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30 私の身体を、全力で支えてくださいませ!

 天空の多重魔法陣から放たれた極大火力の広域殲滅魔法が、一直線に私へと降り注いだ。


 視界のすべてが白熱の閃光に塗り潰され、大気が爆発的に燃焼する凄まじい熱波が全身を包み込もうとする。

 空中に身を躍らせていた私には回避する術はなく、己の死を覚悟し強く両目を閉じた。


 しかし、どれほど待っても、私の肉体に致死的な熱や痛みが走ることはなかった。

 それどころか、私の身体はひどく温かく――そして、絶対に揺らぐことのない強靭な腕によって、正面から深く抱きしめられていたのである。


 恐る恐る目を開けると、そこには私の頭を庇うようにして力強く抱き抱える、最愛の夫――アドリー様の胸板があった。

 私たちの周囲の平原は、極大魔法の直撃によって巨大なクレーターと化し、土がガラス状に融解して赤い熱を放ちながら燻っている。

 しかし、その爆心地の中心に立つ私たちだけは、衣服の裾一つ焦がすことなく全くの無傷だった。


 アドリー様は、防御結界や魔法の盾などを一切展開していない。

 城壁すらも一撃で蒸発させるほどのゼノヴァス帝国の極大魔法は、アドリー様の背中や衣服に直接触れた瞬間、まるで幻であったかのように無効化され、完全に霧散してしまっていたのだ。


「ラニ様。怪我はありませんか? 現場の指揮官たる貴女を失うわけにはいきませんからね」


 頭上から降ってきたのは、天地がひっくり返るような魔法攻撃を受けた直後だというのに、いつもと変わらぬ静かで優しい夫の声だった。

 土煙の向こうで、ゼノヴァス帝国の最高司令官であるグリード・カネスキーが、信じられないものを見るように目を大きく見開いていた。


「馬鹿な……! 今のは我が軍の高位魔術師数十名の全魔力を注ぎ込んだ、最大出力の極大魔法だぞ! 強固な防御魔装の展開もなく、ただ素手で、生身の肉体で受け止めて無傷だと!? 貴様、いったい何者だ!」


 グリードの驚愕の叫びに対し、アドリー様は私をそっと背後に庇い、冷徹なサファイアの瞳で敵将を真っ直ぐに見据えた。


「何者でもありませんよ。ただ、このルサージュ領を預かる経営責任者トップに過ぎません」


 アドリー様は静かに一歩前に出た。

 彼が歩を進めるたび、周囲の空間に残っていた敵の魔法の残滓が彼の身体に吸い込まれるようにして完全に消滅していく。


「僕の庇護下にある大切な者たちが受けるべき理不尽な痛み、損害、暴力――そのすべての代償を、僕という個で完結させて無効化する。それこそが、僕に与えられた絶対的な守護の力なのです」


 それは、一切のダメージを受け付けない絶対無敵の肉体。

 前世において、過酷な労働環境から部下を守り切れなかったという彼の激しい後悔が、今世で彼にこの規格外の能力を発現させたのだろうか。


「経営トップの役割とは、現場の従業員にリスクを押し付けることではありません。すべての責任と衝撃を自らが引き受け、現場が最も安全に、かつ最大のパフォーマンスを発揮できる環境を保証することです。兵士に薬を飲ませて使い潰す貴方たちのような悪徳ブラック企業に、我が領地の超優良資産を奪うことは絶対に不可能です」


 アドリー様のその確固たる言葉を聞いた瞬間、私の脳内に稲妻のような閃きが走った。

 いかなる理不尽な攻撃も、絶大な衝撃も、彼には一切通用しない。

 彼は絶対に傷つかない究極のセーフティネットであり、最強の土台なのだ。


(そうだったわ……! 壊すことしかできなかった私にずっと足りなかったのは、私の全出力フルパワーを遠慮なく受け止めてくれる、強固な基礎ファウンデーションだったのね!)


