見送った後、手の中に残されたストロングミントのケースを見つめ、小さく息を吐き出した。


口の中に残る熱と、彼女の屈託のない笑顔の余韻。俺は明日のイベントに向けて、自分の中で少しずつ変わり始めている感情を自覚せずにはいられなかった。


(……行くって言っちゃったよ、俺)

Web小説家の25歳独身男が、現代のシンデレラの輝く晴れ舞台へと足を踏み入れる。


それが、俺の平穏な日常を大きく揺るがす波乱の幕開けになることなど、この時の俺はまだ知る由もなかった。

本日もお読み頂きありがとうございます。

川崎市民のソウルフード、ネオタンタン麺! ひそかに「中辛」を選んで激辛耐性が成長している

星野くんが愛おしいです。

そして次回、いよいよ横浜アリーナへ。強敵登場の予感です。

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