 私は今まで、愛する夫の骨格を粉砕してしまわないよう、常に筋肉の出力を零コンマ零零一パーセントという極限のマイナス領域に制限し続けてきた。

 しかし、どんなダメージも無効化する彼に対してならば、私は一切の遠慮を捨てるができる。


「アドリー様! 私の身体を、全力で支えてくださいませ!」


 私が叫ぶと、アドリー様は瞬時に私の意図を理解し、力強く頷いた。

 彼は自身の両腕で私の腰をしっかりと抱きとめ、大地に両足を深く固定した。

 彼という絶対に揺らぐことのない支点を得たことで、私はついに、この異世界に転生してから長年掛け続けていた筋肉の出力制限リミッターを、百パーセントへと完全解放した。


 全身の筋肉細胞が歓喜に打ち震え、莫大な物理的エネルギーが私の四肢に満ち溢れていく。

 私の身体から発せられる闘気だけで周囲の大気が震動し、小石が宙へと浮き上がる。

 私はアドリー様の強靭な腕を土台にして、大地を蹴り割るほどの踏み込みを見せた。


 私が跳躍した瞬間、その凄まじい反動によって背後の地面が広範囲にわたって陥没し、暴風が巻き起こる。

 私は空中を蹴り飛ばすような加速で、敵将グリードが乗る巨大な旗艦へと一瞬にして肉薄した。


「なっ……! 迎撃しろ! 超重合金装甲の出力を最大まで上げろ!」


 グリードが旗艦の甲板で血相を変えて叫ぶ。

 彼が乗る巨大な戦闘車両は、ヤトゥルクメタルをも凌駕する密度を持つ、ゼノヴァス帝国が誇る超重合金装甲によって何重にも覆われていた。

 大砲の直撃すら弾き返すという絶対の物理防壁であり、これこそが彼らの侵略を支える武力の象徴である。


 ――しかし、出力百パーセントの私の前では、そのようなものは薄い紙細工と何ら変わりはない。


「労働者の命を軽んじる悪徳経営不振国家に、ルサージュ公爵家より、物理的な破産宣告強制解体を下しますわ!」


 私は右の拳を限界まで引き絞り、旗艦の正面に展開された超重合金装甲の中央へと全筋力を乗せた一撃を叩き込んだ。

 天地を揺るがす轟音と共に、絶対の強度を誇っていたはずの超重合金装甲が、まるでガラスの破片のように粉々に砕け散った。

 私の拳から放たれた圧倒的な物理的衝撃波は、分厚い装甲を容易く貫通し、旗艦の内部構造を完全に破砕しながら後方へと突き抜けていく。

 巨大な旗艦は真っ二つにへし折れ、その機能は文字通り物理的に完全倒産した。


「ぐああっ……! ば、馬鹿な……我らの合理性が、これほどの暴力の前に……!」


 旗艦の崩壊に巻き込まれ、グリード・カネスキーの身体が宙を舞う。

 彼は全身を強く打ち据えられながら地面を転がり、口から大量の血を吐き出した。

 絶対の安全圏であったはずの旗艦が破壊され、指揮系統を完全に喪失したゼノヴァス軍は、魔法薬の効果で狂暴化していた兵士たちも統制を失い、完全に崩壊状態へと陥った。


「……退け! 全軍、ただちに撤退しろぉっ!」


 グリードは這々の体で立ち上がり、残存兵力と共に東の国境線の彼方へと無様な逃走を開始した。


 土煙が晴れゆく戦場に、ルサージュ軍の歓喜の勝鬨が響き渡る。

 お父様という最強の監査役が築き上げてくれた大切な物流網を、そして領民たちの平穏な生活を、不当な敵対的買収から守り抜くことに成功したのだ。


 私は空中からゆっくりと着地し、後ろを振り返った。

 そこには、私の出力百パーセントの跳躍という、大砲をゼロ距離で撃ち込まれるような絶大な反動を身体ひとつで受け止めながら、服のシワ一つ乱すことなく、完璧な微笑みを浮かべて立っているアドリー様の姿があった。


(……信じられない。今の全力の攻撃の余波をまともに受けて、この人、本当に平気な顔をしているわ。私がどんなに力を込めても、この人だけは絶対に壊れない……)


 その事実を完全に理解した瞬間、私の心臓が先ほどの戦闘とは全く異なる理由で激しく跳ね上がった。

 今までは、触れることすら恐ろしかった。

 私が力を込めれば、愛する人の命を奪いかねないという恐怖が常に付きまとっていた。


 けれど、彼だけは違う。

 私がこの世界で唯一、全力で抱きしめても、全力でその温もりに縋り付いても、決して壊れることのない、唯一無二の存在なのだ。


 ――現場のすべてを受け止める最強の盾と、すべてを粉砕する最強の矛。


 ゼノヴァス帝国との戦いはまだ一時的な休戦に過ぎず、悪徳経営者であるグリードがこのまま引き下がるとは思えない。

 しかし、互いの真の能力と前世の絆を完全に理解し合った私たち夫婦の間に、いかなる組織の脅威も付け入る隙など存在しないという確固たる自信が、私の胸の奥で熱く燃え上がり始めていた。

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